先月25日に亡くなられた前田憲男さんがジャズ界で注目されのは、昭和32年に「西条孝之介とウエスト・ライナーズ」に参加してからだ。「日本のジャズ史」(スイングジャーナル社刊)から当時の様子を抜粋してみよう。「メンバーは五十嵐兄弟=武要(ドラムス)、明要(アルト・サックス)、原田忠幸(バリトン・サックス)、前田憲男(ピアノ)、今泉俊明(トランペット)、金井英人(ベース)の七名で・・・」錚々たるメンバーだ。
そして、「このバンドを支えたのは、スタン・ゲッツ、リー・コニッツら白人サックス奏者を専門に研究していた西条の知的なプレイと、その「お殿様」のような風貌にあらわれた人柄の良さだったが、もうひとつ、前田憲男のペンに負うところが大きかった」と。当時の音源は「20世紀日本ジャズ大系」にまとめられているので聴くことができるが、三管編成を活かした編曲は見事なものだ。とかく日本ジャズの黎明期は云々と批判する輩がいるが、とんでもない。阿吽のアンサンブルといい、斬新なハーモニーといい、各人の溌溂としたソロといい、アメリカのジャズに劣らない高い水準を満たしている。
ウィンド・ブレイカーズは前田さんが1980年に日本のトッププレーヤーを集めて結成したバンドだ。ウエスト・ライナーズ時代からの旧友西条孝之介と原田忠幸をはじめ、テナーサックスの稲垣次郎、トランペットの数原晋、伏見哲夫、トロンボーンの原田靖、ギターの沢田駿吾にベースの荒川康男、ドラムスは猪俣猛という、言うなれば重鎮オールスターズである。ジャズが普及していない時代にジャズの楽しさと面白さを伝えてきた人たちばかりなので理屈抜きに楽しめる。タイトル曲をはじめ「Bag’s Groove」、「Satin Doll」、「My Funny Valentine」という耳馴染みのメロディーが輝いているのは、いぶし銀の光沢を放っているからだろう。
前田さんは、「11PM」や「題名のない音楽会」といったテレビ番組に出演したり、「女心のタンゴ」や「冬のリヴィエラ」という歌謡曲のアレンジも手掛けているので、ポップス畑に見えるが、れっきとしたジャズピアニストである。後に渡辺貞夫も加わったウエスト・ライナーズをトップコンボに成長させたセンスのいいピアニストがいなければ今の日本ジャズの発展はなかったかも知れない。享年83歳。合掌。
そして、「このバンドを支えたのは、スタン・ゲッツ、リー・コニッツら白人サックス奏者を専門に研究していた西条の知的なプレイと、その「お殿様」のような風貌にあらわれた人柄の良さだったが、もうひとつ、前田憲男のペンに負うところが大きかった」と。当時の音源は「20世紀日本ジャズ大系」にまとめられているので聴くことができるが、三管編成を活かした編曲は見事なものだ。とかく日本ジャズの黎明期は云々と批判する輩がいるが、とんでもない。阿吽のアンサンブルといい、斬新なハーモニーといい、各人の溌溂としたソロといい、アメリカのジャズに劣らない高い水準を満たしている。
ウィンド・ブレイカーズは前田さんが1980年に日本のトッププレーヤーを集めて結成したバンドだ。ウエスト・ライナーズ時代からの旧友西条孝之介と原田忠幸をはじめ、テナーサックスの稲垣次郎、トランペットの数原晋、伏見哲夫、トロンボーンの原田靖、ギターの沢田駿吾にベースの荒川康男、ドラムスは猪俣猛という、言うなれば重鎮オールスターズである。ジャズが普及していない時代にジャズの楽しさと面白さを伝えてきた人たちばかりなので理屈抜きに楽しめる。タイトル曲をはじめ「Bag’s Groove」、「Satin Doll」、「My Funny Valentine」という耳馴染みのメロディーが輝いているのは、いぶし銀の光沢を放っているからだろう。
前田さんは、「11PM」や「題名のない音楽会」といったテレビ番組に出演したり、「女心のタンゴ」や「冬のリヴィエラ」という歌謡曲のアレンジも手掛けているので、ポップス畑に見えるが、れっきとしたジャズピアニストである。後に渡辺貞夫も加わったウエスト・ライナーズをトップコンボに成長させたセンスのいいピアニストがいなければ今の日本ジャズの発展はなかったかも知れない。享年83歳。合掌。