昨夜、NHK9時のニュースを視ていたら、<「情報誌」の相次ぐ廃刊>なる特集を放映していた。企業の広報や総務を経験した人なら、「情報誌」については知っているだろう。マスコミでは報じられない政界や財界、または企業の裏面を暴くA4サイズのニュースペーパーのことである。
そうした「情報誌」の代表として「現代産業情報」の廃刊を取り上げ、発行人の石原俊介の死を報じていた。亡くなったとは知らなかったが、30年以上前から間接的に知っている人物だ。世間的には無名だが、マスコミ記者や企業の広報・総務担当者には、よく知られた名だった。
謹告 弊誌発行人・石原俊介氏死去(文責:伊藤博敏)
http://www.gendaisangyojoho.co.jp/
NHKの特集は、まるで石原俊介追悼だったので少し驚いたが、「情報誌」の多くはかつて総会屋が発行するものだった。企業から総会屋への利益供与が問題とされ、賛助金を集めにくくなった総会屋が、形ばかりの「情報誌」を発行して企業から購読料の名目で集金する手段だった。
したがって、たいていの「情報誌」は新聞や雑誌の記事をそのまま印刷したり、誤字だらけの落書きに等しい粗雑なもので、そのままゴミ箱に直行する場合が大半であった。郵送されたらすぐに一読され、担当者の机の引き出しに保存される、例外的な「情報誌」のひとつが「現代産業情報」だった。
商法改正によって、この「情報誌」も総会屋への利益供与とみなされ、そのほとんどが消え去った後も、「現代産業情報」が残ったのは、情報の質に優れていたからだといわれる。取材記者はフリーのライターや現役の新聞雑誌記者だったといわれ、石原氏はネタの端緒をつかむ編集者の立場だったとみられる。
ニューズペーパーの本場といわれるアメリカの場合、政治経済の専門シンクタンクが発行するものから個人発行まで多種多様にあるが、いずれもその分野の専門家のために専門的な評価や分析を提供するものが多い。個人発行でも、定評ある投資分析のニューズペーパーなどは年間数万ドルと高額な購読料をとる例もある。
石原氏の念頭にアメリカのニューズペーパーがあったかどうかはわからないが、「現代産業情報」の記事も、情報の専門家でないとなかなか読み解けないものが少なくなかった。あるいは、当該の企業や業界関係者でなくてはわからなかった。煙や火種のうちに掲載し、名誉毀損などで司直の介入を避けるためだろう。
もちろん、NHKの番組でも多少触れていたが、「現代産業情報」と石原氏には、裏社会へ通じる情報ルートがあった。それが強みだったせいで、商法改正の際には、部数減の打撃を受けたはずだ。だが、知るかぎり、聞くかぎりにおいて、石原氏は総会屋ではなかったし、「現代産業情報」は企業スキャンダルを金に換えるブラックジャーナリズムでもなかった。
そうであれば、とっくにつぶされていただろうし、裏情報はそのままでは記事にはならない。わずか数頁の情報誌の数十行の記事が、マスコミ記者や企業担当者の情報源の一つとして評価されるまでには、並々ならぬ蓄積が必要だったはずだ。日々の学習だけでなく、毎晩のように人と会い、話し、つきあう、情報交換という取材の積み重ね。肝臓ガンが死因ということだが、アルコール性肝炎が進行したのではなかったか。
それだけなら、それだけでもたいしたものだが、大越キャスターのいうように、「それに比べてインターネットをコピペして事足れりで、取材に歩かない最近の若い記者は嘆かわしい」としかめ面はできるだろう。だが、それだけでは何の教訓にも足り得ない。並々ならぬ蓄積ができたのは、並々ならぬ努力があったからだ、では頷きようがない。
NHKはまったく触れなかったが、石原俊介氏には裏社会への情報ルートのほかにも、裏から表を穿つ視点と背景があったはずだ。彼は、中卒の労働者として日本共産党に入党し、その後、ソ連に留学している。私が聞いたところでは、留学先はルムンバ大学だったという。それが事実とすれば、ただの留学ではなく、ただの左翼崩れではあり得ない。
ルムンバ大学の設立は1960年、ルムンバ大学の名称になったのは1961年。石原俊介は享年71。1961年には19歳だった。とすればルムンバ大学の第一期生だった可能性がある。学歴は中卒だが、日本共産党員としても抜群のエリートだったはずで、ソ連からはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの若き革命家の一人として遇されたといえる。
コンゴ独立の指導者パトリス・ルムンバ。後に暗殺された。
つまり、石原俊介はマルクスレーニン主義を徹底的に学んだはずで、その教養を基盤として「情報屋」の世界に身を投じ、日本資本主義を観察してきたはずなのだ。彼が知的に優れていたであろうことは間違いないが、そんなことより、世界の反転を見ようとしたことがある、ということの方がはるかに重要だろう。
マルクスレーニン主義でなくともよいが、並々ならぬ蓄積をもたらす、並々ならぬ努力を可能とするのは、並々ならぬ視野である。大越キャスターの視野狭窄の解説を聴いているとそう思える。
(敬称略)
そうした「情報誌」の代表として「現代産業情報」の廃刊を取り上げ、発行人の石原俊介の死を報じていた。亡くなったとは知らなかったが、30年以上前から間接的に知っている人物だ。世間的には無名だが、マスコミ記者や企業の広報・総務担当者には、よく知られた名だった。
謹告 弊誌発行人・石原俊介氏死去(文責:伊藤博敏)
http://www.gendaisangyojoho.co.jp/
NHKの特集は、まるで石原俊介追悼だったので少し驚いたが、「情報誌」の多くはかつて総会屋が発行するものだった。企業から総会屋への利益供与が問題とされ、賛助金を集めにくくなった総会屋が、形ばかりの「情報誌」を発行して企業から購読料の名目で集金する手段だった。
したがって、たいていの「情報誌」は新聞や雑誌の記事をそのまま印刷したり、誤字だらけの落書きに等しい粗雑なもので、そのままゴミ箱に直行する場合が大半であった。郵送されたらすぐに一読され、担当者の机の引き出しに保存される、例外的な「情報誌」のひとつが「現代産業情報」だった。
商法改正によって、この「情報誌」も総会屋への利益供与とみなされ、そのほとんどが消え去った後も、「現代産業情報」が残ったのは、情報の質に優れていたからだといわれる。取材記者はフリーのライターや現役の新聞雑誌記者だったといわれ、石原氏はネタの端緒をつかむ編集者の立場だったとみられる。
ニューズペーパーの本場といわれるアメリカの場合、政治経済の専門シンクタンクが発行するものから個人発行まで多種多様にあるが、いずれもその分野の専門家のために専門的な評価や分析を提供するものが多い。個人発行でも、定評ある投資分析のニューズペーパーなどは年間数万ドルと高額な購読料をとる例もある。
石原氏の念頭にアメリカのニューズペーパーがあったかどうかはわからないが、「現代産業情報」の記事も、情報の専門家でないとなかなか読み解けないものが少なくなかった。あるいは、当該の企業や業界関係者でなくてはわからなかった。煙や火種のうちに掲載し、名誉毀損などで司直の介入を避けるためだろう。
もちろん、NHKの番組でも多少触れていたが、「現代産業情報」と石原氏には、裏社会へ通じる情報ルートがあった。それが強みだったせいで、商法改正の際には、部数減の打撃を受けたはずだ。だが、知るかぎり、聞くかぎりにおいて、石原氏は総会屋ではなかったし、「現代産業情報」は企業スキャンダルを金に換えるブラックジャーナリズムでもなかった。
そうであれば、とっくにつぶされていただろうし、裏情報はそのままでは記事にはならない。わずか数頁の情報誌の数十行の記事が、マスコミ記者や企業担当者の情報源の一つとして評価されるまでには、並々ならぬ蓄積が必要だったはずだ。日々の学習だけでなく、毎晩のように人と会い、話し、つきあう、情報交換という取材の積み重ね。肝臓ガンが死因ということだが、アルコール性肝炎が進行したのではなかったか。
それだけなら、それだけでもたいしたものだが、大越キャスターのいうように、「それに比べてインターネットをコピペして事足れりで、取材に歩かない最近の若い記者は嘆かわしい」としかめ面はできるだろう。だが、それだけでは何の教訓にも足り得ない。並々ならぬ蓄積ができたのは、並々ならぬ努力があったからだ、では頷きようがない。
NHKはまったく触れなかったが、石原俊介氏には裏社会への情報ルートのほかにも、裏から表を穿つ視点と背景があったはずだ。彼は、中卒の労働者として日本共産党に入党し、その後、ソ連に留学している。私が聞いたところでは、留学先はルムンバ大学だったという。それが事実とすれば、ただの留学ではなく、ただの左翼崩れではあり得ない。
ルムンバ大学の設立は1960年、ルムンバ大学の名称になったのは1961年。石原俊介は享年71。1961年には19歳だった。とすればルムンバ大学の第一期生だった可能性がある。学歴は中卒だが、日本共産党員としても抜群のエリートだったはずで、ソ連からはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの若き革命家の一人として遇されたといえる。
コンゴ独立の指導者パトリス・ルムンバ。後に暗殺された。
つまり、石原俊介はマルクスレーニン主義を徹底的に学んだはずで、その教養を基盤として「情報屋」の世界に身を投じ、日本資本主義を観察してきたはずなのだ。彼が知的に優れていたであろうことは間違いないが、そんなことより、世界の反転を見ようとしたことがある、ということの方がはるかに重要だろう。
マルクスレーニン主義でなくともよいが、並々ならぬ蓄積をもたらす、並々ならぬ努力を可能とするのは、並々ならぬ視野である。大越キャスターの視野狭窄の解説を聴いているとそう思える。
(敬称略)