コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

喜びは悲しみのあとに

2008-07-27 23:54:51 | ブックオフ本
『喜びは悲しみのあとに』(上原 隆 幻冬舎アウトロー文庫)

タイトルは、キャロル・キングの「Bitter With The Sweet」の邦題からとったものだという。目次の後に、歌詞の全訳が掲載されている。

おもしろいこと、なんにもない
自分は、ほんとうに自分のゲームを
していない
誰もがみんな、そう思ってる
ねえ、でもこれだけはいえる
完璧な人生なんてありえない
だから喜びや悲しみを経験するの

つらい過去を話してくれた友だちが
こういったよ
「人生でやらねばならないことなんて
案外いま、やっていることだったりするのさ」

ね、あなたは暗くならないで
いまはつらいだろうけど
みんなそうしている、あなたも大丈夫
これ知っていればくじけないよ
もう、わかったでしょう
喜びは悲しみのあとにかならずやってくる

それぞれの悲しみを経て、それぞれの人生に喜びを見出した人々の18枚のスケッチである。鶴見俊輔の解説によれば、この50年間に生まれた「新しい日本人の肖像」を描いた「記録文学」だという。以前に紹介した『友がみな我よりえらく見える日は』の続編。http://moon.ap.teacup.com/applet/chijin/archive?b=5

疋田桂一郎のいう「無味無臭の真水」のような文章だが、胸に迫る話ばかりで落涙の怖れがあり、電車の座席などで読むのはお勧めできない。俺にとってとくに印象的なのは、「私小説」的な「インポテンスの耐えられない重さ」だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダーウィンの悪夢

2008-07-17 23:59:49 | レンタルDVD映画
http://www.news.janjan.jp/culture/0609/0609240680/1.php

この映画のおかげでタンザニア・ビクトリア湖産のナイルパーチの不買運動がヨーロッパで起きたそうだ。

肉食魚ナイルパーチが放流されたおかげで、湖の藻を食べる草食魚が激減した上に、藻の異常繁殖による富栄養化によって湖が汚染され、ビクトリア湖の漁業が大打撃を受けている。そのため漁民たちは窮乏に陥り、村や家族は離散し、湖の周辺は売春婦と家なき子が溢れた。エイズが蔓延し、子どもたちは魚の梱包材を燃やして発生する有毒ガスを吸って、麻薬代わりにしている。

こうした構造的悲惨に止めを刺すのは、ヨーロッパや日本に白身魚として輸出されるナイルパーチを運ぶためにビクトリア湖畔のムアンザ空港に向かう貨物機は、ヨーロッパからアフリカの紛争各国に輸出される武器・弾薬を運んでいるという衝撃的な事実だ。アフリカに武器弾薬を売りつけ、空になった格納庫に白身魚を積んで帰るわけだ。
 
ダーウィンが注目したほどの豊かな生態系を破壊し、その資源に依存していた漁業の村と漁師を見捨てた代わりに、水産加工場など30万人の雇用と莫大な外貨をタンザニアは得ている。このドキュメンタリ映画の重大な欠落は、ビクトリア湖のナイルパーチ産業化を推進してきたそのタンザニア政府や欧日企業の言い分をまったくといってよいほど取り上げなかった点だ。

それはフェアではないというより、タンザニア人たちの残酷な運命が構造的にもたらされたことに切り込む機会を失うことになった。アフリカに武器弾薬を運び入れ、資源を運び出すヨーロッパの貨物輸送機は、ヨーロッパのアフリカに対する残酷な収奪の象徴な事実ではあっても、この「ダーウィンの悪夢」の構造に直接結びつくものではないはずだ。

ビクトリア湖の水産業の近代化を促進した側から、グローバリズムの恩恵を語る者がいなければ、悪夢の成り立ちはわからない。悲惨なタンザニア人たちをいくら見せつけられても、なぜ彼らがそうなったかを知ることはできない。彼らは告発すらできず、代わりにヨーロッパの消費者が不買運動の旗を振って反対している。そら怖ろしくかけ離れている彼我。それがもっとも残酷だと思う。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞記者-疋田桂一郎とその仕事

2008-07-13 02:29:25 | 新刊本
『新聞記者-疋田桂一郎とその仕事』(柴田鉄治・外岡秀俊 編 朝日新聞社)

詩や小説や歌や句とは違う記述文を日々生産しているのは、新聞しかないだろう。今日に至る新聞文体をつくった一人といわれる朝日新聞の疋田桂一郎記者のルポや天声人語といったコラムなど記事の数々と社内研修会の講演などをまとめている。

2002年に疋田記者は亡くなっているから、遅れて出された遺稿集にも読めるが、編者たちの意図はまったくそうではなく、新聞記事と新聞記者を問い直す疋田の遺志を受け継ごうとするものだろう。疋田記者は著書を上梓することはなく、マスコミ学を教える大学教授に転身することもなく、友人知人の手によって遺稿集が出されることもなかった。それらを望めばいくらでも叶えられたのに、生涯一記者を信条として、「職人」でありたいと願ってきた人のようだ。

明晰で論理的でありながら、むしろ主観的といえるその記事は、やはり新聞でしか読めない記述文だ。詩や小説や歌や句の文は溢れているが、記述文は日本ではまったく不足している。事物をありのままに書いた、あるいは書こうとする文章はきわめて少ない。まして疋田記者のように冷徹な視点と情感豊かな観察が同居する記述文はほとんどないといえる。あれば、人を変え世の中を変えているはずだからだ。

1950年代から80年代まで、疋田記者の仕事のそれぞれは、現在読んでも色褪せることのない鋭い問題意識と堅固な論理に裏づけられている。洞爺丸遭難や伊勢湾台風、三井三池争議などのルポは、この海難事故や災害、労働争議について、まったく無知な人が読んでも、本質的な理解に到達できる優れたものだ。また、「新・人国記」や名画とたどる「世界名作の旅・ロシア」といった紀行文も、たぶんその分野の専門家を含め、誰が読んでも楽しめるものだろうと思える。

ジャーナリストは、貴族とも貧民とも話せなければならない、という。どちらとも合わせて話すことができるという意味ではないだろう。どちらとも異なりながら、どちらも耳を傾けざるを得ない別な言葉遣いができるということではないか。それは詩や小説や歌や句とは違う言葉だが、文体を持つ以上、文学の言葉のように思える。たしか、オーウェルも新聞記者は詩人や小説家とは違う文学の穴を掘る者だといっていたと覚えている。

疋田記者が社内報に掲載した自社の誤報事件の検証ルポ「ある事件記事の間違い」は本書ではじめて読むことができて、非常に驚いた。これほどの問題意識と予見性に満ちたルポが、1974年にすでに書かれていたこと。誰に頼まれもしないのに、個人として自発的に調査したこと。それが社内報に掲載されて広く社内の論議に供されたこと。しかるに、何ら制度改革などに生かされなかったことなど、山椒の木だけでは足りない驚きだった。

世に文章読本や論文の書き方はたくさん出ていて、手本となる名文も数多く示されているが、記述文の手本になるものは本書が筆頭ではないかと思う。ただ、本書を読めば誰でもわかるが、疋田記者が心がけた「無味無臭の真水」のような文章を真似るのはとても難しい。新聞や新聞記者の権威は地に堕ちて久しい。真似すべきはその問題意識と取材なのに、疋田文体だけを真似た、「カルキ臭い水道水」のような文章が新聞に満ちている。


(敬称略)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする