コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

春だ、桜だ

2012-03-27 11:03:00 | 3・11大震災
3・11なかりせば、こうした祝辞は贈られなかっただろう。迂遠であろうとも知性の復興を語ろうとする学長の言葉は、末長く卒業生の記憶に残るはずだ。早慶上MARCHの学長祝辞ランキングというのも、大学選びには必要だろう。

卒業生の皆さんへ(2011年度大学院学位授与式)
2012年3月24日 立教大学総長 吉岡知哉

http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/president/conferment/

組織のトップを総長というのは、ヤクザと東大だけかと思っていたが、立教も総長なのか。ヤクザの東大コンプレックスは微苦笑を誘うが、これだけ立派な「学長」がいる立教なのにちょっと残念だな。



日本のお父さん、吉本隆明逝く

2012-03-23 23:28:00 | ノンジャンル

やっぱり、吉本ばななとそっくりだな。

吉本隆明の読者は、60年安保の学生だったのではないか。70年安保の学生にとっては、吉本隆明は、「ファッション」か「ケッ」の対象だった。70年代の先輩たちをみていると、そんな印象を持った。むしろ、「過激派学生」から、「猛烈サラリーマン」になった、そのギャップを埋めるものとして、「吉本思想」はその人気を保ってきたように思える。俺は、吉本読者であったことはほとんどないので、「吉本思想」というのもおこがましいが、一言でいえば、「生活者としての思想」の側面とでもいえるだろうか。

なにより、吉本隆明自身に飄々とした生活者の佇まいがあった。病弱の妻に代わって、幼い娘をおんぶして買い物をする姿。手に提げているのは、スーパーのビニール袋ではなく、昔ながらの編み上げの買い物籠だった。老年なのに溺れ死にかけたように、夏ともなれば家族で海水浴に出かけ、達者に抜き手をみせる頑健な身体。すき焼きの肉の質を落とすくらいなら、生活費全般を下げると明言するところ。その船大工のような風貌と相まって、「市井人」としてかっこうよかったのである。

なによりかっこうよかったのは、大学教授の禄を食(は)まず、文芸評論家という売文の徒にもならず、ついに在野の知識人のまま、筆一本で二本の箸に屈しなかったことだろう。笠智衆と吉本隆明は、「日本のお父さんの原像」だったように思える。父でもパパでもなく、畳の上にあぐらをかいて微笑む「お父さん」。親父を否定し、パパに成り下がった、かつての若者たちにとって、吉本隆明は、抗しがたい求心力を帯びた存在だった。戦後思想への影響の大きさでは、鶴見俊輔のほうが勝ると思うが。

(敬称略)



東松山・テヘラン・ラスベガス

2012-03-22 01:09:00 | ノンジャンル
先日、関越自動車道を走行中、東松山インター付近で、不思議な標識を見た。「東松山・テヘラン・ラスベガス」である。東松山とは、埼玉県中央部に位置する人口9万人の市である。埼玉県民の私も、関越に東松山インターがあるというほかには何の知識もなく、これといったイメージもない。

埼玉県内でも無名の郊外市が、どうしてイランの首都テヘランや、アメリカのギャンブル都市ラスベガスと並記されるのか。都市としての背景や規模が違いすぎるから、姉妹都市や友好提携を結んでいるとは考えにくい。それとも、東松山がイランのテヘラン市やアメリカのラスベガス市と何か産品を輸出入している関係なのか。

すると、テヘランとラスベガスの共通性がまるで思い浮かばない。第一、イランは核兵器開発をめぐって、アメリカ主導の経済制裁下にあり、たしか日本もイラン産原油の輸入中止に参加しているはず。原油にかぎらず、イランと東松山市の間に、何らか交易ルートがあるとはとても考えられない。

東松山はともかく、テヘランやラスベガスには、なにほどか危険なイメージはある。たとえば、テヘランから密輸入した麻薬を目立たない東松山からトラック便で日本各地の卸元に運び、儲けた金はラスベガスでマネーロンダリングするとか、国際的な犯罪組織による走行車向けに何かの暗号かもしれないなどと、そんなハードボイルドな妄想に耽ったりもした。

しかし、関越自動車道の道路際に立つ、変哲もない丸ゴシックでかかれた道路標識である。ポールは地中からコンクリートで固められており、急場しのぎに立てたものではないことはたしかだ。

花園インターを下りて所用を済ました帰途に、もう一度通って標識を見るまではまるでわからず、ちょっとした謎にまで格上げされていた。「東松山・テヘラン・ラスベガス」。いったい、これは何なのだ? たしかめてみれば、何ということはない。上りの車線に見える標識には、3都市を並記した理由が記されていた。

この3都市はいずれも(テヘランやラスベガスと並べて、東松山を都市というのは、銀座・青山・北千住を並べて東京の繁華街というほどの違和感があるが)、北緯36°線上にあることが共通している。それだけ。テヘランやラスベガスが北緯36度にある有名都市だから。それだけ。

謎は解けたが、ちょっとした腹立たしさは、残った。いったい、東松山市役所の誰が、この標識を発案したのだろうか。顔を見てみたいものだ。忙しくて焦っているのに、脇見運転しながら走行する羽目になって、ちょっと危険じゃないか。それなのに、つまらない落ちに、ただ疲れただけじゃないか。

だから、埼玉はバカにされるんだよ。ふんとに、もう。

ついでに、東松山市は、埼玉県の中央部に位置するところから、埼玉県の臍(へそ)と自称しているらしい。そこで、東松山市のキャッチコピーは、「埼(さい)の彩(さい)の臍(さい)は東松山市」だそうだ。俺が東松山市民なら、次の選挙で市長にサイナラするな。

今夜はバイオリン

2012-03-21 23:38:00 | 音楽
よく知らないが、今夜のバイオリンは、フランスのアルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux)。「もちろん、芸術に国境はない。しかし、芸術家には祖国がある」(フンボルト・ペングィン)。長いですよ、演奏時間。3時間では終わりません。

Bach, Brahms, Bruch & Beethoven


人災? 撤回するなよ。

2012-03-21 19:20:00 | 3・11大震災
昨日、関西電力の福井・大飯原発に元経産省官僚で大阪府市統合本部の特別顧問である古賀茂明氏らが視察し、「再稼働」へ強い疑問を投げかけ、「政治決着」を批判した。

東北沖大地震によって、福島第一原発事故が起きた。原発事故の直接の原因が地震であれ、地震によって起こった津波であれ、原発の「安全神話」にとらわれて、充分な対策を怠ってきた、東電と行政による「人災」であるというのが定説になりつつある。

人災が原因なら、よりいっそうの安全策を採り、あらゆる危機管理に備える体制を整えればよい。その実効性が原発再稼働に向けて問われているわけだ。後は基準と範囲の落としどころを探すという作業に移っていくだけだ。物事はそのようにして進んでいく。

しかし、人災なら、福島第一原発事故を原因として、結果的に亡くなった人々について忘れ去るわけにはいかない。福島第一原発事故が起きたことで、避難勧告などから被災者の救命救助がまったくなされず、あるいは大幅に遅れて、まだ存命だったのに無念にも亡くなった人々がどれほどいたのか。

3.11の死者・行方不明者数の約20,000人のうち、助かるべきなのに死なせてしまったのは何人なのか。数百人か、あるいは数千人なのか。福島第一原発事故が起きず、東北沖大地震と大津波だけだったとしたら、人的な被害と物損はどれほどにおさまっていたのか。はたして、そうしたシミュレーションはおこなわれたのだろうか?

被災地の瓦礫処理受け入れをめぐり、放射能汚染の問題について、過敏すぎる反応が戒められている。「まだ」誰一人、福島原発事故の放射能汚染によって亡くなった人はいないと。もちろん反対派は、被害が現れるのはこれからだと警鐘を鳴らしている。なるほど、どちらも傾聴すべき意見だと思う。

だがその前に、福島原発事故を原因として、結果的に命を落とした多数の人々がいること。未曾有の大地震と大津波以上の被害と損害を、福島原発事故が東北地方と日本にもたらしたこと。その事実認定がなおざりにされたままだとすれば、「復興」の大義や「絆」の美名は虚しいというより、欺瞞的とすらいえないか。

人災なら、3.11当時の内閣や政府の混乱や過誤についても、もっともっと厳しく批判されるべきではないか。「それなりによくやったほう」「しかたがなかった」などとは、口が裂けてもいうべきではないと思う。多数の死者の何割かと、死に等しい生活基盤の破壊を受けた人々へ、それが「人災」によるものと有責を認めるのなら。

FUKUSHIMAレポート~原発事故の本質~」「メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故」ほか、原発事故の真相モノ ― 2012年03月19日
http://iiyu.asablo.jp/blog/2012/03/19/6382151