コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

クソっと苦笑

2016-05-30 15:12:00 | 政治
欧米メディアでは、今回のオバマ大統領の広島スピーチを新聞では一面、TVならトップニュースで伝え、おおむね好意的に扱われています。残念ながら、サミットで「リーマンショック以来の危機」を訴えた安倍首相に対する報道とは対照的でした。

http://www.thetimes.co.uk/article/world-leaders-disagree-on-shinzo-abes-economic-gloom-wn5bqkjwk

批判されるならまだしも、「選挙目当てのパフォーマンス」と足許を見透かす侮蔑的な論評に、この写真が添えられては、腹が立つ前に苦笑するしかありません。「安倍首相の認識は各国首脳に共有された」という日本のサミット報道には、苦笑できませんが。
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低きに流れる想像力

2016-05-29 10:51:00 | ノンジャンル
そう云う気持ちはわからないでもないが、あまり理はないと思う。「女だからチヤホヤされたり」「若い未熟な女性の涙を憐憫する文化」、あるいは、「女性ならではの目線で」とか「女性対象の科学賞」などは、それ自体あきらかに克服されるべき差別だから。見えない壁や天井を探させないために、わざと見えるようにこさえている壁や天井だから。1970年代、あれほど勇猛果敢だったフェミニズムはどうしちゃったんだろう。見事に、「本物」と「偽物」に分断統治されているように思える。

鳥居啓子https://twitter.com/KeikoUTorii






(敬称略)
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今夜はカーチャ

2016-05-23 22:55:00 | 音楽
カーチャ・ブニアティシヴィリ(Khatia Buniatishvili)をご存知ですか。私は知りませんでした。

マリリン・、モンローが着るような凄いドレスです。豊満な乳房の谷間を露わにし、大きく開けた背中から、悩ましいヒップラインを強調するその座りかた、演奏中には太ももまで覗かせます。マリリン・、モンローよりずっと肉感的でセクシャルです。

顔もいわゆるモデル顔ではないが、大造りの造作で個性的な美人です。パーティなんぞで彼女を伴ったら、万座の注目を集めること間違いなし。大輪のバラといったところで、シャルル・デュトワもズービン・メータも鼻の下が伸びきっているが、これはしかたがない。日本には絶対いないタイプですね。

かんじんの音はどうなんだ? そうかな、音だけがかんじんかな? そういう人は、マリリン・、モンローって、ああ見えてほんとうは聡明な人でね、とか講釈垂れるんだろうな。一言でいうと、しゃらくさいですね。

おっと、違う違う、カーチャの音を一言でいうと、荒々しい。繊細な美しさはありません。乱暴なだけという声も出るでしょう。でも、乱暴なほど荒々しいピアノもたまにはいいじゃないですか。

私はどうもキース・ジャレッドが好きになれなくて、もったいつけんなよ、そこで溜めんなよ、ジャズピアノはもっとピラピラ弾くもんじゃねえのかと悪態つきたくなります。

くだらない話をすみません。とにかく、カーチャはフォトジェニック。カメラが嬉しそうに舐めまわしています。ピアニストにしておくのは惜しいくらい。ぜひ、映画に出てほしいものです。

Khatia Buniatishvili - Liszt Piano Concerto No. 2 in A major, S. 125


Khatia Buniatishvili Chopin Piano Concerto No. 2 Op. 21 in F minor


[HD] Khatia Buniatishvili - Tchaikovsky Piano Concerto No. 1 in B flat minor, Op. 23 ~ Zubin Mehta


ノ、ノーパン?

(敬称略)
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愛の嵐 2 望みは何かと訊かれたら

2016-05-22 10:52:00 | レンタルDVD映画
前回は、強制収容所の生き残りであるユダヤ人少女ルチア(シャーロット・ランプリング)が、親衛隊の将校クラブで歌い踊る回想シーンのところまで。

Il Portiere di notte - The Night Porter (1974 ) wenn ich mir was wünschen dürfte (HD)


ルチアの元歌は、マレーネ・デートリッヒ(Marlene Dietrich)が十八番とする「望みは何かと訊かれたら」( Wenn Ich Mir Was Wunschen Durfte)です。

Marlene Dietrich - Wenn Ich Mir Was Wunschen Durfte


「聴いていると自殺したくなる歌」として有名なダミアの「暗い日曜日」に勝るとも劣らない暗い旋律と歌いかた、そして絶望的な歌詞です。

望みは何かと訊かれたら

私たちにまだ顔がなかったとき、
誰もそう尋ねてはいませんでした
私たちはむしろ
生きているのかどうか
自身に尋ねていました

いま、私は大都市の郊外を彷徨い歩いています
彼女が私を愛していたかどうか、私は知りません
私は家々のドアや窓からリビングルームに
彼女の姿を探しています
そして私は待っています
何かを待っています

望みは何かと訊かれたら
やっかいに感じて
わからないと答えるだけ
良いときもあれば
悪いときもあるから

望みは何かと訊かれたら
小さな幸せとでも言っておくわ
だってもし幸せ過ぎたら
悲しい昔が恋しくなってしまうから

(くりかえし)


デートリッヒの歌声は、凄絶というよりぞっとします。有名な「リリー・マルレーン」をはじめとして、ピート・シーガーの「花はどこにいった」やボブ・ディランの「風に吹かれて」などの「反戦歌」を歌ったことで知られるデートリッヒですが、この歌の方がはるかに厭戦気分を誘います。ところで、芸人根性をみせたつもりか、皮肉のつもりか、その両方か、意外な深々90度お辞儀。食えないばあさんでです(※Google翻訳のドイツ語訳と英語訳を合わせて「超訳」していますので、間違いがあると思います、為念)。

「愛の嵐」や「望みは何かと訊かれたら」をGoogle検索してみると、いろいろ出てきました。やはり、1970年代に女性たちにかなりの衝撃と影響を与えた映画であり、歌だったようです。

まずは、岩谷時子作詞、菅原洋一歌唱の「愛の嵐」。

どうぞ捨てて下さいと お前は瞳に涙うかべて
おとな二人泣きながら 酒をあびる嵐の夜よ
二度と甘い夢なんて 僕達は見ないはずなのに
こんな哀しい恋をして お前を泣かせた
忘れてほしいと 云ったお前が
胸にすがりついて 紅い爪あと
許しておくれこの罪を 別れの朝は訪れても
明日からはもう来ない やさしい目ざめよ
やせた背中紫の じゃのめの傘をひとりさして
今朝ははかない足どりで お前はどこへ行くのだろう
なにもきかない約束を させた心のいじらしさに
みんな捨てて呼びとめて お前を抱きたい
忘れはしないさ きっと死ぬまで
ぼくが愛したのは お前がひとり
許しておくれこの罪を 別れの影におびえながら
いつかすぎた年月よ やさしい目ざめよ
いつかすぎた年月よ やさしい目ざめよ


「愛の嵐」というタイトルはもちろん、「紅い爪あと」「傘」「今朝ははかない足どりで」「許しておくれこの罪を」などなど、この映画から借りたはずのモチーフが散見できます。ただし、映画「愛の嵐」の日本公開は1975年、菅原洋一「愛の嵐」シングルの発売は1974年と一年前で勘定が合いません。岩谷時子は翻訳詞でも有名なので、いち早く海外で観ていたのかもしれない。そうでなければ、偶然の一致にもほどがあります。

この映画からインスパイアされたと思われる小説『望みは何と訊かれたら』(小池 真理子)もあった。未読だが、革命運動の果ての粛清リンチから逃走した二十歳の沙織を匿ってくれた男との再会から恋へいうあらすじを読むと映画をなぞったみたい。

もしかしたら、映画「愛の嵐」より、小池真理子の小説から引用したのかもしれないが、中島みゆきにも、こんな歌詞があります。ふつう、「訊(き)かれたら」とは使わないでしょう。

望みは何かと訊(き)かれたら 君がこの星に居てくれることだ荒野より

ついでに、現代女性にも定着している例を。

お客様センターに連絡すると、お客様のお望みは何かと聞かれ、自分でも訳が分からなくなってしまい、悔しくて半泣きになり、思うように伝えられなくなってしまいました。

さて、強制収容所のユダヤ人少女ルチアは生き残って、いまでは高名なオペラ指揮者の妻に納まっているのだが、この指揮者が指揮するモーツァルトの「魔笛」の演奏シーンが繰り返し登場します。「魔笛」にもこんなセリフがあります。

沈黙の業に落第したパパゲーノが神殿に近寄れずうろついていると、神官がやってきて、お前の望みは何かと尋ねる。パパゲーノは恋人か女房がいればいいのに、というと先程の老女がやってきて、私と一緒になると誓わないと地獄に落ちると脅かす。パパゲーノがとりあえず一緒になると約束すると、老女は若い娘に変身する。「パパゲーノ!」と呼びかけ、パパゲーノは彼女に抱擁をしようとするが、神官がパパゲーノにはまだ早いと彼女を連れ去る。

この項まだまだ続きます。終わらないか、途中で投げ出しそうです。

(敬称略)
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こんなんでましたあの続き

2016-05-21 16:19:00 | ノンジャンル
STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/bizjournal-23074/1.htm

小保方さんとSTAP細胞が世間的にはほとんど否定された後も、理研は特許申請を取り下げなかったので、「だから、(STAP細胞は)ある」と頑固に言い張っていた人もいました。なるほどねえ。ノーベル賞とか、科学者の倫理とか、青少年に与える夢とか、そういうところで、すでに研究は左右されるものではないようです。なによりも、ビックマネーを生むかもしれぬビックビジネスなんですね。気の毒に。

STAP問題、小保方氏犯人説を否定する検察判断…嘘広めたNHKと告発者の責任問われる
http://biz-journal.jp/2016/05/post_15165.html

地検が窃盗を否定したというニュースは結構なんですが、このジャーナリスト氏の論法や口調は小保方氏を追い詰めたそれとほとんど同じです。今度は若山研が標的かとうんざりします。小保方さんをはじめ、関係者のほとんどはビックビジネスの掌で踊らされて気の毒といえないこともありませんが、マスコミだけは「書き得」でけっこう潤ったでしょう。どっちに転んでもお得という。

「親バカ」鈴木敏文の末路
ー息子可愛さで目が曇り「左遷人事」を乱発。カリスマの「負の遺産」は重く、新体制の船出は容易でない。

https://facta.co.jp/article/201606006.html

鈴木敏文の辞任劇については、クマモン自粛するな の「経営理念の違い」、前回のこんなんでましたあ~の「伊藤家との対立」、今回の「親バカ世襲」と3つの見方が出そろいました。さて、どれが真相でしょうか? たぶん、鈴木敏文を知るジャーナリストなら、3つとも多少の偏りはあっても知っていたはずです。「いつ」「どこで」「何を」書くか(書かせてもらうか、書いてと頼まれるか)の違いだけなんですね。

「どこで」という媒体については煩瑣になるので省きますが、「いつ」「何を」に絞ると、時系列を遡れば、「現経営陣が鈴木の世襲を見越した左遷人事に怯えて、創業家の伊藤家と図って鈴木人事案を覆し、自ら辞めざるを得なくした」という安手の「お家騒動」2時間ドラマのようなストーリーができ上がります。3つの見方とも、それなりに説得力はあったのに、物語に落とし込むと、いかにも陳腐にしか思えません。

なんだそんなことかとがっかりさせるのが、メディアの罠でしょう。がっかりした人は世の中たいしたことはないと安心感に浸ることができ、しかし同時に、がっかりしない次なるニュースや記事を求めるわけですから。独りよがりなストーリーを描いて、安易な憶測や臆断をしないことがリテラシーです。想像力? 恐縮ですが、想像力は高みをめざすもので、低きに流れる想像力など聞いたことがありません。

(敬称略)
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