谷岡郁子・至学館大学長のド迫力会見 「伊調馨さんは選手なんですか?」
https://www.j-cast.com/2018/03/15323773.html?p=all
至学館大学長 怒りの反論「うちの栄和人にパワーない。だからパワハラもない」
https://www.j-cast.com/tv/2018/03/16323840.html
昼のワイドショーで放映した至学館大の谷岡郁子学長の記者会見は、まさに「ブーメラン」でした。いや、ブーメランは投げてから弧を描いて返ってくるまで少し時間がかかるものですが、視聴者からみれば、投げたとたん、もうおでこにぶち当たっているくらいの感じでした。
彼女は栄監督の伊調馨選手へのパワハラとされる行為のうち、彼女に練習場を使わせなかったという件について、こう述べました。
「もし母校である至学館で練習する必要があるなら、私たちはいつでも歓迎である旨は申しました。栄監督が率いるレスリングチームの道場は彼個人のものではない。私が『使わせる』と言えば、伊調馨さんはいつでも使うことができます」
伊調選手を練習場から排除したことを認めてしまっていますが、まあ、ここまではよいでしょう。
「また、その程度のパワーしかない人間なんです、栄和人は。パワーのない人間によるパワハラが一体どういうものであるか、私には分かりません」
この記者会見の模様を紹介した後、若手アナウンサーやタレントたち、男女ABCから即座に反論を食らうのです。たとえば、「パワハラは受ける側の認識によるものなのですが」「違和感を感じますね」など、不満げを露わに口をとがらせて。こういうところがTVの醍醐味ですね。言外の表情や口調がより多くを伝えてしまうのです。つまり、彼らにとって、谷岡郁子は「パワーのない人」なのです。どこかの無名の田舎大学の旧弊なおばさんに過ぎないのです。
中京女子大と名乗っていたころから、私は谷岡郁子学長の名は存じ上げていました。中京の教育界ではだれ一人知らぬ者ない女傑であり、自民党で議院議員もつとめ、小沢一郎に民主党から出馬してくれないかと口説かれたこともあるほど、全国区並みの有名人でもあります。学長職を世襲してから、中京女子大から改名した至学館大に女子レスリング部を創部して、オリンピック選手を次々に輩出するほどの名門大に育てた手腕は揺るぎないものでしょう。これまではどこに行っても、下へも置かぬ扱いをされたはずです。
日本レスリング協会の強化委員長を兼ねるとはいえ、自分の大学の女子レスリング部を束ねる栄監督などは、使用人の一人くらいの認識なのかもしれません。だから、選手たちの評判と他者の口を借りながらも、「小心者、臆病、メンタル弱い、チキンハート」だから、「今回の騒動でろれつが回らなくなるほど、心身がボロボロになってしまった」とかばっているつもりで、我知らず貶めてしまうのでしょう。その傲岸不遜な顔つきと「パワハラ」な物言いをTV画面は雄弁に語ってくれました。
(週刊文春といい、TVのニュースショーといい、どっちがパワハラなのよ!)と今頃、周囲に当たり散らしているかもしれません。
谷岡郁子学長を非難めいた口調で詰った若手アナウンサーたちもまた、「パワーのない人」であることは言うまでもありません。すなわち、パワーもそれに付随するハラスメントも、立場によってもたらされるものに過ぎません。肩書に代表されるような立場の優位性を自身の正しさや影響力によるものと過信する愚かさが、「パワハラ」の正体であることをあらためて確認しました。
そして、日本の社会が立場という人間関係性によって駆動する型であることで、「パワハラ」のみならず、「忖度」などが法治を越えて横行する病いに罹患していることも理解できるのです。
さらにいえば、パワーの裏付けが立場でしかないなら、その立場を与えているものが真にパワーを持つもののはずですが、どんどん上流に遡っていっても、その正体が不明なのです。日本という立場を与えているのは誰でしょうか? あるいは、日本という立場を与えてもらいたがってはいないでしょうか?
(敬称略)
https://www.j-cast.com/2018/03/15323773.html?p=all
至学館大学長 怒りの反論「うちの栄和人にパワーない。だからパワハラもない」
https://www.j-cast.com/tv/2018/03/16323840.html
昼のワイドショーで放映した至学館大の谷岡郁子学長の記者会見は、まさに「ブーメラン」でした。いや、ブーメランは投げてから弧を描いて返ってくるまで少し時間がかかるものですが、視聴者からみれば、投げたとたん、もうおでこにぶち当たっているくらいの感じでした。
彼女は栄監督の伊調馨選手へのパワハラとされる行為のうち、彼女に練習場を使わせなかったという件について、こう述べました。
「もし母校である至学館で練習する必要があるなら、私たちはいつでも歓迎である旨は申しました。栄監督が率いるレスリングチームの道場は彼個人のものではない。私が『使わせる』と言えば、伊調馨さんはいつでも使うことができます」
伊調選手を練習場から排除したことを認めてしまっていますが、まあ、ここまではよいでしょう。
「また、その程度のパワーしかない人間なんです、栄和人は。パワーのない人間によるパワハラが一体どういうものであるか、私には分かりません」
この記者会見の模様を紹介した後、若手アナウンサーやタレントたち、男女ABCから即座に反論を食らうのです。たとえば、「パワハラは受ける側の認識によるものなのですが」「違和感を感じますね」など、不満げを露わに口をとがらせて。こういうところがTVの醍醐味ですね。言外の表情や口調がより多くを伝えてしまうのです。つまり、彼らにとって、谷岡郁子は「パワーのない人」なのです。どこかの無名の田舎大学の旧弊なおばさんに過ぎないのです。
中京女子大と名乗っていたころから、私は谷岡郁子学長の名は存じ上げていました。中京の教育界ではだれ一人知らぬ者ない女傑であり、自民党で議院議員もつとめ、小沢一郎に民主党から出馬してくれないかと口説かれたこともあるほど、全国区並みの有名人でもあります。学長職を世襲してから、中京女子大から改名した至学館大に女子レスリング部を創部して、オリンピック選手を次々に輩出するほどの名門大に育てた手腕は揺るぎないものでしょう。これまではどこに行っても、下へも置かぬ扱いをされたはずです。
日本レスリング協会の強化委員長を兼ねるとはいえ、自分の大学の女子レスリング部を束ねる栄監督などは、使用人の一人くらいの認識なのかもしれません。だから、選手たちの評判と他者の口を借りながらも、「小心者、臆病、メンタル弱い、チキンハート」だから、「今回の騒動でろれつが回らなくなるほど、心身がボロボロになってしまった」とかばっているつもりで、我知らず貶めてしまうのでしょう。その傲岸不遜な顔つきと「パワハラ」な物言いをTV画面は雄弁に語ってくれました。
(週刊文春といい、TVのニュースショーといい、どっちがパワハラなのよ!)と今頃、周囲に当たり散らしているかもしれません。
谷岡郁子学長を非難めいた口調で詰った若手アナウンサーたちもまた、「パワーのない人」であることは言うまでもありません。すなわち、パワーもそれに付随するハラスメントも、立場によってもたらされるものに過ぎません。肩書に代表されるような立場の優位性を自身の正しさや影響力によるものと過信する愚かさが、「パワハラ」の正体であることをあらためて確認しました。
そして、日本の社会が立場という人間関係性によって駆動する型であることで、「パワハラ」のみならず、「忖度」などが法治を越えて横行する病いに罹患していることも理解できるのです。
さらにいえば、パワーの裏付けが立場でしかないなら、その立場を与えているものが真にパワーを持つもののはずですが、どんどん上流に遡っていっても、その正体が不明なのです。日本という立場を与えているのは誰でしょうか? あるいは、日本という立場を与えてもらいたがってはいないでしょうか?
(敬称略)