Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

セカンドライフ sonicmart制作記15.

2007年09月12日 | Design&3DCG
 フィールド調査に出かけていたので、プログを中座していた。今日は、セカンドライフ(SL)のアダルト・エンターテイメントについて述べておこう。
 ファーストライフ(FL)社会で成立している俳優という職業は、舞台という限定された世界においては、どのような人間にでも演じることができる。外部の視点からみれば、俳優という職業の面白さも、ここにありそうだと類推している。他方セカンドライフ社会は、アバター=化身[注1]を介して成立している。仮想環境に於ける自分の化身が、FLでは、不可能或いは果たし得なかったセカンド・ライフスタイルを実践できる。憧れのセカンドワークに就き、夢に描いたセカンドハウスを造り、そして年齢や容姿に関係なくセカンドラブも可能になる。人間の歴史に「もしも・・・であったならば・・」という仮説は存在しないが、SLでは仮想環境故に「新しい恋人と新しいライフスタイルを描いてみる」といった具合に仮説をシミュレーションできる。つまりSLに参加する誰でもが、どんな役でも演じることができる俳優なのだろう。
 俳優であれば、役に成りきることを通り越して、役に呑まれることだって発生する。仮想環境で出会った新しい恋人に、魅力を感じて、意識と関心の在処はSLの恋人だけ!といったケースは容易に想像できるし、私自身、シムの制作途上で実際にそんなアバター・カップルにも出会い、友達にもなった。彼等の関係を、FL世界で行えば不倫となるが、SLには、そうした概念はない。仮想と現実の環境を行き来しながら、意識と身体とが乖離してゆくことに対して、FL社会は何も応えられないだろう。そんなステレオタイプ化したFL社会の幼児性を暴いてゆく痛快さがSL魅力の1つだろう。SLは、意識と身体の乖離を自分で制御してゆくアダルト・エンターテイメントなのである。
 従ってSL上の出会いとコミュニケーションは、最大魅力なのである。シムはそうした手助けをするための装置である。上図にあげたコテージは、シムで出会った恋人達アダルトのホットスポットとなることを意図して制作した。コテージは、ダブルベッド・サイズであり、両サイドの窓ガラスは、隣の風景が見えず、といって密室でもない、程よい透過性をもたせ、セクシャル・スクリプトを置くもよし、恋人達が心おきなくアクティビティを繰り広げてもよし、といった具合にデザインしている。屏風のような山稜の裏側に配置しているので、外部からは見えにくい。SLが、大人社会である以上、こうしたアダルト・エンターテイメント要素は必要不可欠である。
 話題は変わるが、車内でモデルガンまがいのライターを乗客に突きつけた少年に、ビンタを食らわせた(当然である)警察官が、逆に社会から抗議され問責されるという記事を読んだ[注2]。またいわゆる禁煙法のように社会的コモンセンスで規制すればよい程度のことを、わざわざ法律化する、といった大人を子供扱いする幼児化社会現象が我が国には、多すぎる。文化、宗教、価値観が異なるアバター同士の国際的大人のコミュニケーションが、我が国の幼児化社会への歯止めとなることを期待する次第である。

[注1]化身:仮想空間に出現した自分の化身。Wikipediaでは分身と訳していたが、分身の英訳は、alterego又はshadowであり、日本語の意味はもう一人の自分、影法師と訳され、自分と瓜二つの姿というのが、分身の概念である。SLでは、自分と似て非なる姿をとることができるのであるから、化身という使い方が適切。
[注2]夕刊フジ,2007年,9月,12日号
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