このプログもこれ迄は、ハードな仮想環境制作の記述を主としてきた。今日以降は、もう一つの重要な制作要素である、運営或いはビジネスモデル構築といったソフトの視点から、幾つかの知見や考察を述べてゆく予定である。
上図マナティー・リゾート・シンボルキャラクターの背後に見られる一連の「Shigurui」サインは、「こけらおとしイベント」開催準備作業中の様子である。「Shigurui」は、南條範夫原作[注1]、山口貴由の劇画[注2]よる青春残酷時代劇である。このコンテンツを、WOWOW社がTVアニメ化のために制作したタイミングを捉え、オープニング・イベントとして、このシム・オーナー企業であるデジソニック社によって企画された「こけらおとし」である。
私がこの企画に関心を持った点は、「サムライ」、「ハラキリ」という実際の世界で知られている概念を劇画の題材としていることであった。セカンドライフ(SL)は、世界各国の映像文化アイデンティティ集積の場である。残酷西部劇がマカロニウェスタンといった具合に、 青春残酷時代劇は、日本のアイデンティティの1つといえよう。我が国固有の映像文化アイデンティティ展開は、仮想国際社会を基調とするSLにおいて、個性ある有効な方法だと思われた。実際にこの企画とプロモーションは、狙い通りとなり、 開業直後に外国人ライターが訪れ、SLの海外WEBジャーナルのAmbling in Second Life[注3]のトップ画面でいち早く紹介された。
私個人が持ったもう一つの関心は、原作者の南條範夫である。彼は、バイオレンスな歴史小説家であると同時に、國學院大學で経済学を教えていた大学の先生であった。 学者であるから物事の視点はクールである。そんなクールさの背後で、武家社会の極限状態に置かれた人間達の、息づかいが荒い残酷さとエロティシズムとが際だっていた。残酷とエロティシズムという相対的概念を小説の基調としながら、武家社会に介在していた野心、欲望、嘘、裏切りといった固有の武士像を表現してゆくストーリーは、エンターテイメントとして興味深いし、SLの大人社会とも合致してくると私は思った。
マナティー・リゾートのこけらおとしにおいて、原作・劇画コンテンツをどのように表現し実現してゆくかは、悩みどころであった。原作が文字媒体、劇画が文字+絵画的媒体である。SLでは、それら2次元媒体に加え3次元オブジェクト媒体を用いた表現ができる。ならば劇作とし、アバターらを俳優とする、芝居仕立てとするかというアイデアも当初あった。だがアバター俳優をストーリーに沿った演技をさせるためには、膨大なスクリプトを書かなければならない。さらにSL上で芝居化するための3次元コンテンツ制作過程自体が新たなプロジェクトになるほどの時間と労力が必要になる。また3次元化し劇作とした場合、原作や劇画がもっている以上の空気が表現できるかとする課題もあった。それにもまして、そんなことをしている時間は制作側にはなかった。結局劇画や放映コンテンツの2次元展示を主とする展開となった。
海外映画系シムでは、実際の映画出演俳優がアバターとしてシムに登場するといったセレモニーが行われていた。こうした効果の程は不明だが、 ヒューマン・インタラクティブの視点で考えれば、理に適った方法といえる。これを敷衍して考えれば、劇画やTVアニメのシグルイ登場人物がアバターとして、シムに登場し、セレモニーやコミュニケーション・トーク、或いは最近のゲーミング世界を凌ぐリアリティある決闘演技といったイベントは、関係者間で考えられた。まあ東映太秦映画村[注4]のようだが(^_^)。ところでSL社会で、こうした役回りを引き受けてくれるエンターテイメント演技集団(膨大なスクリプト、メイキャップ、コスチュームなどの制作ができるアバター俳優や劇団)があっただろうか。
そう考えてくると、SL社会におけるエンターテイメント演技集団が、将来SLビジネスとして必要且つ成立するのかもしれない。
注1)南條範夫:駿河城御前試合,徳間文庫,2005.(復刻版)
注2)山口貴由:シグルイ,チャンピオンRED,秋田書店.2003年8月〜
注3)http://slambling.blogspot.com/
注4)京都市右京区蜂が岡町10,開業1975年,1990年バブル経済時に多くのテーマパークが建設されたが、この時期でさえ経常黒字としているのは、TDL,日光江戸村,東映太秦映画村の3社であった。その後のテーマパーク動向は、総合ユニコム刊行:レジャーランド&レクパーク総覧2003年3492施設に詳しい。
上図マナティー・リゾート・シンボルキャラクターの背後に見られる一連の「Shigurui」サインは、「こけらおとしイベント」開催準備作業中の様子である。「Shigurui」は、南條範夫原作[注1]、山口貴由の劇画[注2]よる青春残酷時代劇である。このコンテンツを、WOWOW社がTVアニメ化のために制作したタイミングを捉え、オープニング・イベントとして、このシム・オーナー企業であるデジソニック社によって企画された「こけらおとし」である。
私がこの企画に関心を持った点は、「サムライ」、「ハラキリ」という実際の世界で知られている概念を劇画の題材としていることであった。セカンドライフ(SL)は、世界各国の映像文化アイデンティティ集積の場である。残酷西部劇がマカロニウェスタンといった具合に、 青春残酷時代劇は、日本のアイデンティティの1つといえよう。我が国固有の映像文化アイデンティティ展開は、仮想国際社会を基調とするSLにおいて、個性ある有効な方法だと思われた。実際にこの企画とプロモーションは、狙い通りとなり、 開業直後に外国人ライターが訪れ、SLの海外WEBジャーナルのAmbling in Second Life[注3]のトップ画面でいち早く紹介された。
私個人が持ったもう一つの関心は、原作者の南條範夫である。彼は、バイオレンスな歴史小説家であると同時に、國學院大學で経済学を教えていた大学の先生であった。 学者であるから物事の視点はクールである。そんなクールさの背後で、武家社会の極限状態に置かれた人間達の、息づかいが荒い残酷さとエロティシズムとが際だっていた。残酷とエロティシズムという相対的概念を小説の基調としながら、武家社会に介在していた野心、欲望、嘘、裏切りといった固有の武士像を表現してゆくストーリーは、エンターテイメントとして興味深いし、SLの大人社会とも合致してくると私は思った。
マナティー・リゾートのこけらおとしにおいて、原作・劇画コンテンツをどのように表現し実現してゆくかは、悩みどころであった。原作が文字媒体、劇画が文字+絵画的媒体である。SLでは、それら2次元媒体に加え3次元オブジェクト媒体を用いた表現ができる。ならば劇作とし、アバターらを俳優とする、芝居仕立てとするかというアイデアも当初あった。だがアバター俳優をストーリーに沿った演技をさせるためには、膨大なスクリプトを書かなければならない。さらにSL上で芝居化するための3次元コンテンツ制作過程自体が新たなプロジェクトになるほどの時間と労力が必要になる。また3次元化し劇作とした場合、原作や劇画がもっている以上の空気が表現できるかとする課題もあった。それにもまして、そんなことをしている時間は制作側にはなかった。結局劇画や放映コンテンツの2次元展示を主とする展開となった。
海外映画系シムでは、実際の映画出演俳優がアバターとしてシムに登場するといったセレモニーが行われていた。こうした効果の程は不明だが、 ヒューマン・インタラクティブの視点で考えれば、理に適った方法といえる。これを敷衍して考えれば、劇画やTVアニメのシグルイ登場人物がアバターとして、シムに登場し、セレモニーやコミュニケーション・トーク、或いは最近のゲーミング世界を凌ぐリアリティある決闘演技といったイベントは、関係者間で考えられた。まあ東映太秦映画村[注4]のようだが(^_^)。ところでSL社会で、こうした役回りを引き受けてくれるエンターテイメント演技集団(膨大なスクリプト、メイキャップ、コスチュームなどの制作ができるアバター俳優や劇団)があっただろうか。
そう考えてくると、SL社会におけるエンターテイメント演技集団が、将来SLビジネスとして必要且つ成立するのかもしれない。
注1)南條範夫:駿河城御前試合,徳間文庫,2005.(復刻版)
注2)山口貴由:シグルイ,チャンピオンRED,秋田書店.2003年8月〜
注3)http://slambling.blogspot.com/
注4)京都市右京区蜂が岡町10,開業1975年,1990年バブル経済時に多くのテーマパークが建設されたが、この時期でさえ経常黒字としているのは、TDL,日光江戸村,東映太秦映画村の3社であった。その後のテーマパーク動向は、総合ユニコム刊行:レジャーランド&レクパーク総覧2003年3492施設に詳しい。