文庫本には、たいてい表紙カバーがついていて、文庫本をくるんでいます。雑誌でいうと、表4といいますが、ここにその文庫本の紹介が掲載されています。本屋で手にとって、まず表紙をみますね。タイトルやタイポグラフィー、イラストや写真などが美しく配置された、装丁と呼ばれるプロの仕事を鑑賞するのは、本読みの楽しみのひとつです。
でも、本の中味、何をどんな風に書いているのかについては、装丁だけではじゅうぶん知ることはできず、おもしろいかどうかも判断できません。それで、本をひっくり返します。日本の地面をズンズン掘り進んでいくと、サンバを踊っているブラジル女性の足許にモグラは頭を出すそうです。表1を日本とすれば、表4がブラジルです。
雑誌では、二つ折りにした厚紙を表紙とすれば、右開きの場合、表1の裏側を表2といい、その左半分を表3と呼び、さらにその裏側を表4とします。表2・3・4は広告頁で、決まった広告主が占めることが多く、それが大手や一流企業ならその雑誌の媒体価値が高まるとされ、表2に次いで表4の広告掲載料金は高価なものです。
文庫本の場合、表4に広告が入ることはなく、定価やISBN、バーコードが記されているほかに、その文庫本の紹介が記載されています。本読みはこの紹介文をけっこう参考にするものです。過去に読んだことがない、未読の著者の場合、手に取った本を棚に戻すか、そのままレジに向かうかは、この紹介文がかなり影響します。
そのことに気づいた書店が、簡単な紹介と絶賛を書いたPOPを立て、販促に効果を上げているわけです。どの文庫本の紹介文も、「おもしろいよ」「買って損はないよ」と本読みに囁くとはいえ、紹介文にも定型があり、ほんとうに買って読む価値があるかどうかは、なかなか判断がつかないものです。
文庫本をひっくり返して読む紹介文は、そんな曖昧な地位に甘んじているのですが、著者とは関係ありません。専門の紹介文ライターはいないはずですから、その文庫の担当編集者が紹介文を書くものと決まっています。彼らはプロの物書きではなく、定型的な短文とはいえ、著者や内容や特色を過不足なく盛り込む、文章の巧拙は自ずと表れてしまうものです。
それ以上に、表出するのは、編集者の「ぜひ、読んでほしい!」という熱意です。上手であっても、少しもそそられない紹介文もあれば、下手でも本を突きだすような迫力ある紹介文もあります。編集者はその本の最初の読み手ですから、商売人として商品を差し出す前に、本読みから本読みへ、読んでよかったと思った本を薦められる喜びを伝えたいはずです。
定型的な紹介文から、そんな編集者の情熱と喜びを読みとることができれば、すでにその本を読みはじめているといってよいでしょう。めったにないことですが。長々と申し訳ない。そのめったにないことに出会ったわけです。これはすごいですよ。こんな紹介文ははじめて読みました。文章としては失敗しているのですが、紹介文としては文句の付けようがない。
えっ、紹介文なんて読まない? 巻末の解説を読んでから、買うか買わないかを判断する? うーん、残念ながら、あなたとは趣味が違いますね。私に言わせれば、鰻重を注文して、鰻だけ食って、ご飯を残すようなものです(適切な例ではないかな?)。まあよいでしょう。傑作紹介文が掲載された文庫本とは、これです(変な紹介のしかたかな?)
『鴨川ホルモー』(万城目 学 角川文庫)
紹介文の定型を大きく踏み外しているのは、一読すれば誰でもわかるでしょう。字数も多過ぎる。けっしてうまくはない。むしろ下手といえるでしょう。「このごろ都にはやるもの」というのが、まず陳腐です。ポイントの小さい紹介文では、「流行る(はやる)」とルビが打てないのですから、この表現自体を採用すべきではなかった。
なにより、この紹介では、どんな内容かわかりません。また、著者の文体とはまるで違います。こんなチンドン屋みたいなリズムは、本文には鳴っていません。私が編集長なら、断固、この原稿は通しません。しかし、凡百の紹介文には見かけない美点が、ここにはあります。なんとか、この本のおもしろさを伝えたいという熱意です。
このごろ都にはやるもの、勧誘、
貧乏、一目ぼれ。葵祭の帰り道、
ふと渡されたビラー枚。腹を空
かせた新入生、文句に誘われノ
コノコと、出向いた先で見たも
のは、世にも華麗な女(鼻)でし
た。このごろ都にはやるもの、
協定、合戦、片思い。祇園祭の
宵山に、待ち構えるは、いざ「ホ
ルモー」。「ホルモン」ではない、
走れ「ホルモー」。戦いのとき
は訪れて、大路小路にときの声。
恋に、戦に、チョンマゲに、若
者たちは闊歩して、魑魅魍魎は
跋扈する。京都の街に巻き起こ
る、疾風怒涛の狂乱絵巻。都大
路に鳴り響く、伝説誕生のファ
ンファーレ。前代未聞の娯楽大
作、碁盤の目をした夢芝居。「鴨
川ホルモー」ここにあり!!
青春小説としては、かっちりと定型を踏まえて、友情あり、助力あり、恋愛あり、戦いあり、和解があり、サクサク読めます。主人公の京大生・安倍が片思いする優雅な鼻の線を持つ早良京子(伊東美咲の鼻みたいなのだろうか)。大木凡人のようなボブカットに眼鏡の「凡ちゃん」こと、楠木ふみの無愛想冷淡。帰国子女枠で入学した、ヨックモックのシガレットを薄皮を剥ぐように前歯でコリコリたべる、後に親友となる変なやつ・高村。ねえ、おそそ、もとい、およそ筋が読めるでしょ? でも、奇想天外な「ホルモー」のおかげで、ハラハラヤキモキするんですね、これが。鴨川の風に頬をなぶられるような、爽やかな読後感を味わえるだけでなく、京大生の視線による京都案内としても楽しめます。たとえば、以下。
後に親友となる高村の下宿がある岩倉については、
岩倉とは我が大学の極北に位置する、かの維新の立役者岩倉具視公が、歴史の表舞台に登場するまで、ひたすらくさくさしていた土地である。
祇園祭の宵山。安倍と高村は鴨川べりを歩く、
普段は三条~四条間でしか見受けられない河原に座り込むカップルの姿が、今夜は丸太町付近まで拡大延長して展開されていた。
初めての「ホルモー」に向かう安倍
北野天満宮の皇居前を過ぎたあたりから、俺は徐々に重い緊張に囚われ、ペダルを漕ぐ脚も重く感じられ始めた。もっとも、それは、北野白梅町の交差点から入った、西大路通の緩やかな上り坂のせいだったのかもしれないが。
『ストリート・キッズ』(ドン・ウインズロウ 創元推理文庫)
若き日のフィリップ・マーロウが活躍するような、この本も紹介したかったが、いずれまたの機会に。
(敬称略)