A <安倍首相>核先制不使用、米司令官に反対伝える 米紙報道
毎日新聞 8月16日(火)10時48分配信
http://headlines yahoo co jp/hl?a=20160816-00000028-mai-pol
核兵器を先制攻撃に使うことにオバマは反対しようとしているのに、安倍は反対したという報道です
B 核兵器禁止条約に向けた報告書採択 日本は棄権
http://www.asahi.com/articles/ASJ8N0HJ5J8MUHBI02T.html
国連の核兵器禁止運動に日本は棄権したという報道です。
C.首相、米紙報道を否定 核先制不使用巡り
http://this kiji is/139681973473428985
A の報道は誤りで、安倍は反対したどころか、そんな話は出なかったという報道です。なんだい、「米紙」の誤報だったのか、コタツのやつ先走りしやがって、と舌打ちするのはちょっと待ってください。以下が、C の共同通信記事の全文です。
安倍晋三首相は20日午後、オバマ米政権が検討する核兵器の先制不使用政策について、自身が米太平洋軍司令官に反対の意向を伝えたとする米有力紙の報道を否定した。司令官との会談に関し「核先制不使用についてのやりとりは全くなかった。どうしてこうした報道になるのか分からない」と、羽田空港で記者団に述べた。
同時に「米側は何の決定もしていないと承知している。緊密な意思疎通を図っていく」とした。
オバマ大統領の広島訪問に同行したことに触れ「核なき世界へ向けて着実に前進するよう努力を重ねていきたい」と強調した。
たぶん、誤報ではなく、安倍はオバマに反対する内意をアメリカ側に伝えているのではという読み方(リテラシー)について。まず、日時に注目します。A は18日の記事です。B が20日の10:16分、つまり、午前。C は同じ日の午後です。
A の報道によって、じゃ、安倍・オバマの広島スピーチはなんだったんだというという当然の声が上がります。おかげで珍しくもない国連における日本の反・反核姿勢も、B のようにベタ記事以上の扱いになりました。あわてた安倍は否定の談話を出したということでしょう。
しかし、安倍は報道を否定したのみで、オバマの先制核攻撃禁止に反対とも賛成とも言っていません。話題にすら出なかったのなら、あきらかな誤報ですから、「米紙」に抗議するか訂正を求めるべきなのに、「どうしてこうした報道になるのか分からない」と困惑を示すのみです。
次の「同時に」がポイントです。「どうしてこんな記事が出るのかわからない」と言ったすぐ後に、「緊密な意思疎通を図っていく」と言ったか、あるいは、「わからないが」と続けたかのどちらかです。誰と意思疎通を図っていくのでしょうか? 当然、「米紙」のはずですが、これは誰が読んでも、「アメリカ政府」を指します。こういう文脈の乱れこそが、「語るに落ちる」というやつです。
ここで安倍が心配しているのは、「米紙」の続報だと読めます。「いや、米政府高官筋によれば、ABEはオバマに反対の内意を伝えているじゃないか」という反論や「ABEはオバマの先制核攻撃禁止に反対している」という、より大きな記事のいずれが出ても外交的なダメージは避けられません。
そうならないように、アメリカがマスコミ対策をしっかりやってくれ。今後はアメリカの許諾を得てから、この件については発言するかどうか判断するからというアメリカへのメッセージです。「緊密な意思疎通を図っていく」と目下が言い出した場合、「あなたの言う通りにします」か「まず、あなたの話を聞いてから私がどうするか決めます」のいずれかの蓋然性が高いものです。
えっ、安倍はオバマに反対しているんでしょ? いや、オバマに反対しているというより、オバマに反対する勢力に賛成しているのでしょう。したがって、アメリカ宛てのメッセージもオバマ大統領にとは限りません。
(敬称略)
毎日新聞 8月16日(火)10時48分配信
http://headlines yahoo co jp/hl?a=20160816-00000028-mai-pol
核兵器を先制攻撃に使うことにオバマは反対しようとしているのに、安倍は反対したという報道です
B 核兵器禁止条約に向けた報告書採択 日本は棄権
http://www.asahi.com/articles/ASJ8N0HJ5J8MUHBI02T.html
国連の核兵器禁止運動に日本は棄権したという報道です。
C.首相、米紙報道を否定 核先制不使用巡り
http://this kiji is/139681973473428985
A の報道は誤りで、安倍は反対したどころか、そんな話は出なかったという報道です。なんだい、「米紙」の誤報だったのか、コタツのやつ先走りしやがって、と舌打ちするのはちょっと待ってください。以下が、C の共同通信記事の全文です。
安倍晋三首相は20日午後、オバマ米政権が検討する核兵器の先制不使用政策について、自身が米太平洋軍司令官に反対の意向を伝えたとする米有力紙の報道を否定した。司令官との会談に関し「核先制不使用についてのやりとりは全くなかった。どうしてこうした報道になるのか分からない」と、羽田空港で記者団に述べた。
同時に「米側は何の決定もしていないと承知している。緊密な意思疎通を図っていく」とした。
オバマ大統領の広島訪問に同行したことに触れ「核なき世界へ向けて着実に前進するよう努力を重ねていきたい」と強調した。
たぶん、誤報ではなく、安倍はオバマに反対する内意をアメリカ側に伝えているのではという読み方(リテラシー)について。まず、日時に注目します。A は18日の記事です。B が20日の10:16分、つまり、午前。C は同じ日の午後です。
A の報道によって、じゃ、安倍・オバマの広島スピーチはなんだったんだというという当然の声が上がります。おかげで珍しくもない国連における日本の反・反核姿勢も、B のようにベタ記事以上の扱いになりました。あわてた安倍は否定の談話を出したということでしょう。
しかし、安倍は報道を否定したのみで、オバマの先制核攻撃禁止に反対とも賛成とも言っていません。話題にすら出なかったのなら、あきらかな誤報ですから、「米紙」に抗議するか訂正を求めるべきなのに、「どうしてこうした報道になるのか分からない」と困惑を示すのみです。
次の「同時に」がポイントです。「どうしてこんな記事が出るのかわからない」と言ったすぐ後に、「緊密な意思疎通を図っていく」と言ったか、あるいは、「わからないが」と続けたかのどちらかです。誰と意思疎通を図っていくのでしょうか? 当然、「米紙」のはずですが、これは誰が読んでも、「アメリカ政府」を指します。こういう文脈の乱れこそが、「語るに落ちる」というやつです。
ここで安倍が心配しているのは、「米紙」の続報だと読めます。「いや、米政府高官筋によれば、ABEはオバマに反対の内意を伝えているじゃないか」という反論や「ABEはオバマの先制核攻撃禁止に反対している」という、より大きな記事のいずれが出ても外交的なダメージは避けられません。
そうならないように、アメリカがマスコミ対策をしっかりやってくれ。今後はアメリカの許諾を得てから、この件については発言するかどうか判断するからというアメリカへのメッセージです。「緊密な意思疎通を図っていく」と目下が言い出した場合、「あなたの言う通りにします」か「まず、あなたの話を聞いてから私がどうするか決めます」のいずれかの蓋然性が高いものです。
えっ、安倍はオバマに反対しているんでしょ? いや、オバマに反対しているというより、オバマに反対する勢力に賛成しているのでしょう。したがって、アメリカ宛てのメッセージもオバマ大統領にとは限りません。
(敬称略)
先日、久しぶりに友人マルスと日暮里で待ち合わせ、谷中銀座から千駄木方向へぶらぶら歩き、見かけた小体な居酒屋に入った。岩牡蠣や鱧、鰹のたたき、冬瓜と蜆の煮物などを箸先に、酒は「船中八策」ほかを冷でやりながら、話題は例によって映画と本と音楽という高校生みたいなオッサン二人。
たまたま手持ちがあったので私が払ったが、後日、ありがとうメールがきた。彼にはよくゴチになったものだが、たいてい、「おっ、わりいな」で済ませてきたので、「そっかあ、親しき仲にも礼儀ありだったな」とちょっと赤面した。
>ごちそうになり、ありがとうございました。
赤面したぜ。
>早速ツタヤに探しに行きモニカの映画を見ました。
「ストックホルムでワルツを」という映画について私が話したのでした。すぐに観てくれたとは嬉しいね。なかなかわるくない映画だったろ。
>ニューヨークのクラブで楽屋を与えられていない伴奏者はテディ・ウィルソンではなくトミー・フラナガン、ダグ・ワトキンス、デンジル・ベストという豪華メンバーでした。これはともかく、やけに小者のエラ・フィッツジェラルドといい、ホンマかいなというエピソードありでしたが、ま、芸能ネタ映画だからね。
スウェーデンのジャス歌手だったモニカ・ゼターランドは著名なジャズ評論家のレナード・フェザーから、NYのジャズクラブで歌ってみないかと声をかけられ、有頂天で渡米します。
ところが、楽屋に入ってびっくり。伴奏してくれる有名なピアノトリオがボイラー室のようなところで音合わせしていたのです。「俺たちには楽屋はないんだ」と明るく笑うメンバー。スウェーデンの無名ジャズ歌手である自分には楽屋が与えられたのに。彼らが黒人であり、彼女が白人だからでした。
このバックバンドのピアニストをテディ・ウィルソンと私が間違えていました。友人によれば、ほかのメンバーのダグ・ワトキンスやデンジル・ベストも名だたる人らしいが、私ははじめて聞く名前です。
>レナード・フェザーはすでに業界で力はあり、このニューヨーク滞在中にレコーディングもしたりでこんなにミジメな扱いはされていないはず。だって白人のジャズ歌手なんてアニタ・オデイやらクリス・コナーやら何ぼでもいるからね。それが理由というのはヘン。
あのとき、喉まできながら思い出せなかった名前は、音楽ドキュメンタリ映画「
モニカ・ゼターランドはスウェーデン語でジャズを歌ってヒットさせ、母国でスター歌手になります。スウェーデン語でといっても、訳詞ではありません。「スウェーデンなのにシカゴやNYを歌うのはおかしい」とスウェーデン詩人の詩にのせてジャズを歌ったのでした。
美空ひばりにジャズを歌わせたのは「私である」と<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%8A%B4"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">竹中労</span></span></a>は書いているが、後になって、「私は何にもわかっちゃいなかった」とも書いています。彼がたびたび口にした「俗流大衆路線」がじつは「俗流大衆政治路線」であったことへの懺悔的な言葉にも思えますが、もちろんそれとはべつに、ひばりのジャズは素晴らしいものです。
<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>「私は好奇心の強い女」って懐かしいよなあ。その監督とできていたというのはスウェーデンぽいか?</span></span>
「<a href="http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=26148"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">私は好奇心の強い女</span></span></a> href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">ベルイマン</span></span></a>にはペコペコするくせに」となじられるところが笑えました。
<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>モニカは持病による車椅子生活の晩年、恐らく自分のタバコの火のせいで、独居であったアパートが火事となり焼死したということです。合掌。
ミュージカル的なコメディエンヌもこなす、スウェーデンの江利チエミみたいな存在だったんでしょうか。当方所有はビル・エバンスとのレコーディングのみですが、聴きなおしてみます。
</span></span>
なるほど、スウェーデンの江利チエミか。江利チエミも黒人ジャズメンと同棲してまで、ジャズのフィーリングを学ぼうとしていましたね。
<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>次回は私が払います。
次回は君がおすすめの北千住か、私がちょっと行ってみたい京成立石あたりはどうですか。割り勘で。
(敬称略)
たまたま手持ちがあったので私が払ったが、後日、ありがとうメールがきた。彼にはよくゴチになったものだが、たいてい、「おっ、わりいな」で済ませてきたので、「そっかあ、親しき仲にも礼儀ありだったな」とちょっと赤面した。
>ごちそうになり、ありがとうございました。
赤面したぜ。
>早速ツタヤに探しに行きモニカの映画を見ました。
「ストックホルムでワルツを」という映画について私が話したのでした。すぐに観てくれたとは嬉しいね。なかなかわるくない映画だったろ。
>ニューヨークのクラブで楽屋を与えられていない伴奏者はテディ・ウィルソンではなくトミー・フラナガン、ダグ・ワトキンス、デンジル・ベストという豪華メンバーでした。これはともかく、やけに小者のエラ・フィッツジェラルドといい、ホンマかいなというエピソードありでしたが、ま、芸能ネタ映画だからね。
スウェーデンのジャス歌手だったモニカ・ゼターランドは著名なジャズ評論家のレナード・フェザーから、NYのジャズクラブで歌ってみないかと声をかけられ、有頂天で渡米します。
ところが、楽屋に入ってびっくり。伴奏してくれる有名なピアノトリオがボイラー室のようなところで音合わせしていたのです。「俺たちには楽屋はないんだ」と明るく笑うメンバー。スウェーデンの無名ジャズ歌手である自分には楽屋が与えられたのに。彼らが黒人であり、彼女が白人だからでした。
このバックバンドのピアニストをテディ・ウィルソンと私が間違えていました。友人によれば、ほかのメンバーのダグ・ワトキンスやデンジル・ベストも名だたる人らしいが、私ははじめて聞く名前です。
>レナード・フェザーはすでに業界で力はあり、このニューヨーク滞在中にレコーディングもしたりでこんなにミジメな扱いはされていないはず。だって白人のジャズ歌手なんてアニタ・オデイやらクリス・コナーやら何ぼでもいるからね。それが理由というのはヘン。
あのとき、喉まできながら思い出せなかった名前は、音楽ドキュメンタリ映画「
モニカ・ゼターランドはスウェーデン語でジャズを歌ってヒットさせ、母国でスター歌手になります。スウェーデン語でといっても、訳詞ではありません。「スウェーデンなのにシカゴやNYを歌うのはおかしい」とスウェーデン詩人の詩にのせてジャズを歌ったのでした。
美空ひばりにジャズを歌わせたのは「私である」と<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%8A%B4"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">竹中労</span></span></a>は書いているが、後になって、「私は何にもわかっちゃいなかった」とも書いています。彼がたびたび口にした「俗流大衆路線」がじつは「俗流大衆政治路線」であったことへの懺悔的な言葉にも思えますが、もちろんそれとはべつに、ひばりのジャズは素晴らしいものです。
<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>「私は好奇心の強い女」って懐かしいよなあ。その監督とできていたというのはスウェーデンぽいか?</span></span>
「<a href="http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=26148"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">私は好奇心の強い女</span></span></a> href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">ベルイマン</span></span></a>にはペコペコするくせに」となじられるところが笑えました。
<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>モニカは持病による車椅子生活の晩年、恐らく自分のタバコの火のせいで、独居であったアパートが火事となり焼死したということです。合掌。
ミュージカル的なコメディエンヌもこなす、スウェーデンの江利チエミみたいな存在だったんでしょうか。当方所有はビル・エバンスとのレコーディングのみですが、聴きなおしてみます。
</span></span>
なるほど、スウェーデンの江利チエミか。江利チエミも黒人ジャズメンと同棲してまで、ジャズのフィーリングを学ぼうとしていましたね。
<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>次回は私が払います。
次回は君がおすすめの北千住か、私がちょっと行ってみたい京成立石あたりはどうですか。割り勘で。
(敬称略)
美形と美声と美メロをそろえました。ご堪能あれ。
Billie Holiday - Do You Know What It Means To Miss New Orleans (Hal Roach Studios 1947)
Lee Wiley with Eddie Condon's Orch. - The Man I Love, 1944
Skylark - Maxine Sullivan
Billie Holiday - Do You Know What It Means To Miss New Orleans (Hal Roach Studios 1947)
Lee Wiley with Eddie Condon's Orch. - The Man I Love, 1944
Skylark - Maxine Sullivan
さすがに先制核攻撃には反対するよな、いくら安倍首相でも、と読んだら反対だった。広島訪問の後、オバマ大統領は米軍最高司令官として、核を先制攻撃に不使用とする政策の導入を検討しているが、まっさきに反対の手を挙げたのが、広島長崎に原爆を落とされた日本の安倍首相だったというわけ。
先制核攻撃を維持せよ、でなければ北朝鮮へ抑止力にならないという理由だが、これでは北朝鮮側の先制核攻撃をも認めたに等しい。それとも、米ソ冷戦時代とは反対に、アメリカは「きれいな核」で北朝鮮は「汚い核」とでもするのか。毎日、オリンピック一色の報道の陰で、こんな重大なニュースが埋もれている。その毎日新聞ですら、「米紙報道によれば」という体たらく!
<安倍首相>核先制不使用、米司令官に反対伝える 米紙報道
毎日新聞 8月16日(火)10時48分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160816-00000028-mai-pol
日本は一貫として「核廃絶」を訴えてきた、という言葉を度々聞くが、それはあくまで自治体や市民レベルの話で、戦後、核実験廃止や停止を求めた数多くの国連決議のほとんどに日本は反対してきたから、いまさら驚くこともないはず。とはいえ、オバマ大統領と安倍首相が広島の原爆死没者慰霊碑の前で歴史的なスピーチをしたのは、ついこの間、5月27日のことだった。
私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html
オバマ大統領はその可能性のひとつとして、先制核攻撃を禁じ手とする核政策を率先して導入しようとしているわけだ。オバマ大統領のスピーチは美辞麗句ではなく、「核なき世界」を実現しようとする本気に裏付けられていたといえよう。
核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが今を生きる私たちの責任であります。
http://www.sankei.com/politics/news/160527/plt1605270067-n1.html
という安倍首相のスピーチのどこにも、「私の国」という主語は見当たらない。「我が国」という言葉はあるが、日本が国家としてこれまで核廃絶にどのように取り組んできたかは不明のまま。国家という主体なき、国民の「願い」にとどまっている。
「私たちの責任」の「私たち」とは、直接に安倍首相とオバマ大統領を指して、二人が代表する日米両国を示すものだろう。これから(傍点強調)、日米が力を合わせて核兵器廃絶の責任を果たしていこうという決意表明なのだが、安倍首相はそう語った2か月半後に、オバマ大統領の先制核攻撃の禁止に反対したのだ。
(敬称は略してないはず)
先制核攻撃を維持せよ、でなければ北朝鮮へ抑止力にならないという理由だが、これでは北朝鮮側の先制核攻撃をも認めたに等しい。それとも、米ソ冷戦時代とは反対に、アメリカは「きれいな核」で北朝鮮は「汚い核」とでもするのか。毎日、オリンピック一色の報道の陰で、こんな重大なニュースが埋もれている。その毎日新聞ですら、「米紙報道によれば」という体たらく!
<安倍首相>核先制不使用、米司令官に反対伝える 米紙報道
毎日新聞 8月16日(火)10時48分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160816-00000028-mai-pol
日本は一貫として「核廃絶」を訴えてきた、という言葉を度々聞くが、それはあくまで自治体や市民レベルの話で、戦後、核実験廃止や停止を求めた数多くの国連決議のほとんどに日本は反対してきたから、いまさら驚くこともないはず。とはいえ、オバマ大統領と安倍首相が広島の原爆死没者慰霊碑の前で歴史的なスピーチをしたのは、ついこの間、5月27日のことだった。
私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html
オバマ大統領はその可能性のひとつとして、先制核攻撃を禁じ手とする核政策を率先して導入しようとしているわけだ。オバマ大統領のスピーチは美辞麗句ではなく、「核なき世界」を実現しようとする本気に裏付けられていたといえよう。
核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難なものであろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが今を生きる私たちの責任であります。
http://www.sankei.com/politics/news/160527/plt1605270067-n1.html
という安倍首相のスピーチのどこにも、「私の国」という主語は見当たらない。「我が国」という言葉はあるが、日本が国家としてこれまで核廃絶にどのように取り組んできたかは不明のまま。国家という主体なき、国民の「願い」にとどまっている。
「私たちの責任」の「私たち」とは、直接に安倍首相とオバマ大統領を指して、二人が代表する日米両国を示すものだろう。これから(傍点強調)、日米が力を合わせて核兵器廃絶の責任を果たしていこうという決意表明なのだが、安倍首相はそう語った2か月半後に、オバマ大統領の先制核攻撃の禁止に反対したのだ。
(敬称は略してないはず)