コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

いまやわが国では

2015-02-21 22:57:00 | 今週の箴言
私は春風亭柳昇といいまして、大きなことを言うようですが、いまや春風亭柳昇といえば、わが国では私一人でございまして(春風亭柳昇)

日照権
https://www.youtube.com/watch?v=sl46B1VmTbg

(敬称略)

今夜はパリス吉祥寺

2015-02-17 22:35:00 | 音楽
今夜は懐かしいパリの歌をお届けします。

オルセー美術館を出てバンドーム広場を歩いていたら、車から声をかけてきたロッシ。ダニー・デヴィートに似た禿げの小男だった。イタリア人でバレンチノブランドの縫製工場を営んでいると云っていたっけ。カジノで負けて金欠なので、バレンチノのコートを2着買ってくれないかという話だった。日本で買えば、1着8万円はするが、2着で4万円でいいという。手持ちのフランは日本円で2万円ほど。そのうち1万円強相当のフラン札を「これしかない」とみせると、お前のホテルまで残金をとりに行こう、俺の車に乗れという。「オテル・ド・ニッコー」とでたらめを教えて、バレンチノのコートを抱えて足早に歩き出した。車の向きとは反対なので追いかけてはこれないロッシが、何か大声を出していたが、聞こえないふりをして路地を曲がるや走った。16万円が1万円! 大儲けだ。その夜、セリーヌ本社前のプチホテルの部屋で着てみた。縫製はゾウキンを縫ったように雑だったが、スタイルはわるくない。裏革を使ったウエスタンコートはけっこう似合ってみえた。どこかでロッシとバッタリ会ったらまずいので、東京に帰ってから着て歩いた。「パリでロッシというイタリア人から買ったバレンチノだぜ」と自慢した。ロゴは「バレンチン」だったが。パリと聴くと、哀しげな目をした間抜けなロッシを思い出す。酒屋の店先ですすったカキ、露店の焼き栗、フランス語しかなかったが美しい装丁の本がたくさんあった書店、その2階の中華料理店の変な味の春巻き、早朝と深夜には夜勤の黒人しか歩いていなかったジャンゼリゼの裏通り、懐かしい私のパリ、1週間しかいなかったけれど。

La Vie en Rose - ZAZ


ZAZ - "PARIS SERA TOUJOURS PARIS" [Official Video]


ZAZ - "Sous le ciel de Paris" [Official Video]


Zaz - Leverkusen Jazztage part 1


(敬称略)

もう映画を観られないかもしれない

2015-02-04 21:21:00 | ノンジャンル
「イスラム国」がヨルダン人パイロットを焼き殺す動画を観た。そう、見た、視たではなく、観たのだ。ここから先は、18歳未満の青少年と、18歳以上ではあっても精神的に未成熟な人は読むべきではない。

もちろん、残虐な映像であった。ただし、胸がむかついた、吐き気を催した、野蛮きわまるという感想を述べることはできない。もし、そう感想をする人がいたとしたら、その人はじっさいには動画をみていないとしか思えない。あるいは、常套句を常識ととりちがえているのだろう。

まず、動画映像として、カメラ、照明、カット割り、編集、そして演出のすべての面において、きわめて高い技術が駆使されて完成度が高い。欧米のTV制作会社でじゅうぶんな経験を積んだプロフェッショナルが携わったことは間違いない。

あまりに流麗なカメラワークに驚き、欧米の一流のCM作家を雇って撮らせたフェイクではないのかと思った。いまもフェイクであってほしい、と願っている。そして、とまどわざるを得ないのは、この動画からまぎれもなく広汎な映画的な教養と繊細な美意識を感受できることだ。

やはり、言うべきことをなんとか言わずにすますことはできないかと逡巡している。なんでも言えばよいのか、語ればいいのかと内心の声は止めようとしている。しかし、観てしまった。観る以前にはもう戻れない。

グロテスクな首斬り動画はこれまで何度もみてきている。私を狼狽させ、恐怖させ、逡巡させているのは、この焼殺動画がほとんどグロテスクではなかったことなのだ。胸がむかつき、吐き気を催し、野蛮きわまる、とはまったく異なる情動を私に及ぼした。

事実として私に起きたことを語れば、美しく厳かな殺人の映画を観た、というほかにない。供犠という言葉が思い浮かんだ。ヨルダン人パイロットへではなく、死に対する憧憬と敬意がうかがえる映像だった。

まんまと「イスラム国」のプロパガンダに乗せられた脆弱な精神と罵られたいと思う。この動画をみた上でのことだが。

一人の若者を生きたまま焼き殺す悪より、その一部始終を美しく厳かなまでに撮影してみせる技術と知性に、底しれぬ人間悪を見出すべきなのかもしれない。しかし、しかし、という谺が聴こえてくるのだ。