最近、「人間椅子」が youtube で世界的に「発見」されて、ヨーロッパツアーが決まったそうだ。
「人間椅子」インタビュー
https://natalie.mu/music/pp/ningenisu
─アルコールが曲作りにプラスになったことはなかったんですか?
ないです(キッパリ)。それはキッパリ言いますけど、そもそも酒を飲んで曲は作れないですよ。自分の気持ちが楽になるだけで、創造には役に立たないです。
─酒とドラッグはロックではカッコいいものとなってるけど、そんないいもんじゃない、と。
そういうロックの固定観念がありますけど、俺のロックの捉え方が人と違うのかもしれないね。ロックってやっぱり精神の自由さっていうか、それを表すものだと思うんですよ。物事ってだいたい、だんだんアカデミックになってつまらなくなっていくんですけど、ロックはアカデミックにならずにやれるし、素人ががんばればやれる。そこが素晴らしいと思うんだけど、その自由さがセックスとかドラッグとか、そういうところに結びつきがちっていうか、結びついちゃうんだよね。みんな同じもんだと思って。
バンドでは食えないため、かたわら肉体労働で生活費を稼いでいた頃、「職場の人間関係もよくて、毎日が楽しく、酒が美味しくて、それで毎日飲んでいたら」、手が震えて演奏が思うようにできなくなったそうだ。
「アル中」になるのは、何やらストレスや鬱屈を抱えて逃避するためかと思っていたが、そうとばかりはいえないんだな。肉体労働の心地よさやその仲間たちと飲む酒の場の楽しさがわかり、また酒に溺れる人が多いのも知っていたのに、私が下戸のせいかろくに気づかなかった視点だった。
並みのインタビュアーなら、
「生活のために肉体労働をする分、音楽活動ができないストレスが、酒に溺れた要因のひとつだったのではないですか?」
と神妙さを装って尋ねるところだが、さすが吉田豪はそうはしない。
そう訊けば、「それはあるかもしれない」と和嶋慎治は不承不承答えるかもしれないが、それでは対手の思考の幅を拡げる「たられば」の問いにはならず、こちら側の「アル中=疾病」という予断への誘導を意図するものになる。インタビュアーに誘導尋問は禁物なのだ。
そうした「想定問答」にも和嶋は、後段の「生活と音楽」を語るなかで、「どちらか」ではなく「どちらも」であると、きちんと答えている。「問わず語り」とはたがいの知性に信頼関係があって成り立つもの。「対談」といえるほど優れたインタビューとなっているわけだ。
それとは真逆なのが、TVのニュース画面で連発される、「総理!~について、受け止めは?」の「受け止め」です。「バカの体言止め」と世に言われておりますが(ヘイヘイ、アタシもよく「体言止め」しますよ)、インタビュアーとインタビューイ(インタビューされる人)の卑小愚劣な関係性が眼を背けたくなるほど露呈しています。
さて、では、人間椅子をば。どうか検索してほかの曲も聴いてください。
NINGEN ISU / Heartless Scat(人間椅子 / 無情のスキャット)
(敬称略)
で、
「人間椅子」インタビュー
https://natalie.mu/music/pp/ningenisu
─アルコールが曲作りにプラスになったことはなかったんですか?
ないです(キッパリ)。それはキッパリ言いますけど、そもそも酒を飲んで曲は作れないですよ。自分の気持ちが楽になるだけで、創造には役に立たないです。
─酒とドラッグはロックではカッコいいものとなってるけど、そんないいもんじゃない、と。
そういうロックの固定観念がありますけど、俺のロックの捉え方が人と違うのかもしれないね。ロックってやっぱり精神の自由さっていうか、それを表すものだと思うんですよ。物事ってだいたい、だんだんアカデミックになってつまらなくなっていくんですけど、ロックはアカデミックにならずにやれるし、素人ががんばればやれる。そこが素晴らしいと思うんだけど、その自由さがセックスとかドラッグとか、そういうところに結びつきがちっていうか、結びついちゃうんだよね。みんな同じもんだと思って。
バンドでは食えないため、かたわら肉体労働で生活費を稼いでいた頃、「職場の人間関係もよくて、毎日が楽しく、酒が美味しくて、それで毎日飲んでいたら」、手が震えて演奏が思うようにできなくなったそうだ。
「アル中」になるのは、何やらストレスや鬱屈を抱えて逃避するためかと思っていたが、そうとばかりはいえないんだな。肉体労働の心地よさやその仲間たちと飲む酒の場の楽しさがわかり、また酒に溺れる人が多いのも知っていたのに、私が下戸のせいかろくに気づかなかった視点だった。
並みのインタビュアーなら、
「生活のために肉体労働をする分、音楽活動ができないストレスが、酒に溺れた要因のひとつだったのではないですか?」
と神妙さを装って尋ねるところだが、さすが吉田豪はそうはしない。
そう訊けば、「それはあるかもしれない」と和嶋慎治は不承不承答えるかもしれないが、それでは対手の思考の幅を拡げる「たられば」の問いにはならず、こちら側の「アル中=疾病」という予断への誘導を意図するものになる。インタビュアーに誘導尋問は禁物なのだ。
そうした「想定問答」にも和嶋は、後段の「生活と音楽」を語るなかで、「どちらか」ではなく「どちらも」であると、きちんと答えている。「問わず語り」とはたがいの知性に信頼関係があって成り立つもの。「対談」といえるほど優れたインタビューとなっているわけだ。
それとは真逆なのが、TVのニュース画面で連発される、「総理!~について、受け止めは?」の「受け止め」です。「バカの体言止め」と世に言われておりますが(ヘイヘイ、アタシもよく「体言止め」しますよ)、インタビュアーとインタビューイ(インタビューされる人)の卑小愚劣な関係性が眼を背けたくなるほど露呈しています。
さて、では、人間椅子をば。どうか検索してほかの曲も聴いてください。
NINGEN ISU / Heartless Scat(人間椅子 / 無情のスキャット)
(敬称略)
で、