コタツ評論

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女優映画

2018-02-28 22:59:00 | レンタルDVD映画


映画「八日目の蝉」を観ました。その一週間前に観た、イラン映画「セールスマン」に勝るとも劣らぬ佳品でした。

「セールスマン」はイラン映画界を代表するアスガー・ファルハディ監督の最新作で、一昨年のカンヌ国際映画祭の男優賞と脚本賞を受賞、昨年のアカデミー賞で外国語映画賞を受賞した作品です。

アーサー・ミラーの有名な戯曲「セールスマンの死」を演ずる俳優兼教師の夫とやはり女優の妻。ある日、夫の留守中に妻が自宅に侵入した何者かに乱暴されてしまう。妻や夫はどうしたか、夫婦はどうなっていくのか。

夫婦間の葛藤を緊密なドラマに仕上げて、家族とは何かを考えさせる、いつもながらのファルハディ・タッチですが、「無関係な」演劇場面を挿入することによって、より内面的な深みに達しています。

平凡な中年夫婦の日常を描いた、この一見小品の後では、「エイリアン・コヴェナント」や「ブレードランナー2046」を観ても、チャチに思えて困りました。

「セールスマン」はレイプを扱った女性映画ですが、衝動に駆られて愚行に走る男を丁寧に描いた男の映画でもあります。

なぜか警察に訴えることを拒む妻に夫は苛立ち、自力で犯人を見つけて罰しようとします。妻の痛みや苦しみに共感しようとする前に、何が起きたのか、誰がやったのか、その決着をつけるまで立ち止まり、妻に歩み寄ろうとはしません。やがて、意外な人物が犯人として登場し、夫婦はそこで赦しに直面することになります。

「八日目の蝉」も女性や家族を扱った映画ですが、「セールスマン」のように女性に起きうる事ではなく、女性そのものを描こうとしています。主要な登場人物は女性だけ、登場回数からいえば男は刺身のつまくらい。その描かれ様も、家庭や家族を破壊するもの、あるいは性衝動にまかせて女にのしかかるもの、に過ぎません。

「八日目の蝉」には、「男がいらない女たち」しか出てきません。母と娘に焦点をあてながら、故郷に根を下ろして「ご近所」という親密圏を築くか、宗教団体をつくって「拡大家族」として結び合うのか、そんな女だけ、あるいは女中心の世界を母と娘が巡り歩くロードムービーです。

「向き合う」「寄り添う」などの言葉へ、なにがしか違和感と反発をぬぐえないのはなぜだったのか、この映画によってわかった気になりました。

相手の瞳を見つめる、傍らにそっと立つ、一緒に歩く、少しうつむき加減で話すのを聞く。友だちはもちろん、母と娘、年長と若年の女同士、女たちの間で交わされるこうした仕草や佇まいこそ、「向き合う」とか「寄り添う」なのでした。

男同士なら、向き合った相手の瞳に探すのは自分への敵意であり、もしくは怯えです。犯人を探し求める「セールスマン」の夫はそうでした。もちろん、そこに自分への敬意や称賛を見出そうとする呑気な男もいるでしょうが、それでも親密さは期待していません。

ただし、女の瞳には親密さを期待して見入ることはあります。ただ、自らの瞳が女の瞳にどのように映っているかは知らないし、たいていは関心もないのです。

「八日目の蝉」には、心配そうに瞳をのぞき込む、いたわりをこめて礼を述べる、大丈夫よと励まそうと直視する、女が母と手をつないでいる娘に、まず先に屈んでその瞳をとらえ声をかける、そうした「共感」の場面が連続します。ごく自然にできますよといえる男は少ないでしょう。

中島みゆきの歌ではありませんが、女たちの共感の「横糸」が織りなす映画といえます。この映画の「縦糸」は「共感してよ!」と心で叫ぶ実母と「共感なんかいらない」と心中でつぶやいている娘でしょう。「縦の糸はあなた~♪」はやはり男ではないのです。

「女がいらない男たち」の物語はたいてい「地獄めぐり」になりますが、「男がいらない女たち」のロードムービーでは、青空に白い糸が風に吹かれて伸びていくようです。

女優たちはそれぞれがまるで代表作を得たように好演しています。口角上げがデフォルトの女優界にあって、唇がいつもへの字に下がっているという一風変わった女優である井上真央をはじめ、永作博美、小池栄子など、びっくりするほどです。とりわけ、私が注目するのは森口瑤子です。アスガー・ファルハディ監督に推薦したいくらいです。



(敬称略)



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今夜は、ひばりジャズ

2018-02-25 22:32:00 | 音楽
中国が憲法を改正して国家主席の任期を撤廃します。
党大会のチャイナセブンに50代が入らなかっり、全人大報告に習近平の名前が明記されたことなどで、集団指導体制から独裁へはなかば予想されたものの、とうとうそこまで来たかもうすぐ来るぞです。

これで台湾併合と日本属領化はタイムスケジュールに載りました。来年や再来年じゃないが、10年以内なのは間違いなさそうです。

すでに、フィリッピンのドゥテルテ大統領は、「フィリッピンは福建省のような中国の一省になってもかまわない。南シナ海の中国はアメリカへ対抗するものでフィリッピンとは関係ない」と北京へむけて発言しています。

平昌五輪の閉会式に先立ち訪韓した北朝鮮の金英哲朝鮮労働党副委員長は、「アメリカとの対話に入る準備はできている」と発言しました。

習近平独裁下で北朝鮮がどんなカードを切ってくるにせよ、ここ数日のトランプの強硬発言がかえって「手打ち」の準備めいて見えます。

平昌「政治」五輪でどんな密約が交わされたのか、交わされるのか。米中韓北日の五輪のうち、一人日本は事後承諾に追い込まれていないか。

谷内正太郎国家安全保障局長が23日、北京で格上の外交担当トップの楊国務委員と会談したのもきなくさいです。

平昌五輪の閉会式では、つぎの開催都市北京に五輪旗が手渡されました。北京五輪は22年。その頃、平昌の国際政治舞台に上った五輪はどうなっているのでしょうか。

ということに関係なく、一度はやってみたかった。ジャズボーカリスト美空ひばりです。

stardust


Cry Me a Rive
r


A列車で行こう


慕情


ヘイ・ユウブルース」の左とん平氏が亡くなられました。ご冥福を。

(敬称略)
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今夜は、下田逸郎

2018-02-25 02:23:00 | 音楽
世間にはカラオケというものがあります。みな気持ちよく歌っておられる。私はほとんど歌ったことはないが。

キャッチーなメロディや歌詞というものがあります。誰でもそれとすぐにわかり、すぐに口ずさみ、歌える、歌えそうな気がする。だから、ヒットする。

下田逸郎の歌はそうではありません。するりするりとメロディラインはキャッチーをよけていく。歌詞もそれに見合って水の流れのようにとらえどころがない。

でも、とても心地よいのです。こういう歌はあまり聴いたことがないな、そう思うでしょう。カラオケで歌ってみたい? 巧い人ほど歌うには難しい気がします。

若いときのきれいな声の動画があまりありません。いまだ、CD化されていない曲も少なくなさそうです。あまり、売れなかった人です。

あなたも私も誰も知らないけれど、いつかどこかで美しい歌が歌われ、いまも歌われているのです。

まずは下田逸郎らしい名曲です。しかし、なんで航空機なんだろ。

踊り子
https://youtu.be/p9-k3KPvLdw

「踊り子」の動画も貫地谷しほりにしてほしいものです。

早く抱いて


歌っているのは下田逸郎ではありませんが。

下田逸郎 / 紅い花咲いた


つぎは桑名正博の歌として知られていますが、同じ歌とは思えません。

月のあかり -- 下田逸郎


(止め)
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チャレッソ

2018-02-22 00:21:00 | スポーツ


「ニッポンがリードしている」「ニッポンがリード」「ニッポン、金メダルを獲得しました!」「ニッポン、金メダルうう!」

つい先ほど、スピードスケート団体パシュートの女子チームが決勝でオランダチームを破り、下馬評通り優勝した。中継したNHKアナウンサーは例のごとく叫んでから、続けた。

「これで日本が獲得したメダル数は11個、長野オリンピックの10個を越えました!」

ノーベル賞とオリンピックは似ている。受賞者やメダリストが日本人なのか、獲得個数はいくつなのか。メディアの関心はそれ以外にないかのようだ。

科学技術にどれほど貢献したのか、どれほど優れた身体パフォーマンスを示したか、という興味関心より、ノーベル賞やオリンピックだから、「凄い」「スゴイ」。

ちょっと気取って、「感動を勇気をもらいました」。いや、あなたやあなたたちのことではない。メディアの話だ。

例えば、毎年のノーベル賞騒ぎの陰で、日本の学術研究がどれほど劣悪な環境下にあり、ために年々その世界的評価を下落させているかなど、メディアが報じなければ、私たちには知るよしもない。

オリンピックの憲法にあたるオリンピック憲章は、第1章オリンピック・ムーブメント」の<6.オリンピック競技大会>において、以下のように規定している。

「1.オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。」

第1章6-1だけでなく、通して読むのはちょっと嫌になるほど長文のオリンピック憲章のどこを開いても、「国家間の競争」を越えた、「人類や人間の尊厳と価値」を高めるためのスポーツの祭典であることが謳われている。

NHKのTV中継を視ていると、ほとんど分刻みにオリンピック憲章違反の「国家間の競争」を煽っているとしか思えなくなる。せめて、「日本」連呼の2/3くらいを「日本人」に言い換えるほどの配慮はないものか。

「日本」と「日本人」は国民感情としてはほとんど同義じゃないか、という指摘はあるだろう。「日本人として誇りに思う」というおなじみの感想はそれをよく示している。ナショナリズムの高揚に資するというメディアの目的はたいてい達成されるわけだ。

「日本の期待に見事に応えた、女子パシュートチームのインタビューがはじまります」

NHKのアナウンサーはまだ興奮が冷めやらないようだ。たしかに国としての日本は、いくつメダル数を獲れるかを期待したかもしれない。

だが、彼や彼女らをじっさいに支援してきたのは、それぞれの日本人たちだった。陰日向なく物心両面で選手生活を支えてきた、市井の人々にこの記事は取材している。日本と日本人は重ならない、重なる場合だけではないのだ。

小平奈緒は「僕らの誇り」所属先・相沢病院理事長が現地応援へ
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180216-OHT1T50032.html

「日本人として誇り」と「僕らの誇り」の違いがわかるだろうか。日本と日本人はメダルという成果を期待するにもっぱらだが、そのプレッシャーと諸事万端については、選手とその周囲の人びとが負担することを期待されているわけだ。

「日本のためにメダルをとりたい」と決意を示し、結果が出た後に、「これまで応援してくれた日本の皆さんに」記者会見で礼を述べるとき、選手たちにとっても日本と日本人はひとつになっているだろう。ただし、その脳裏には、それぞれの人々の顔がはっきり浮かんでいるはずだ。

金銀のメダルを分けあった小平奈緒と李相花(イ・サンファ)の「友情物語」を持ち出すまでもなく、私たちはただ隣人である。オリンピック憲章など読まずとも、選手たちは隣人の応援を受けて個人として競技することがわかっている。わかっていないのは、メディアをなぞる感想しか持たない私たちなのかもしれない。

(敬称略)
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キムソンタク

2018-02-15 00:40:00 | 政治
同じ「忖度」でも、日本のモリカケはご存知のような「むにゃむにゃ」なのに、韓国の場合は、懲役20年に罰金追徴金合わせて25億円という「ムチャクチャ」。どちらがマシか、貴公にはわかるか。乃公にはわからぬ。どちらもダメじゃないかは、アンケート回答の「どちらともいえない」と同じジャマイカ。正答は、日韓逆であれば良し。

国政介入:崔順実被告に一審で懲役20年、罰金180億ウォン
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/02/13/2018021302020.html

国政介入:ロッテ会長に一審で懲役2年6カ月、法廷拘束
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/02/13/2018021301992.html

(止め)
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