コタツ評論

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戦争にチャンスを

2017-04-21 20:44:00 | 政治
今日では、あまりにも多くの戦争が「終わることのない紛争」になってしまった。その理由は、外部からの介入によって、「決定的な勝利」と「戦争による疲弊」という二つの終戦要因が阻止されるからだ。

押しつけられた休戦は、(その後の和平交渉がなされなければ)人為的に紛争を凍結することになり、平和につながる敗戦の否認を劣勢側に許し、戦争状態を永続化させてしまうのだ。

国連の難民救済活動においては、紛争勃発直後に発生した難民に対し、本国への送還、現地での定住、もしくは他国への移住を迅速に実現させ、半永久的な難民キャンプの設立を禁止するような、新たなルールづくりが必要だ。

NGO活動の多くは、結果的に、活動的な戦闘員を供給しているのである。彼らは、そもそも武器をもたないので、自らが支援する食糧配給所、病院、保護施設から、現地の武装した戦闘員を排除できない。

難民は、基本的に戦闘で敗れた側の人々によって構成されているので、そのなかの戦闘員は、基本的に、「撤退戦」を行っているに等しい。ところが、ここでNGOが彼らの支援のために介入することによって、敵側が決定的な勝利を収めて戦争を終わらせる、というプロセスを構造的に妨害してしまうのである。



JR中央線豊田駅前の啓文堂という新刊書店に立ち寄ってみたら、分野別棚づくりに新旧話題の本を揃えていて感心した。写真は、「資本主義」のコーナーに並んだ書籍の一部である。

グローバリズム下の格差社会を喝破して話題になったピケティの大冊から、ノーベル経済学賞を受けたスティグリッツ、クリントン政権の労働長官だったロバート・ライシュなど、入門書から専門書まで幅広く「資本主義本」を並べている。昔、お世話になったマーケティングの大家コトラーの「資本主義に希望はある」に微笑んでしまった。

その「軍事」コーナーで、エドワード・ルトワックの『戦争にチャンスを与えよ』(文春新書)という書名に惹かれて買ってみた。北朝鮮や中国の脅威に対し、「開戦前夜」を煽るような便乗本を少なからず見かけたが、奇をてらったような書名ながら、大真面目な本だった。上記は、同書からの引用である。

著者はアメリカの軍事・戦略の専門家として、コソボ内戦を中心に、南スーダンやソマリアなど多くの紛争地域の戦場を直接見聞してきた。「戦争の目的は平和である」というパラドックスから説き起こし、「決定的勝敗と疲弊なくして終戦はない」という終戦の構造に踏み込み、何が誰が終戦から平和への道を阻害しているか、名指して手厳しく批判している。

外交専門誌として名高い「フォーリン・アフェアーズ FOREIGN AFFAIRS 」に掲載されて話題となった論文を中心に、著者の軍事や戦略エッセイが盛りだくさんで、日本の安全保障環境に関するトピックも多く取り上げられ、嬉しいことに信玄・家康・信長などの軍略への言及まである。

ただし、フォーリン・アフェアーズ論文には、「日本」は一言も出てこない。だが、決定的に敗北して、主要都市が焦土化し、アジア最貧国に近く経済が疲弊し、終戦を迎えるや復興と再建にいち早く取り組み、70年の平和の下、経済大国になった日本に、論文の実証を負わせていることは一読瞭然だろう。

おっと、大事なことを忘れていた。60年安保紛争で退陣した岸信介首相が敷き、その孫である安倍首相に引き継がれているという、日本の「選択的独立」という耳慣れない言葉が出てくる。

(敬称略) 




春キャベツの千切り

2017-04-17 21:51:00 | 食べ物


柔らかくほのかに甘い春キャベツの時期である。よって、今日の晩飯の献立は、イワシのフライと春キャベツの千切りと豚肉炒めと春キャベツの千切り、である。春キャベツを中濃ソースと醤油で食べる。豚肉炒めと春キャベツの千切りは亡き母がよく作ってくれた。食べ盛りの中学生の頃は、これでご飯の3杯くらいは軽かったものだ。

豚肉炒めと春キャベツの千切りのレシピ

亡き母の思い出の料理であるが、じつは料理というほどのものではない。フルタイムで働いていた母が買い物袋を下げて急ぎ帰ってきて、雛鳥のように大口を開けて待っている私と弟に手早く突っ込む餌である。手間はかけられない。10分でできる。

材料:春キャベツ1個。豚肉細切れ200gはブランド豚ではなく安い油身の多いものがよい。カレー粉。味の素。

調理:春キャベツを千切りにする。糸のように細く切る必要はまったくない。ザクザク適当に百切りくらいでよい。炒めた豚肉を千切りキャベツの山に載せる。これだけである。間違ってもスーパーで出来合いのキャベツ千切りパックを使ってはならない。だいたいが手抜き料理なのだから、そこまで手を抜いては料理とは呼べない。

盛り付け:水を切った千切りのキャベツの上に、フライパンから熱々の豚肉をあけたら、SBのカレー粉を振る。この料理で一番高価な素材であるが、惜しみなくまんべんなく振る。ちょっとダマになっても気にしない。その上に、味の素をやはりまんべんなく振りかける。「味の素はちょっと」という人はこの料理を作らなくてけっこう。味の素は欠かせない。最後に醤油をぐるりとかけ回す。

食べ方:豚肉1に対してキャベツの千切り5くらいの比率で箸でまとめて頬張る。続いて飯を口に運ぶ。豚の油と醤油とカレー粉が混じり合い、爽やかな春キャベツの青味を引き立てる。1:5の割合で豚春キャベツと炊き立てご飯を交互に口に運ぶという幸せな作業。味の素の役割はよくわからないが、味の素抜きで作ってみたら、別物のように味気なかった。

注意点:とり分けるなんてあり得ない。ばあちゃんは小皿で、なんてダメ。父ちゃんは晩酌中止。家族それぞれが飯の入った茶碗を片手に、もう一方の手に箸を握って待つという態勢でなければならない。そこへ大皿が置かれ、カレー粉の香りが漂い。各方向から箸が伸びる。今宵の主役の春キャベツに。

そういえば、今日は母の命日だった。

島津亜矢 ★帰らんちゃよか


(敬称略)


極東サクセスストーリー

2017-04-11 11:14:00 | ノンジャンル
野村氏「日本に来られて幸運だった」
呪縛を超える(5)
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO14725330Q7A330C1I00000/

日本の大学の学費はずいぶん高くなった。おかげで、大学進学をあきらめてしまう家庭の子も多い。とても大学に進むような家庭環境ではなかったところから、優れた人材が出てくる事例は少なくない。大学進学は当然のこと、周囲は東大卒ばかりという最優秀はアメリカに行くがいい。そうではない貧家の秀才や愛すべき凡才(ぼんくら)に道を開くのが本当の教育機会というものであり、それを世界に向けても開くのが日本の道ではないか。移民排斥気運が高まっているヨーロッパからなら、最優秀の人材であっても今なら獲得可能なのだが、大学や企業にそうしたグローバルな生存戦略の視点は乏しい。

マラソンの人

2017-04-09 00:04:00 | ノンジャンル
数10年前、今では西東京市となった、かつての保谷市に住んでいた頃、ちょっと変わった風体のマラソンじじいをよくみかけた。

180cmを越える長身に痩身、白くなった長髪を後ろで結び、眼鏡をかけているのだが、その顔のほとんどを覆った白い髭が人目を引く。髭の束の先は胸元まで伸びている。中国の仙人のような顎髭が向かい風になびくほど長いのだ。

夕方、保谷市の温水市民プールに通い出すと、マラソンじじいが水泳も日課にしていることを知った。肋骨が浮き出た薄い胸で平泳ぎに励んでいる。ランニングと同じく、とても達者とはいえない泳ぎ方だった。

大人になってスポーツを覚えた人はすぐに見分けられる。子どもの頃にスポーツが得意だったり、学校の部活動で身につけた人とは違って、独学したせいか、どこか無様で滑稽なところがあるものだ。

マラソンじじいは後ろから泳ぎ出したおばさんに追いつかれながらも、休みなく25mプールを何往復もしていた。保谷市の市民プールはシニア用に往復の2コースが確保されていて、間隔をあけて順番に泳いでいくのだった。

毎日、走った後に泳ぎに来ているようで、冬でも短パンのランニング姿でやってくる。いつも一人。誰とも言葉を交わす様子はなかったが、かといって、偏屈ではないようだった。子どもが、「こんばんは」と挨拶すると、驚いたように目を見開き、「ああ、こんばんは」とけっこう大きな声で返した、その瞳は意外に明るかった。

しかし、私はこのマラソンじじいにたいてい舌打ちしていた。汚いのである。最初に見かけたのが冬だったせいもある。白髭をたなびかせて、白い息を吐きながら向こうからやってくるじじいが横を通り過ぎるとき、その髭に洟がぶら下がっているのに気づいたのだ。

それから何度も見かけたが、たいていの場合、鼻髭か顎髭、ときには両方に洟が糸を引いていた。その洟垂れ髭のマラソンじじいにプールでも会ったのだ。平泳ぎするじじいが息を吸い込むために顔を上げたとき、濡れた白髭にはやっぱりゼラチン状の洟が光っていた。

(きったねえじじいだな)(そばに来るんじゃねえよ)と舌打ちしたくなるほど、しかめ面したのもわかるはずだ。もちろん、私だけでなく、じじい以外の誰もがそれに気づいていた。

その頃は、フリーライターのかたわら、虎ノ門にあるシンクタンクの下請け仕事をしていた。新設されたNPO法人のヒアリングをしたり、消費者アンケート調査の分析をまとめたり、雑誌記者の取材の延長のようなものだ。

「君はたしか保谷に住んでいたな」と上司であり、親しい先輩でもあるM氏から聞かれた。大学の先輩ではない。仕事や人生の先輩と思っていた。市民政党の政策作りに関わる在野の政治学者であり、市民運動の組織づくりや選挙運動にも通暁した実践家でもあった。

「うざわこうぶんがあのあたりに住んでいるんだが、知ってる?」「いや、誰ですか? それ」「いま、うざわこうぶんと勉強会やっていて、最近、ちょくちょく会ってるんだよ。昨夜も飲んだんだが、社会的共通資本って言葉がよく出てきてな」。と社会的共通資本について、ひとわたりレクチャーを受けた。

後日、朝日新聞にうざわこうぶんの写真入り談話が掲載されて、「あのきったねえ、洟垂れ髭のマラソンじじい」が宇沢弘文という高名な経済学者であることを知った。

休日に探してみたら、家には見覚えがあった。家の前にポリボックスが設置され、警官が一人立っていたからだ。成田空港問題の調査委員を務めていたので、過激派の襲撃に備えて、護衛のために設置されたのだろう。ポリボックスと警官の立姿がそぐわない質素な小さな家だった。

「これは僕の人生にとってとにかくやらなくちゃいけないことなんだ」(「とにかく」に傍点)

村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」を読んでいたら、毎日一時間走るという日課について、長編小説を書くため、書き続けるため、有酸素運動がもたらすいろいろな心身の効用を並べながら、最後に村上はこう述べているのだ。

この言葉を読んだとき、白い息と洟垂れ髭を振りながら、懸命に走っていた、あの「マラソンじじい」を思い出したのである。

(敬称略)

希望と現実

2017-04-06 04:21:00 | 政治
下は某大学教授のツイッターからの引用です。この教授についてまったく知らないが、教育勅語をめぐる典型的な言説のひとつではないかと思います。

「良いことも書いてある」から道徳の教材に使うことも否定しない、と言われる教育勅語ですが、そもそもこの文書はたんなる「道徳訓」ではありません。教育勅語の核心的な中身は、「もし天皇の身と地位に何かあれば、臣民である国民は命をかけて戦いなさい」というところにあるのです。

残念ながら、ほとんど全行にわたって頷けません。

>「良いことも書いてある」からと言われる教育勅語

たいていの場合、政府自民党の議員や要職から、「教育勅語には良いことも書いてある」といった発言が出て、野党や新聞マスコミなどがこれに反発するという前景があります。

教育勅語が出されたのは1890年、127年前です。自民党政治、および今日に至る政治体制が確立したとされる1955年体制から62年を経てもなお、「良いことも書いてある」という倫理道徳に関わるテキストを生み出せなかった背景があります。

換言すれば、我が国の選良、なかんずく、政治指導者の多くが国民道徳を蔑ろにしてきたか、少なくとも無関心を続けてきたとしか考えられません。

とすれば、127年前の「道徳訓」をひっぱり出す方はもちろん、それを批判する野党やその同伴者である朝日新聞なども、国民道徳を云々する資格はないと言わざるを得ません。

また、道徳訓として「良いことも書いてある」から今日でも有用であるというなら、まず、現在、国民間から道徳が地を払っている証拠を提示しなければなりません。

先進国中、もっとも治安がよい国のひとつであり、殺人など重大犯罪についても、とりわけ若年層で減少している我が国のいったいどこの誰に、道徳が必要とされているのか、説得力ある事例やデータを出さなければなりません。

>「もし天皇の身と地位に何かあれば、臣民である国民は命をかけて戦いなさい」

たいていの場合、野党や新聞マスコミなどが教育勅語を批難するときに、指摘されるのがここです。教育勅語は「良いことも書いてある」が、「核心的な中身」がこれだからダメなのだということです。

127年前、明治天皇が金正恩のような独裁者で大日本帝国が現在の北朝鮮のような国であったのなら、この指摘は頷けるものであり、同時に今日ではとうてい受け入れることはできない一文です。

最近、作家の高橋源一郎さんが教育勅語を現代語訳しましたが、これにも同様な記述がありますので、この機会に通読してみてください。

高橋源一郎 (@takagengen) | Twitter
https://twitter.com/takagengen/

①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」

②きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです

③「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」

④「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」

⑤「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」

⑥「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです

⑦「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」

⑧「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」

高橋源一郎さんの文学エッセイは愛読してきたのですが、この現代語訳にはやはりまったく頷けません。教育勅語には、こんなことは書かれていない、と言いたいくらいです。では、教育勅語の原文を以下に引きます(漢文調の名文のリズムを損なわないために、ルビを併記しています)。

朕ちん惟おもうに、我わが皇祖こうそ皇宗こうそう、国くにを肇はじむること宏遠こうえんに、徳とくを樹たつること深厚しんこうなり。我わが臣民しんみん、克よく忠ちゅうに克よく孝こうに、億兆おくちょう心こころを一いつにして、世世よよ厥その美びを済なせるは、此これ我わが国体こくたいの精華せいかにして、教育きょういくの淵源えんげん、亦また実じつに此ここに存そんす。爾なんじ臣民しんみん、父母ふぼに孝こうに、兄弟けいていに友ゆうに、夫婦ふうふ相あい和わし、朋友ほうゆう相あい信しんじ、恭倹きょうけん己おのれを持じし、博愛はくあい衆しゅうに及およぼし、学がくを修おさめ業ぎょうを習ならい、以もって智能ちのうを啓発けいはつし、徳器とっきを成就じょうじゅし、進すすんで公益こうえきを広めひろめ、世務せいむを開ひらき、常つねに国憲こっけんを重おもんじ、国法こくほうに遵したがい、一旦いったん緩急かんきゅうあれば、義勇ぎゆう公こうに奉ほうじ、以もって天壌てんじょう無窮むきゅうの皇運こううんを扶翼ふよくすべし。是かくの如ごときは、独ひとり朕ちんが忠良ちゅうりょうの臣民しんみんたるのみならず、又また以もって爾なんじ祖先そせんの遺風いふうを顕彰けんしょうするに足たらん。

斯この道みちは、実じつに我わが皇祖こうそ皇宗こうそうの遺訓いくんにして、子孫しそん臣民しんみんの倶ともに遵守じゅんしゅすべき所ところ。之これを古今ここんに通つうじて謬あやまらず、之これを中外ちゅうがいに施ほどこして悖もとらず。朕ちん爾なんじ臣民しんみんと倶ともに拳拳けんけん服膺ふくようして、咸みな其その徳とくを一いつにせんことを庶幾こいねごう。

明治二十三年十月三十日
御名ぎょめい 御璽ぎょじ

臣民と国民

一読すればすぐに、臣民はよく出てくるのに、国民という言葉がないことに気づくことでしょう。言葉が無いのも当然で、まだ日本国民は居なかったと考えられるからです。

明治23年といえば、ついこの間まで江戸時代でした。町民や農民など少なからぬ庶民の間では、まだちょんまげを結っていたそうです。現在から23年前は1994年(平成6)ですから、江戸時代の風俗や文化を色濃く残していたとしても無理はありません。

全国に殿様が数千人もいて、士農工商の身分があり、誰しもそれぞれの家臣や領民だったのが23年前でした。徳川幕府の下に諸藩である薩摩や長州などのいわば地域国家があり、その集合が今日でいう日本の全体像だったわけです。

したがって、先祖代々ずっと「天皇の臣民」だったとは多くの人々にとって初耳だったはずです。しかし、だからこそ、教育勅語が必要でした。国民の教育のために、国民に向けて教育勅語が発表されたという順序ではなく、新しく日本国民となるための教育の一貫でした。

教育勅語の「核心的な中身」、つまり肝はここではないかと私は考えます。私たちにとって、日本国民であることは与件ですが、明治23年の人々にはそうではありませんでした。

教育勅語の前年に大日本帝国憲法が発布されているように、天皇を君主とする立憲君主国家として、歴史始まって以来、初めての国民国家の道を我が国は歩もうとしていたのです。

天皇を君主とする立憲君主国家もじつはその通りではなく、後に「天皇機関説」が出るように、あるいは「国体」という言葉が「国柄」を越えて独り歩きしたように、大日本帝国憲法の法的精神(リーガルマインド)は変質し、教育勅語の国民国家への統合という目的は歪められていきます。

つまり、天皇とはどんな存在であり、日本というのはどういう国なのか、そこに暮らす人々とはどんなに人たちであり、だったのか、という大日本帝国憲法や教育勅語が説く内容は、これすべて虚構であり、そうありたいという切実な願いだったといっても過言ではないでしょう。

たとえば、「夫婦ふうふ相あい和わし」(夫婦が仲良く)というのも、当時の人々は首を捻ったことでしょう。婚姻は当事者同士ではなく家の間で結ばれ、遊郭で女性を買うことが遊びとされ、ちょっとした資産家の間では妾を複数持つことが普通とされていました。

兄弟や友人と同じく、夫婦をかけがえのない組み合わせとするのは、そうした現実にそぐわないものだったはずです。

しかし、植民地帝国主義を掲げる欧米列強の侵略が迫るなか、自主独立を守るためには早急な政治や経済の近代化以外に方策はなく、そうした近代化の前提となる西欧のような国民国家となるには、国民として統合する物語がどうしても必要でした。

それには、たとえ急ごしらえでも天皇を中心とする日本という国民の物語を据えるほかになかった、明治の指導者たちの切実な事情を教育勅語から知ることができます。

もちろん、ついこの間まで土佐藩参政だった板垣退助の自由民権運動があったように、明治に国家主義者だけがいたわけではありません。しかし、それもまた、国民国家の文脈に属すものでしょう。

以上、教育勅語には、「良いことも書いてある」のではなく、「良くも悪くも」そんなに選択肢がいくつもあるような時代でなかったのです。

では、道徳訓として、「良いことも書いてある」という政府自民党も、「悪いことが書いてある」といわんばかりの野党や朝日新聞の、どちらもが間違っているのでしょうか。

前出のツイッターや高橋源一郎さんの意訳に反対するかといえば、私はやはりこれが正しい読み方であると考えます。ひとつには、最近、開戦の詔勅について教えられたからです

開戦の詔勅
http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htmには

1941年(昭和十六)、教育勅語から51年をたち、「一旦いったん緩急かんきゅうあれば、義勇ぎゆう公こうに奉ほうじ」とだけ書かれた、「自主独立」を守る戦いについて、中国との「4年の戦争」を経て、英米との戦争開始を告げています。

教育勅語は、「良いことも書いてある」と一国民としてなら呑気に読めるものですが、開戦の詔勅はそうはいかなかったはずです。切迫した国際環境が具体的に指摘され、「帝国」の危急存亡が繰り返し訴えかけられています。

あえて過言すれば、やはり現在の北朝鮮や金正恩に通じる、強烈な被害者意識による一方的な主張がうかがえます。周囲にほとんど味方がいないというのも共通しています。

教育勅語と開戦の詔勅の異同はいろいろありますが、日付と天皇の署名である御名御璽に注目してください。これも前記の掲示板で教えられたことですが、教育勅語では日付の後に御名御璽が、開戦の詔勅では日付の前に御名御璽があります。

なぜかはわかりません。ただ、格調としては日付の後の教育勅語が上に思え、明治天皇が時空を超越した存在であるかのようです。比べて、日付が後の開戦の詔勅では、昭和天皇が時空に縛られ閉じ込められたようにも感じられます。

二つの勅語を併読すると、「侵略戦争のための軍国主義教育」といった単純な理解は遠のいていきます。二つの勅語は優れて物語だからです。それぞれの異同について、さらにくわしく見てみたい気がしますが、いかんせん、長くなり過ぎました。

ただ、教育勅語が(大日本帝国憲法も)、東洋の小さな島国の希望を表したものとすれば、開戦の詔勅はその後51年にわたる、「血肉」をくわえた無残な現実を示したものといえるでしょう。

その1941年の開戦から1945年の敗戦まで、さらに残酷な現実が積み上げられた記録や記憶を思えば、教育勅語の真實(評価)もまた、そこにあると言わざるを得ません。

(敬称略)