若い頃、中野の3畳間に住んでいたことがある。正確には野方に近いが、北口や中野ブロードウェイはよく歩いた。先日、久しぶりに中野駅北口に降りた。店名はずいぶん変わっていたが、居酒屋やラーメン屋などが相変わらず多い。
狭い北口ロータリーで居酒屋のビラ配りにまじり、千葉動労の組合員が2人。11/2日比谷野音集会への参加を呼びかけていた。2人とも40代後半か50代。人を待つ間、彼らの演説を聞いていた。
「サブプライムとは、貧民をリストアップして狙い撃ちした詐欺商法です」
「法政大学で学生が逮捕弾圧されています」
「蟹工船が多くの若者や労働者に読まれています」
いずれも最近のトピックを使い、なかなかうまい導入だ。アジ演説というより辻説法に近く、中核派も変わったなと感心。もちろん、「共産党宣言を読んでみよう、現代の労働者の置かれている立場がわかるから」とか、「千葉動労はけっして労働者を裏切らない組合です」などと続き、ビラを受け取る人もまれだった。
次の言葉が耳に残った。「労働者は握った手を離してはいけない」
豪雨が近いことを知らせるように雷が響く黄昏の駅前ロータリー、自宅や会社へ足早に急ぐ人たちに、11/2集会へ参加する人はおそらく一人もいまい。ふと、石川啄木の「はたらけど/はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり/ぢつと手を見る」という有名な歌が甦った。「ぢつと手を見る」の手とは、労働者が結び合い握り合う手なのだと思えた。それは離してしまった手に思えた。
千葉動労の2人は握り合った手を空に上げ、空いた手をロータリーを行き交う人々に伸ばしているのだろう。人々はその手に傘を握り、鞄を持ち、煙草を指し、ワンカップの酒をつかみ、俺ときたら今川焼きを両手で覆っている。そして、空いた手にはきまって携帯電話を握っている。立ち止まったときは、携帯電話の画面を「ぢつと」見ている。そこに、生命線や感情線、知能線、結婚線が描かれてあるかのように。
狭い北口ロータリーで居酒屋のビラ配りにまじり、千葉動労の組合員が2人。11/2日比谷野音集会への参加を呼びかけていた。2人とも40代後半か50代。人を待つ間、彼らの演説を聞いていた。
「サブプライムとは、貧民をリストアップして狙い撃ちした詐欺商法です」
「法政大学で学生が逮捕弾圧されています」
「蟹工船が多くの若者や労働者に読まれています」
いずれも最近のトピックを使い、なかなかうまい導入だ。アジ演説というより辻説法に近く、中核派も変わったなと感心。もちろん、「共産党宣言を読んでみよう、現代の労働者の置かれている立場がわかるから」とか、「千葉動労はけっして労働者を裏切らない組合です」などと続き、ビラを受け取る人もまれだった。
次の言葉が耳に残った。「労働者は握った手を離してはいけない」
豪雨が近いことを知らせるように雷が響く黄昏の駅前ロータリー、自宅や会社へ足早に急ぐ人たちに、11/2集会へ参加する人はおそらく一人もいまい。ふと、石川啄木の「はたらけど/はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり/ぢつと手を見る」という有名な歌が甦った。「ぢつと手を見る」の手とは、労働者が結び合い握り合う手なのだと思えた。それは離してしまった手に思えた。
千葉動労の2人は握り合った手を空に上げ、空いた手をロータリーを行き交う人々に伸ばしているのだろう。人々はその手に傘を握り、鞄を持ち、煙草を指し、ワンカップの酒をつかみ、俺ときたら今川焼きを両手で覆っている。そして、空いた手にはきまって携帯電話を握っている。立ち止まったときは、携帯電話の画面を「ぢつと」見ている。そこに、生命線や感情線、知能線、結婚線が描かれてあるかのように。