図1. ヴェネチアの路地
街路の講義の続きで、街路には種類がある。わかりやすくいえば、大通り、裏通り、横町、路地、そして行き止まりである。
最初に、街を回遊できる構造が大変重要である。
そこでモデル式で説明しよう。
例えば駅をスタートするとしてこれをSとしておく。
目的地が欲しい。大概それは神社やお寺だったりする。これをA1としておく。
そうすると人流れがS,A1の間に生まれ途中の沿道に商店が建ち並び参道商店街が形成される。
さて次の目標は、奥の院だ。これをA2としておく。
そうするとまたまた人の流れがA1,A2の間に奥へと続く沿道商店が建ち並ぶ。
帰り道は駅への近道にしよう。そうするとA2,Sの間の通りにも、またまた商店ができる。
こうしてS,A1,A2を頂点する三角形のエリアが形成される。
S,A1,A2のエリアの中に、裏道や横町が形成される。つまり路地裏にもお店が進出してくる。
かくしてS,A1,A2をグルッと回れる回遊構造ができあがる。
街にはこうした回遊構造の設えが大切というのが、ここでの理論であり概念だ。
参考文献にあげた本の中では、ヴェネチア、神戸元町などの回遊構造、そして街中の路地などについて取り上げた。
その中で特に私が興味を持ったのが北品川商店街であった。周囲を高層ビルで囲まれた中央に位置するこの商店街の存在が気になった。偶然私の専門学校時代の教え子だった牛田君が北品川商店街に店を構える2代目だった。そこで、この街を案内してもらった経緯があった。
数多くのお寺と路地とコミュニティが織りなす街だ。この街について書くだけで1册の本ができあがってしまう。参考文献であげた本での割り当てた頁は2頁だけ。ブログでもう少し加筆しておこう。
図2. 下に見えるのが瓦屋根建築が北品川商店街
図3. 品川神社 コミュニティの要は神社だ、というので大きな神輿もでるこの街の要だ。
図4. このような路地が数多くのお寺を介して街中を走っている。そこには随所に井戸がある。
図5. 井戸端会議もこうした設えからでてきた言葉だ。
図6. 今でも洗濯に使われている路地の井戸だ。
図7. 古い長屋建築の典型のような設えもある。ここにも小さな路地が通っている。それは生活のために必要な設えでもある。もちろん今は半分ぐらいないは取り壊されていると思う。
図7. 旧宿場町だから古い長屋も残っていた。おおっ!、見事な長屋だ。
図8. 路地裏にはセオリー通り職人さん達が住んでいた。
図9. ここの職人さんは、なんとお菓子の経木づくりという大変マイナーな仕事をしている。ある京都のお店も、この職人さんに経木をつくってもらった経緯があった。
図10. お寺が多いこともこの街の特徴だ。あるお寺では、捨て犬、捨て猫をすべてお寺でかっている。その数は100匹ぐらいかなと聞いた記憶がある。
図11. 商店街は定期的に縁日が開かれる。もちろんお店の人もお客も、この街の住民だ。この画像をみていると、オートフォーカスが場違いなところにピントを合わせている。だから撮影機材のピントはマニュアルで合わせるべきだと、今でも思っている。
図12. 古い街だからといって、若い人達もいるのだ。案内してくれた牛田君が撮れというので納めたけど、このファミリーの笑顔は何物にも代えがたい魅力がある。もうこの子は大人になっているだろう。人が住み続ける、それが街の基本だということを教えてくれた。
図13. 古く由緒ある神社が2つある。だから祭礼の時は大きな神輿が登場する。街の人々が総手で担ぐ。そんな姿は変わらないが、海が埋めたてられてしまい画像のような光景はすでになくなっていた。
この街を取材したのが1990年の初め頃であった。いろんな路地を発見するのがとても楽しい取材だった。十数年後、建築学会大会の後でこの街を尋ねた。当時よりは今風のお店が増えて少しは垢抜けしたが、そのかわり古い履物屋さんはなくなり、私達を案内してくれた牛田君の家も更地だった。街は変わるとともに、新しいコミュニティが生まれ、古いコミュニティが消えてゆくような寂しい感じもした。
それにしても牛田君は元気だろうか。今度東京へ行く目標が1つできた。
NikonF4,AiAF Nikkor35-70mm/F2.8,Canon6L,Summaron35mm/F3.5,エクタクローム
協力:北品川商店街連合会
参考文献:三井不動産S&E研究所/北山創造研究所編:まちづくりの知恵と作法,日本経新聞社,1994,p103-122.
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