個人的知見だが、セカンドライフ(SL)の運営を行おうと意図したときに、日本では、インターネットに於ける大きな障害或いは特殊性があることを認識すべきだと私は考えている。大きな障害等とは、日本社会及び日本人自身の後進性と閉鎖性である。
1980年代、日本の大学のコンピュータは、既にLANでネットワークされていた。ここまではよかった。1993年にアメリカのゴア副大統領が光ファイバーを中心とする情報ハイウェイ整備を宣言した。依頼アメリカ社会は、急速にネットワーク網が整備され、きわめて短い時間でインータネット社会を構築した。1995年4月、私が、博士論文を書くため筑波大学の研究室に戻ったときには、既にLANが敷設されていた。まだWindowsが販売されていないこの時期、MacintoshのPCには、10BASE/Tのイーサポートがあった。当然WEBでは、大学がプロバイダーとなり、無料のネットーサーフィンが可能であり、ソフトはMosaicからNetscapeに移行し、世界のWEBサイトをサーフィンできた。メールはスタンフォード大学が、ソフトウェアを公開していたし、チャットもあった。現在のネットーワークの基本形は、この時期に形成されており、世界はネットワーク社会に突入していたのである。
当然私もPowerPCを積んだMacを駆使したネットサーファーであった。ホワイトハウスに始まり、世界の研究所や美術館を駆け回り、難解言語に困惑しつつ、最後は、既に相当数のサイトが存在していたアダルト系まで、夜を徹してWEBを徘徊していた。世界丸ごとネットワークに乗せてしまったというのが、私の実感であった。面白かったのは、当時日本社会でヘア出しヌード解禁が取りざたされている最中に、ヘアはおろか、濃密に絡み合っている本番画像などがあるWEBサイトは、至る所にあり、飽きるほど見ることもコピーすることもできた。私は、既に国内での法律やヘア議論等なんの意味もないと思った。それが今から11年前である。
1996年頃日本でも、全国的インータネット網整備が始められた。だがその仕様は、低規格の電話回線ADSLだという、日本の社会は大変な誤算をしてしまった。それに私は愕然とした。実際光ファイバー網が日本で普及するのは21世紀になってからであった。1997年には、私が関連する都市開発分野では、開発途上国の情報ハイウェイ整備が盛んであった。例えばシンガポールでマルチメディア・スーパー・コリドールの整備が進められている情報を聞いたとき、日本は世界から、遅れに遅れたことを実感した。アメリカに遅れること10年、アジアに遅れること5年である。インターネット社会において日本の現在の実態は、あきらかな後進国、或いは開発途上国なのである。そうした後進性故いまだに私はプロバイダーに使用料金を支払わされているが、私の認識では、インターネットは、ただなのがあたりまえである。
国境や国家や異なる社会や文化を越えたコミュニケーションや情報受発信に、インターネットの存在価値がある。従ってSLの制作において、用いる言語は英語表記であり、またシムの紹介、土地建物の賃貸プロモーションも全て英語でなければならない。マナティー・リゾートでも、私達は当初全て英語表記としていたが、その後、日本人利用の便宜をはかり日本語併記仕が多用されていた。私は、こうした便宜が、全く意味をなさないと考えている。その理由は、日本人の行動が限定的だからである。日本人は、JAPANと書かれたシムに固まりがちだ。率の高いキャンプや、制作コンテンツの方法等の情報交換、話題シムなど一通りの体験をすると、飽きられてしまい、それ以上の行動に展開されない。例えば外国人の友達をつくり、異文化コミュニケーション、探検やツアー、遊びから文化や科学的満足のための行動、将来のシムへの投資等々・・といった日本人の行動は少ない。行動の狭さは、言語の壁もあるが、SLが日本上陸してまた日が浅い初期状況と私は推測している。こうした行動の限られた、言い換えれば、資金がない、遊ばない、コミュニケーションしない、お金を落とさない、そんな利用者を想定していては、シムの運営は成立できないのである。
シム制作における訴求対象は誰か?・・・と問われれば私は、日本人以外と応えるだろう。
もう一つ日本の後進性と閉鎖性を顕著に示す実例をあげておく。それは最近Apple社が開発販売しているiPhonのことである。iPhonが採用している通信規格GSM/EDGEは、アメリカでは一般的だが、日本とは異なり、現在そして近未来においても日本国内は利用できない。
これまでに日本がやるべきだったことは、iPhoneを上回る魅力ある商品を開発し、Appleに先駆けて販売し、日本の規格を海外に展開してゆくべきだったのである。だが日本の製造業が行ってきたことは、ステレオタイプ化した携帯電話に、重要性の低い機能を貼り付け、販売しただけであった。早晩日本の携帯電話機市場も海外では通用しないので、縮小してゆくのは必須である。日本は、先進国のなかでインターネット社会に遅れること11年、今やモバイル社会にすら遅れつつある。
インターネット社会の形成、そしてSLの登場が、私達に教えてくれたことは、ただ1つ!。日本人は、日本人にしがみついていては、アカンということだ!!!
1980年代、日本の大学のコンピュータは、既にLANでネットワークされていた。ここまではよかった。1993年にアメリカのゴア副大統領が光ファイバーを中心とする情報ハイウェイ整備を宣言した。依頼アメリカ社会は、急速にネットワーク網が整備され、きわめて短い時間でインータネット社会を構築した。1995年4月、私が、博士論文を書くため筑波大学の研究室に戻ったときには、既にLANが敷設されていた。まだWindowsが販売されていないこの時期、MacintoshのPCには、10BASE/Tのイーサポートがあった。当然WEBでは、大学がプロバイダーとなり、無料のネットーサーフィンが可能であり、ソフトはMosaicからNetscapeに移行し、世界のWEBサイトをサーフィンできた。メールはスタンフォード大学が、ソフトウェアを公開していたし、チャットもあった。現在のネットーワークの基本形は、この時期に形成されており、世界はネットワーク社会に突入していたのである。
当然私もPowerPCを積んだMacを駆使したネットサーファーであった。ホワイトハウスに始まり、世界の研究所や美術館を駆け回り、難解言語に困惑しつつ、最後は、既に相当数のサイトが存在していたアダルト系まで、夜を徹してWEBを徘徊していた。世界丸ごとネットワークに乗せてしまったというのが、私の実感であった。面白かったのは、当時日本社会でヘア出しヌード解禁が取りざたされている最中に、ヘアはおろか、濃密に絡み合っている本番画像などがあるWEBサイトは、至る所にあり、飽きるほど見ることもコピーすることもできた。私は、既に国内での法律やヘア議論等なんの意味もないと思った。それが今から11年前である。
1996年頃日本でも、全国的インータネット網整備が始められた。だがその仕様は、低規格の電話回線ADSLだという、日本の社会は大変な誤算をしてしまった。それに私は愕然とした。実際光ファイバー網が日本で普及するのは21世紀になってからであった。1997年には、私が関連する都市開発分野では、開発途上国の情報ハイウェイ整備が盛んであった。例えばシンガポールでマルチメディア・スーパー・コリドールの整備が進められている情報を聞いたとき、日本は世界から、遅れに遅れたことを実感した。アメリカに遅れること10年、アジアに遅れること5年である。インターネット社会において日本の現在の実態は、あきらかな後進国、或いは開発途上国なのである。そうした後進性故いまだに私はプロバイダーに使用料金を支払わされているが、私の認識では、インターネットは、ただなのがあたりまえである。
国境や国家や異なる社会や文化を越えたコミュニケーションや情報受発信に、インターネットの存在価値がある。従ってSLの制作において、用いる言語は英語表記であり、またシムの紹介、土地建物の賃貸プロモーションも全て英語でなければならない。マナティー・リゾートでも、私達は当初全て英語表記としていたが、その後、日本人利用の便宜をはかり日本語併記仕が多用されていた。私は、こうした便宜が、全く意味をなさないと考えている。その理由は、日本人の行動が限定的だからである。日本人は、JAPANと書かれたシムに固まりがちだ。率の高いキャンプや、制作コンテンツの方法等の情報交換、話題シムなど一通りの体験をすると、飽きられてしまい、それ以上の行動に展開されない。例えば外国人の友達をつくり、異文化コミュニケーション、探検やツアー、遊びから文化や科学的満足のための行動、将来のシムへの投資等々・・といった日本人の行動は少ない。行動の狭さは、言語の壁もあるが、SLが日本上陸してまた日が浅い初期状況と私は推測している。こうした行動の限られた、言い換えれば、資金がない、遊ばない、コミュニケーションしない、お金を落とさない、そんな利用者を想定していては、シムの運営は成立できないのである。
シム制作における訴求対象は誰か?・・・と問われれば私は、日本人以外と応えるだろう。
もう一つ日本の後進性と閉鎖性を顕著に示す実例をあげておく。それは最近Apple社が開発販売しているiPhonのことである。iPhonが採用している通信規格GSM/EDGEは、アメリカでは一般的だが、日本とは異なり、現在そして近未来においても日本国内は利用できない。
これまでに日本がやるべきだったことは、iPhoneを上回る魅力ある商品を開発し、Appleに先駆けて販売し、日本の規格を海外に展開してゆくべきだったのである。だが日本の製造業が行ってきたことは、ステレオタイプ化した携帯電話に、重要性の低い機能を貼り付け、販売しただけであった。早晩日本の携帯電話機市場も海外では通用しないので、縮小してゆくのは必須である。日本は、先進国のなかでインターネット社会に遅れること11年、今やモバイル社会にすら遅れつつある。
インターネット社会の形成、そしてSLの登場が、私達に教えてくれたことは、ただ1つ!。日本人は、日本人にしがみついていては、アカンということだ!!!