2003年公開のアメリカ映画だから、レンタルビデオ店の旧作の棚から見つけ出すのも難しいはずだ。Netflixには入っていなかったが、どこかのサブスク配信サービスから提供されているかもしれない。だとしても、黒人への人種差別を扱った地味ながら心に染み入る悲痛な文芸作品を観る人はごく少ないだろう。
なので、最初から最後まであらすじを辿りながら、この映画の「謎」と主人公が抱えてきた「秘密」を明かしてしまおうと思う。これから観ようかという人の邪魔をしてすまないが、なぜにこの映画は観る必要がないか、あるいはこのように批判的に観るべきだという今回の目的には必要だからしかたがない。
この『白いカラス』という映画が公開された2003年以後、トランプが大統領になり、「BLM( Black Lives Matter)運動」が起き、ロシアがウクライナを侵略し、イスラエルがガザで虐殺を続けている。そこで問い直されているのは、アメリカン・リベラリズムの正体といえるだろう。
この映画は、そんなアメリカのリベラリズムの欺瞞と偽善を余すことなく露呈した、逆説的な傑作だった。
監督は『明日に向かって撃て』の脚本家にして、『クレーマー、クレーマー』でアカデミー賞の監督賞を受けたロバート・ベントン、原作はアメリカ文学を代表するフィリップ・ロスという大物。
俳優陣も、アンソニー・ホプキンス(Coleman Silk)、ニコール・キッドマン(Faunia Farley)、エド・ハリス(Lester Farley)、ゲイリー・シニーズ(Nathan Zuckerman)という名優ぞろい。
映画好きなら素通りできない布陣だが、ハリウッドの良心的な俊秀が現代アメリカの苦悩を描き切る問題作に集結した、今年度アカデミー賞ノミネート作!という惹句が似合いそうな話題作だったろう。
Wikipediaのあらすじに、より詳細に書き加えてみた。
1998年、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の名門大学で学部長を務めていたコールマン教授は、ある日の講義で、いつまでたっても出席しない二人の学生について、「スプーク(spooks)」と皮肉ったのが問題になった。「幽霊」という意味で使ったつもりが、俗語で「黒人」を表すため、人種差別発言だと教授会で問題になったのだ。
「幽霊のように姿を見ていないのに、黒人であるかどうかなどわかるものか!」と激怒したコールマン教授は、偽善的な「政治的公正 PC(political correctness )」に我慢がならなかったのだが、辞職のショックで妻が急死してしまう。
35年もつとめた大学を追われ、妻にも先立たれ、仕事と家庭のすべてを失ったコールマンは、森の家に逼塞することになるが、そこで同じように隠遁生活を送る作家ザッカーマンと親しくなり、ようやく前向きな生活を取り戻す気になっていく。
そんなとき、34歳のフォーニアという女性が彼の前に現れる。フォーニアは郵便局の窓口係、農場で馬の世話、大学の掃除婦をかけ持ちして働いていたが、タバコを唇から離さない、どこか投げやりな印象だった。
フォーニアは裕福な家に育つも、母親が再婚した継父に性的な虐待を受けて14歳で家出した。以来、自立して生きてきたが、結婚した夫レスターの暴力に苦しみ、火事で子供を死なせる不幸に見舞われ、辛い過去を負ってきた。
そんなまだ若いフォーニアと老人のコールマンは出会ったその日に身体の関係を持つが、心に傷を持つ者同士、次第に惹かれあっていく。しかし、追いかけてきたフォーニアの元夫レスターが二人に暗雲を投げかける。レスターもまた、ベトナム戦争の帰還兵であり、戦争のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えて、フォーニアに執着していた。
そして、コールマンには、亡き妻にさえ隠し通し、これまで誰にも言わなかった秘密があった。
高校時代、ボクサーとして鳴らしたコールマンは、志願兵として入隊し、除隊後に軍人への優遇措置として大学の奨学金を得て、学者の道を歩んでいく。フォーニアと同じく、早くから自立したコールマンは、亡き妻にも秘密にした過去があった。
両親は亡くなり、兄弟はいない、天涯孤独の身の上といってきたが、コールマンには、母や兄、妹がいたのだ。なぜ、コールマンは家族を捨て、出生を隠したのか。
見かけ上は、白人そのものながら、黒人だったからだ。アメリカの黒人は、ほぼすべて白人との混血なため、遺伝の表れ方として、白人のような黒人が生まれることがある。
金髪碧眼色白であろうと、黒人の血が混じっていれば、アメリカでは、黒人、colored(カラード)とされる。若きコールマンは母に紹介して恋人に去られた苦い経験から、白人として生きる道を選んだのだった。
(続く)