何の気なしに、本棚から手にとって、250円ならいいかと期待せずに読みはじめた、『
20世紀の幽霊たち(20th Century Ghosts)』(J・ヒル 小学館文庫)でしたが……。
序文
クリストファー・ゴールデンという作家が大絶賛していて、この短編集のどの作品にも、「精妙な幽玄」があるといいます。しかし、「幽玄」とはどんな英単語の翻訳なのでしょうか。
著者の謝辞
謝辞に代えて、『シェヘラザードのタイプライター』という短編を書いています。亡き父が愛用したタイプライターが勝手に小説書く幽霊タイプライターの話です。
年間ホラー傑作選
ホラーアンソロジーの編集者が、身震いするほどの傑作の著者を訪ねて味わう恐怖。
二十世紀の幽霊たち映画館に出没する女幽霊と出遭った人々が迎える大団円。
ポップ・アート
風船人との美しくも哀しい友情と別れ。
いなごの歌をきくがよい
カフカの「変身」へというより、「巨大蝗の逆襲」へのオマージュ。
アブラハムの息子たち
父と息子は、たがいを殺し合う憎悪で結ばれている。
うちよりここのほうが
プロ野球監督の父と障害者の息子。「ここ」とは、人気のない野球場。あたたかい交流。
黒電話
アメリカの田舎では、こんな変態殺人鬼がいまだにうろうろしている。
挟殺
野球で塁間に挟まれた走者の絶望感を再び味わう男。
マント
空飛ぶマントを手に入れた男が悪に堕ち不幸になっていく。
末期の吐息
いろいろな人の「末期の吐息」を集めた博物館を訪ねた家族。
死樹
木々の幽霊が出る。実際に目撃されたらしい。
寡婦の朝食
貧しいとは、どれほど恐怖の毎日なのか。しかし、天使はいる。天使の姿をしていないだけだ。
ボビー・コンロイ死者の国より帰る
「ゾンビ」撮影中のトビー・フーパーやジョージ・A・ロメロ監督が登場。
おとうさんの仮面
また父と息子。この父は不在として存在する。
自発的入院
段ボールで巨大な要塞をつくる弟と消えた友だち。
救われしもの
「父」が迷子になる。もともと正しい道を歩いていなかったのだが。
黒電話[削除部分]
前出の『黒電話』で、編集者と相談の上、バッサリ削除した結末を復活させたもの。もちろん私は、削除にも、削除しない、のどちらにも賛成。
どうです。タイトルだけでも、それぞれの短編の世界がバラエティに富んでいることがわかるでしょう。スプラッタもあれば、ファンタジー色が強い作品もあり、人情噺めいたものもあります。最初は、ほんとうに、第一線のホラー作家たちの『年間ホラー傑作選』なのかと思ったほどでした。そして、どれも怖い。日射しに長く伸びた自分の黒い影を見入ってしまうように、怖い。鏡に映る自分の顔にどこか違和感を感じるように、怖い。
収録作品についてのノート
とりたてて、意味もないように思われるメモです。どうして入れたのでしょうか。
訳者あとがき 白石朗
白石朗さんは、名翻訳者ですね。
[解説]ジョー・ヒルという名の希望(ホープ) 東雅夫
この[解説]を読んではじめて知りました。著者のジョー・ヒルは、なんと、スティーブン・キングの次男でした。なんとも出来すぎた話です。世界的な人気作家の息子が33歳(1972年生まれ)のときに上梓した、この短編集『二十世紀の幽霊たち』が出版されるや、批評家や編集者から瞠目され、世界幻想文学大賞やブラム・ストーカー賞や英国幻想文学大賞などを相次ぎ受賞し、デビュー作だけですでに大物作家として遇されているのですから。そして、キングの息子であることは、2007年にゴシップ雑誌が暴露するまで秘匿されていたというのですから。
恐怖や怪奇、怪物などを扱った、いわゆるホラー小説を読むとき、S・キングと比べてどうかと私は必ず考えてしまいます。この分野の小説の怖さや完成度の基準にキングがなっているわけです。異なる作家の違う作品を比較することは無意味だし、まして上下などつけられるわけもないのですが、私だけの読後の満足感と留保すれば、これまでキング以上のものを読んだことはありませんでした。ところが、この短編集の最初の3篇ほどを読んで、すぐに、これはもしかするとキング以上かな、少なくとも以下ではないなと唸りました。スティーブン・キングに比肩する、完成されたスタイルがありました。
新人なのに、名人。デビュー作なのに、完璧。批評家は、絶賛、発売前から、ベストセラー。これが安手のホラー小説なら、主人公の作家が悪魔に魂でも売った代わりに得た才能と名声であり、その未来には必ず怖ろしい破滅が待ち受けていることでしょう。驚異の才能とは、実際にあるものなのですね。
スティーブン・キングの息子なら、大金持ちのお坊ちゃんのはずです。なのに、どうして、若くして(25歳から書き出しています)、貧しい暮らしや人々をこれほど痛切に描けるのでしょう。そして、これが特筆すべきだと思うのですが、貧困の人間的相貌を端正としかいいようがない、きわめて精妙な筆致で描けるのでしょうか(なるほど、クリストファー・ゴールデンが序文のなかで指摘した、「精妙な幽玄」とはこのことなのか)。
『黒電話』[削除部分]において、その執筆姿勢をジョー・ヒルは明かしています。
「削って削って書き直して削ってまた、そんな風にその原稿を二度と見たくないと思えるほど、うんざりするほど手をかけてようやくできあがる」
削るということが、努力と才能の証であることは、古今東西変わらないようです。
(敬称略)