コタツ評論

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ネットに駆逐される情報誌

2013-05-31 02:51:00 | ノンジャンル
昨夜、NHK9時のニュースを視ていたら、<「情報誌」の相次ぐ廃刊>なる特集を放映していた。企業の広報や総務を経験した人なら、「情報誌」については知っているだろう。マスコミでは報じられない政界や財界、または企業の裏面を暴くA4サイズのニュースペーパーのことである。

そうした「情報誌」の代表として「現代産業情報」の廃刊を取り上げ、発行人の石原俊介の死を報じていた。亡くなったとは知らなかったが、30年以上前から間接的に知っている人物だ。世間的には無名だが、マスコミ記者や企業の広報・総務担当者には、よく知られた名だった。

謹告 弊誌発行人・石原俊介氏死去(文責:伊藤博敏)
http://www.gendaisangyojoho.co.jp/

NHKの特集は、まるで石原俊介追悼だったので少し驚いたが、「情報誌」の多くはかつて総会屋が発行するものだった。企業から総会屋への利益供与が問題とされ、賛助金を集めにくくなった総会屋が、形ばかりの「情報誌」を発行して企業から購読料の名目で集金する手段だった。

したがって、たいていの「情報誌」は新聞や雑誌の記事をそのまま印刷したり、誤字だらけの落書きに等しい粗雑なもので、そのままゴミ箱に直行する場合が大半であった。郵送されたらすぐに一読され、担当者の机の引き出しに保存される、例外的な「情報誌」のひとつが「現代産業情報」だった。

商法改正によって、この「情報誌」も総会屋への利益供与とみなされ、そのほとんどが消え去った後も、「現代産業情報」が残ったのは、情報の質に優れていたからだといわれる。取材記者はフリーのライターや現役の新聞雑誌記者だったといわれ、石原氏はネタの端緒をつかむ編集者の立場だったとみられる。

ニューズペーパーの本場といわれるアメリカの場合、政治経済の専門シンクタンクが発行するものから個人発行まで多種多様にあるが、いずれもその分野の専門家のために専門的な評価や分析を提供するものが多い。個人発行でも、定評ある投資分析のニューズペーパーなどは年間数万ドルと高額な購読料をとる例もある。

石原氏の念頭にアメリカのニューズペーパーがあったかどうかはわからないが、「現代産業情報」の記事も、情報の専門家でないとなかなか読み解けないものが少なくなかった。あるいは、当該の企業や業界関係者でなくてはわからなかった。煙や火種のうちに掲載し、名誉毀損などで司直の介入を避けるためだろう。

もちろん、NHKの番組でも多少触れていたが、「現代産業情報」と石原氏には、裏社会へ通じる情報ルートがあった。それが強みだったせいで、商法改正の際には、部数減の打撃を受けたはずだ。だが、知るかぎり、聞くかぎりにおいて、石原氏は総会屋ではなかったし、「現代産業情報」は企業スキャンダルを金に換えるブラックジャーナリズムでもなかった。

そうであれば、とっくにつぶされていただろうし、裏情報はそのままでは記事にはならない。わずか数頁の情報誌の数十行の記事が、マスコミ記者や企業担当者の情報源の一つとして評価されるまでには、並々ならぬ蓄積が必要だったはずだ。日々の学習だけでなく、毎晩のように人と会い、話し、つきあう、情報交換という取材の積み重ね。肝臓ガンが死因ということだが、アルコール性肝炎が進行したのではなかったか。

それだけなら、それだけでもたいしたものだが、大越キャスターのいうように、「それに比べてインターネットをコピペして事足れりで、取材に歩かない最近の若い記者は嘆かわしい」としかめ面はできるだろう。だが、それだけでは何の教訓にも足り得ない。並々ならぬ蓄積ができたのは、並々ならぬ努力があったからだ、では頷きようがない。

NHKはまったく触れなかったが、石原俊介氏には裏社会への情報ルートのほかにも、裏から表を穿つ視点と背景があったはずだ。彼は、中卒の労働者として日本共産党に入党し、その後、ソ連に留学している。私が聞いたところでは、留学先はルムンバ大学だったという。それが事実とすれば、ただの留学ではなく、ただの左翼崩れではあり得ない。

ルムンバ大学の設立は1960年、ルムンバ大学の名称になったのは1961年。石原俊介は享年71。1961年には19歳だった。とすればルムンバ大学の第一期生だった可能性がある。学歴は中卒だが、日本共産党員としても抜群のエリートだったはずで、ソ連からはアジア・アフリカ・ラテンアメリカの若き革命家の一人として遇されたといえる。


コンゴ独立の指導者パトリス・ルムンバ。後に暗殺された。

つまり、石原俊介はマルクスレーニン主義を徹底的に学んだはずで、その教養を基盤として「情報屋」の世界に身を投じ、日本資本主義を観察してきたはずなのだ。彼が知的に優れていたであろうことは間違いないが、そんなことより、世界の反転を見ようとしたことがある、ということの方がはるかに重要だろう。

マルクスレーニン主義でなくともよいが、並々ならぬ蓄積をもたらす、並々ならぬ努力を可能とするのは、並々ならぬ視野である。大越キャスターの視野狭窄の解説を聴いているとそう思える。

(敬称略)
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山中伸弥で打ち止め

2013-05-28 22:57:00 | 経済
けっこうショッキングなデータです。

あまりにも異常な日本の論文数のカーブ
http://blog.goo.ne.jp/toyodang/e/26f372a069cbd77537e4086b0e56d347

Elsevier社Sciverse Scopusに基づく各国の論文数の推移
http://www8.cao.go.jp/cstp/budget/syoken23/kokudai31.pdf

イノベーションに関する国際競争力ランキングの推移
http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu107/siryo2_1.pdf

国立大学が法人化された2004年前後から、日本の論文数が激減しているらしい。だとすれば、法人化にともなう研究以外の仕事に忙殺されて論文の生産性が著しく低下したのでしょう。少し遅れて技術開発の国際競争力も2007年から急低下しています。

検索してみると、企業の研究開発費もかなり以前から低迷しているようです。デフレ不況下では製品や商品に研究開発費をのせるわけにはいきません。当然、研究職ポストは減り、博士無職は増えるのですから、学位取得目的の留学が減るのは当然のことです。

その一方で、小学校から英会話教育が必須とされ、大学入試にTOEICが導入されようとしています。「科学技術立国」どころか、すでに日本の科学技術の優位性が脅かされ、日本語の学術基盤そのものが解体に向かっているようです。ほかならぬ、日本の政官財を主導する日本人たちによって。

卑近な例で恐縮ですが、新刊書店の翻訳小説のコーナーが、文庫本ですらあるかなきかくらいに縮小しています。ましてやハードカバーなど探すのにちょっと苦労するくらい。書店員に尋ねたら、「翻訳のハードカバーは高価で仕入れにくい」とのことでした。

出版不況と相まって、日本の学術と文化を特色づけてきた翻訳文化も衰退しているとすれば、事態はさらに深刻です。日本のように世界中の小説をはじめとする多種多様な書籍が翻訳出版されている国はないそうですから、世界的損失ともいえそうです。

そう考えてくると、日本ほどグローバルな国はなかったように思えます。いま喧伝されている経済のグローバリズムとは、ようするに韓国化、中国化に向かうことに思えてなりません。嫌韓や嫌中が増えているのも、そこらへんを敏感に察知しているのかもしれません。


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好インタビュー発見

2013-05-26 12:44:00 | 政治
好とは、「好き」というより「好(ハオ)」に近いですね。「很好!(ヘンハオ/大変良いものだ!)」は、大変良い言葉だと思っています。

日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと~「慰安婦」問題の理解のために
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130525-00025178/
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韓国は神の使徒?

2013-05-25 01:36:00 | 政治
日本を代表する営業右翼紙の産経新聞だけで盛り上がっているトピックです。日本を代表する営業左翼紙の朝日新聞には黙殺されているようです。ついでにいえば、日本を代表する左翼紙は赤旗ではなく、いまや日刊ゲンダイです。

韓国紙「原爆投下は神の罰」、記事で無差別爆撃を支持 日本大使館抗議
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130522/kor13052222170008-n1.htm

原爆神罰、韓国紙「個人の主張」と弁明記事
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130524-OYT1T00460.htm

コリアンタウンからも「あまりに民度低い」「日本へのコンプレックスのあらわれ」と非難続出 “原爆投下は神の罰”記事
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130523/wlf13052312230020-n1.htm

そんなにひどい記事なのかと読もうとしても、中央日報日本語版からはすでに記事が消されています。韓国語版にはまだ残っているようですが、問題の記事はこちらのサイトに保存されていました。以下、全文です。

・安倍、丸太の復讐を忘れたか

神は人間の手を借りて人間の悪行を懲罰したりする。最も苛酷な刑罰が大規模空襲だ。歴史には代表的な神の懲罰が2つある。第2次世界大戦が終結に向かった1945年2月、ドイツのドレスデンが火に焼けた。6カ月後に日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。

これらの爆撃は神の懲罰であり人間の復讐だった。ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。特に731部隊の生体実験に動員された丸太の復讐であった。同じ復讐だったが結果は違う。ドイツは精神を変え新しい国に生まれた。だが、日本はまともに変わらずにいる。

2006年に私はポーランドのアウシュビッツ収容所遺跡を訪問したことがある。ここでユダヤ人100万人余りがガス室で処刑された。どれもがぞっとしたが、最も衝撃的な記憶が2つある。ひとつはガス室壁面に残された爪跡だ。毒ガスが広がるとユダヤ人は家族の名前を呼んで死んでいった。苦痛の中で彼らは爪でセメントの壁をかいた。

もう一つは刑罰房だ。やっとひとり程度が横になれる部屋に4~5人を閉じ込めた。ユダヤ人は互いに顔を見つめながら立ち続け死んでいった。彼らは爪で壁面に字を刻みつけた。最も多い単語が「god」(神)だ。

ナチとヒットラーの悪行が絶頂に達した時、英国と米国はドレスデン空襲を決めた。軍需工場があったがドレスデンは基本的に文化・芸術都市だった。ルネッサンス以後の自由奔放なバロック建築美術が花を咲かせたところだ。3日間に爆撃機5000機が爆弾60万個を投下した。炎と暴風が都市を飲み込んだ。市民は火に焼けた。大人は子ども、子どもはひよこのように縮んだ。合わせて3万5000人が死んだ。

満州のハルビンには731部隊の遺跡がある。博物館には生体実験の場面が再現されている。実験対象は丸太と呼ばれた。真空の中でからだがよじれ、細菌注射を打たれて徐々に、縛られたまま爆弾で粉々になり丸太は死んでいった。少なくとも3000人が実験に動員された。中国・ロシア・モンゴル・韓国人だった。

丸太の悲鳴が天に届いたのか。45年8月に原子爆弾の爆風が広島と長崎を襲った。ガス室のユダヤ人のように、丸太のように、刀で頭を切られた南京の中国人のように、日本人も苦痛の中で死んでいった。放射能被爆まで合わせれば20万人余りが死んだ。

神の懲罰は国を改造して歴史を変えた。ドレスデン空襲から25年後、西ドイツのブラント首相はポーランドのユダヤ人追悼碑の前でひざまずいた。しとしと雨が降る日だった。その後ドイツの大統領と首相は機会があるたびに謝罪し許しを請うた。過去に対する追跡はいまでも続いている。ドイツ検察は最近アウシュビッツで刑務官を務めた90歳の男性を逮捕した。

ところが日本は違う。ある指導者は侵略の歴史を否定し妄言でアジアの傷をうずかせる。新世代の政治の主役という人が慰安婦は必要なものだと堂々と話す。安倍は笑いながら731という数字が書かれた訓練機に乗った。その数字にどれだけ多くの血と涙があるのか彼はわからないのか。安倍の言動は人類の理性と良心に対する生体実験だ。いまや最初から人類が丸太になってしまった。

安倍はいま幻覚に陥ったようだ。円安による好況と一部極右の熱気に目をふさがれ自身と日本が進むべき道を見られずにいる。自身の短い知識で人類の長く深い知性に挑戦することができると勘違いしている。

彼の行動は彼の自由だ。だが、神にも自由がある。丸太の寃魂がまだ解けていなかったと、それで日本に対する懲罰が足りないと判断するのも神の自由だろう。

キム・ジン論説委員・政治専門記者

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素人でもあるまいし

2013-05-24 00:38:00 | 政治
へえ、標準時間を変えられるとは知らなかった。

猪瀬都知事「標準時2時間前倒しを」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2203N_S3A520C1EE8000/



標準時間を2時間早めるとどうなるかという話ではなくて、TVニュースに映じた「ぶらさがり取材」を受ける猪瀬都知事がおかしかった。「ぶらさがり取材」というのは、記者が突き出したおびただしい携帯電話やIC録音機の真ん中で、マスコミの質問に受け答えするアレです。猪瀬さん、例によって強張った引き攣った表情だったが、なんと手元のメモに目を落としながら答えていました。

記者会見や記者発表が済んだ後、なんとか肉声をとろうとする記者たちに、政治家や官僚がフランクな立ち話で応じるのが「ぶらさがり取材」です。立ち去ろうとする容疑者や被疑者に追いすがって、「被害者に一言ないんですか!」と訊くのは「ぶらさがり取材」とはいわず、TVなどでは突撃取材といいます。突撃取材ならともかく、「ぶらさがり取材」はいくら給料がよくてもやりたくないものですね。呼称からして屈辱的じゃないですか。

政治家や官僚などの権力者は、自分の一言がほしくて記者が群がるのですから、スキャンダルなどで責められているのでなければ、なかなか優越感を満たされる場でしょう。ところが猪瀬さん、再三、手元のメモを確認しながら、慎重に答えていました。メモを読み上げるくらいなら、記者発表から多少逸脱してくれないのなら、「ぶらさがり取材」の意味はないんですがね。よほど、ニューヨークタイムズの批判記事と謝罪の顛末に懲りたものと見受けられます。

メモを見ながら話す猪瀬さんから、二つのことが見えてきます。ニューヨークタイムズの批判記事について、たんに言葉のやりとりに誤解が生じたと思っているか、それをアピールするために、メモに基づき正確に答えようとしている。したがって、発言内容そのものに問題があったとは考えていないか、問題があったとは認めたくない。あるいはそういう内面の葛藤を記者たちに暗に示して、同情を引こうとしているのかもしれません。いずれにしても、度々メモに頼りながら説明する「初々しい姿勢」に、かえって好感を抱くことができませんでした。

佐野真一氏と並ぶ「大物ノンフィクション作家」として取材することに慣れ、「石原慎太郎から後継指名された副知事」として取材されることに慣れた御仁が、いまさら「取材には気をつけなくっちゃ」とばかりに「ブリッ子」されては、「ぶらさがり取材」記者たちも自分たちの仕事が情けなくなったことでしょう。「ナオキ、パパだって仕事でつらいときはある。おまえだっていろいろ大変なこともあるだろう。パパもがんばるから、おまえもいっしょにがんばろう!」と家では云っているかもしれない。

その権力の強大さから、大統領制に近いといわれる知事、イタリアやギリシャの国家予算をもしのぐという東京都知事が、ほとんど政治的な意味を持たない、標準時間の変更提案について問われて、メモに目を落としながら受け答えする。かつての猪瀬さんなら、たぶん不快気にこう云ったでしょう。「あなたね、さっきからメモを見ているけれどね、それはいったい何の真似ですか?」。プーチンなら、「あなたにメモを渡した人から、私は話を聴きたい」でしょうか。

よけいなお世話でしょうが、ちゃんとしたPR担当を雇うべきだと思う。そのくらい、PRされては困る、猪瀬さんの「人柄」や「器量」がPRされています。だんだん、菅直人さんと似てきました。そういえば、苛立たしい様子や不快気な表情を対手に忖度させるところはよく似ています。地位や肩書きを慮って忖度しているのに、人格や頭脳で圧倒していると思い込んでいるところも。大統領候補予備選を勝ち抜くために、候補以上に奮闘する広報担当の表裏を描いた「スーパー・チューズデー 正義を売った日」を観ることをお勧めします。


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