WBSS バンタム級決勝の井上尚弥 VS ノニト・ドネア戦を観た。翌日の試合を振り返った記者会見も視聴した。いずれも Youtube だった。いうまでもなく凄い試合だったのだが、記者会見にも釘づけになってしまった。
井上尚弥の窮地救った息子「初めて顔浮かんだ」会見
https://www.nikkansports.com/battle/news/201911080000403.html
所属ジムの大橋会長が語った「適応力」について、井上尚弥が語った内容に感嘆した。「適応力」とは何かということを考え直してしまった。
「早いラウンドに決着がつくと思った」と井上も大橋会長も出だしでは思ったそうだ。ドネアのパンチやスピードは「想定内」のものだったので、初戦のパヤノや準決勝でロドリゲスを下したときのように、2、3ラウンドでKOできると踏んだわけだ。ところが、
「2ラウンドに左フックをもらって目を切ったことで、すべて(の作戦・計画)が壊れてしまった。そこから12ラウンドまでずっと二重に見えて、ドネアが二人いるような状態が続いた」
目を切ってからはいつもの尚也ではなかった。得意の左ボディフックは一発も出せず、ほとんど無駄なパンチを出さないはずなのに、おおぶりのパンチが何度も空を切る。それでもドネアをぐらつかせたりしたが、コンパクトで鋭いドネアのカウンターを一発でも食らえば、とひやひやしたものだった。じっさい、痛打を食らってクリンチに逃れるという、これまでの輝かしいキャリアではあり得なかった光景も見られた。
二重に見えるという片目より悪い状態をドネアを含む相手陣営に隠し通すために、右目をしっかりグローブで覆うポーズに変えて、出血を気にして TKO を恐れているように思わせた。そんな舌を巻くような冷静な試合運びを裏づける言葉がこれだ。
「後に出血がひどくなり、完全に右目が見えなくなったことで、もうグローブで右目を隠す必要がなくなって返って楽になった」
つまり、受けたダメージを隠すという以上に、ダメージの所在を誤認させたのだ。
ドネアのパンチが見えないから、左しか応酬できないのを逆手にとって、左ジャブを多用してポイントを積み重ねるというマイナスをプラスに転じる作戦も同様だろう。
8,9ラウンドを捨てて終盤のラウンドに体力を温存して、ドネアを迎え撃つか勝負に出る。2ラウンドに右目を切ってから、そうした判定をも視野に入れたゲームプランをすぐさま立てて、ラウンドごとに着々と実行していく。
これが井上尚弥の「適応力」なのだ。比べて、我々の「適応力」ときたら、涙目をした負け犬の苦笑いではないか。ただ我慢して、堪えて、慣れるまで俯いているだけ。
いかにダメージを受けようとどれほど不利な条件があろうと、どうしたら相手の優位に立って戦い続けられるかを考えつつ、同時に一瞬一瞬を勝ちにいく。それが井上尚弥の「適応力」なのだ。ただただ具体的に何かを仕掛けていく、大きく小さく。
ジャーナリズムと我々が大好きな艱難辛苦の物語性など、そこにはない。井上尚弥は試合終了直後、セコンドのスタッフに、「楽しかったあ」と笑みを洩らしたそうだ。
いや、ひとつだけ。「ボディにくるかと思ったパンチが顔面に来た」とき、一回だけ、倒れそうになった。そのとき、「初めて息子の顔が浮かんだ」。おかげで、なんとか立ち直ることができたという。
「息子」については、ドネアが恥を忍んで井上にアリ・トロフィーを一夜借りたという佳話が伝えられている。
モハメッド・アリの名を冠したアリ・トロフィー
ドネア陣営 優勝トロフィー貸してくれた井上と大橋会長に感謝
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/boxing/1614813/
36歳と盛りを越えてさえこれほどなら、全盛期のドネアはどれほどのボクサーだったのか。たぶん、ボクシング史に残る名勝負となったのはドネアの奮闘のおかげですが、ドネアもまた、「残念だったけど、楽しかったな」と独りごちている気がします。
11月10日 追記
井上尚弥 眼窩底骨折だった 手術は回避「鼻も骨折していました。。」
https://news.livedoor.com/article/detail/17357624/
いやはやまったく!
(止め)
井上尚弥の窮地救った息子「初めて顔浮かんだ」会見
https://www.nikkansports.com/battle/news/201911080000403.html
所属ジムの大橋会長が語った「適応力」について、井上尚弥が語った内容に感嘆した。「適応力」とは何かということを考え直してしまった。
「早いラウンドに決着がつくと思った」と井上も大橋会長も出だしでは思ったそうだ。ドネアのパンチやスピードは「想定内」のものだったので、初戦のパヤノや準決勝でロドリゲスを下したときのように、2、3ラウンドでKOできると踏んだわけだ。ところが、
「2ラウンドに左フックをもらって目を切ったことで、すべて(の作戦・計画)が壊れてしまった。そこから12ラウンドまでずっと二重に見えて、ドネアが二人いるような状態が続いた」
目を切ってからはいつもの尚也ではなかった。得意の左ボディフックは一発も出せず、ほとんど無駄なパンチを出さないはずなのに、おおぶりのパンチが何度も空を切る。それでもドネアをぐらつかせたりしたが、コンパクトで鋭いドネアのカウンターを一発でも食らえば、とひやひやしたものだった。じっさい、痛打を食らってクリンチに逃れるという、これまでの輝かしいキャリアではあり得なかった光景も見られた。
二重に見えるという片目より悪い状態をドネアを含む相手陣営に隠し通すために、右目をしっかりグローブで覆うポーズに変えて、出血を気にして TKO を恐れているように思わせた。そんな舌を巻くような冷静な試合運びを裏づける言葉がこれだ。
「後に出血がひどくなり、完全に右目が見えなくなったことで、もうグローブで右目を隠す必要がなくなって返って楽になった」
つまり、受けたダメージを隠すという以上に、ダメージの所在を誤認させたのだ。
ドネアのパンチが見えないから、左しか応酬できないのを逆手にとって、左ジャブを多用してポイントを積み重ねるというマイナスをプラスに転じる作戦も同様だろう。
8,9ラウンドを捨てて終盤のラウンドに体力を温存して、ドネアを迎え撃つか勝負に出る。2ラウンドに右目を切ってから、そうした判定をも視野に入れたゲームプランをすぐさま立てて、ラウンドごとに着々と実行していく。
これが井上尚弥の「適応力」なのだ。比べて、我々の「適応力」ときたら、涙目をした負け犬の苦笑いではないか。ただ我慢して、堪えて、慣れるまで俯いているだけ。
いかにダメージを受けようとどれほど不利な条件があろうと、どうしたら相手の優位に立って戦い続けられるかを考えつつ、同時に一瞬一瞬を勝ちにいく。それが井上尚弥の「適応力」なのだ。ただただ具体的に何かを仕掛けていく、大きく小さく。
ジャーナリズムと我々が大好きな艱難辛苦の物語性など、そこにはない。井上尚弥は試合終了直後、セコンドのスタッフに、「楽しかったあ」と笑みを洩らしたそうだ。
いや、ひとつだけ。「ボディにくるかと思ったパンチが顔面に来た」とき、一回だけ、倒れそうになった。そのとき、「初めて息子の顔が浮かんだ」。おかげで、なんとか立ち直ることができたという。
「息子」については、ドネアが恥を忍んで井上にアリ・トロフィーを一夜借りたという佳話が伝えられている。
モハメッド・アリの名を冠したアリ・トロフィー
ドネア陣営 優勝トロフィー貸してくれた井上と大橋会長に感謝
https://www.tokyo-sports.co.jp/fight/boxing/1614813/
36歳と盛りを越えてさえこれほどなら、全盛期のドネアはどれほどのボクサーだったのか。たぶん、ボクシング史に残る名勝負となったのはドネアの奮闘のおかげですが、ドネアもまた、「残念だったけど、楽しかったな」と独りごちている気がします。
11月10日 追記
井上尚弥 眼窩底骨折だった 手術は回避「鼻も骨折していました。。」
https://news.livedoor.com/article/detail/17357624/
いやはやまったく!
(止め)