デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

立錐の余地もなかったエディ・コスタ追悼コンサート

2014-05-25 09:41:17 | Weblog
  江戸幕府を倒すきっかけを作った坂本龍馬、歌曲の王と呼ばれたシューベルト、ストリートアートの先駆者として知られる画家のキース・ヘリング、ロックにブラスを取り入れたバンドの草分け「Chicago」のギタリスト、テリー・キャス、日本でビ・バップをいち早く理解したといわれる幻のピアニスト、守安祥太郎。活躍した時代も分野も違うが、志半ばの31歳で亡くなった人だ。

 そして、自動車事故で亡くなったエディ・コスタも31歳だった。リーダー作は、ジュビリー、モード、コーラル、ドットというマイナー・レーベルに4枚しかないが、どの作品も一聴に値する。なかでも左手のハンマー奏法で低音域を自在に操るドット盤の「ハウス・オブ・ブルー・ライツ」はピアノ名盤に数えられるし、サイドで参加したタル・ファーロウの「スウィンギング・ギター」や、シェリー・マンの「2-3-4」はモダンジャズの傑作に挙げられる。また、ヴァイヴ奏者としても非凡な才能を持っており、軽やかにスウィングするマレットさばきも鮮やかだ。

 そのコスタを偲んでコンサートが開かれた。会場のジャズクラブ「ヴィレッジ・ゲイト」は多くのファンが押し寄せ立錐の余地もなかったという。そのときの模様が、このコルピックス盤で、生前セッションを重ねたクラーク・テリーとコールマン・ホーキンスの2バンドの演奏が収録されている。とりわけ素晴らしのは、「ジャスト・ユー、ジャスト・ミー」で、骨太なホーキンスを中心にマーキー・マーコヴィッツのトランペットと、アービー・グリーンのトロンボーンが吠える。追悼コンサートとはいっても湿っぽさはなく、ジャケット写真のようにいつも豪快に笑っていたコスタに相応しい。

 この1962年10月9日のセッションで注目すべきは、ブルーノートの一連の作品で絶好調を誇っていたソニー・クラークだ。ソロの切れ味も鋭く、所謂後ろ髪を引かれるフレーズに益々磨きがかかっている。このコンサートから僅か3か月後の1963年1月13日にクラークは亡くなった。コスタと同じ31歳である。ジャズの神様はときに残酷だ。
コメント (10)
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