コタツ評論

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はじまりのおわり、おわりのはじまり

2019-03-11 07:48:00 | 3・11大震災
8年前のあの日に何をしていたか? そんな話になるときがある。とにかくびっくりした、延々と歩いた、すごい渋滞で帰宅が深夜になった、翌日になった。こんな危ない思いをした、誰それが翌朝から会社に来た、家族がどうだった・・・。

つい昨日の事のように語りはじめ、とりとめなく話は終わる。そこから、結論めいた考えやまとまった思いにつながるようなことは、まずない。地震の話だけでフクイチについては話されることはない。

あれから、8年、何かが変わった気もするし、変わっていないと思いもする。メディアは、「振り返る」とか「節目を迎えている」という過去形と「復興に、復興を」という未来形で喋っているが、私たちは災害と事故をまだ扱いかねている。

3月11日を語る言葉も文脈も見当たらない。そんな失語症の自覚はあるのだが、何をいまさら、何の意味があるのかとの思いが立ち塞がる。私たちのこの無力感はあの日からはじまり、あの日から積み重ねられてきている現在進行形のようだ。

(止め)
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顔文一致

2015-04-16 23:59:00 | 3・11大震災
先日、福井県の高浜原発の再稼働について、福井地裁は被告の関西電力に対して、6人の市民原告が求めた運転差し止めを認める仮処分を出しました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150414/k10010047951000.html

樋口英明裁判長は、昨年5月にも、やはり福井県の大飯原発の運転差し止め判決を出しているため、この4月の異動で名古屋家裁判事に「左遷」が決まったように、再稼働賛成側からは忌避される一方、反対側からは英雄視されています。

樋口英明裁判長、厳めしい六法全書のお顔です


再稼働にゴーサインを出した原子力規制委員会の田中俊一委員長は、さっそく、「重大な事実誤認がある」「世界で最も厳しい規制を緩やかすぎるとは」というコメントを出しました。

しかし、大飯原発の耐震が1260ガルでも運転差し止めを出したのに、さらに低い700ガルの耐震の高浜原発の運転を認めるわけがなく、今回の差し止め仮処分はほとんど予測されていたはずなので、田中委員長の口調は冷めたものでした。

田中俊一委員長、原子炉規制法と同じく、融通が効くお顔です


原発と法律それぞれの専門家の判断と決定に、ここでは立ち入るつもりはありません。ただ、大飯原発の判決文と今回の高浜原発の仮処分決定文を読んでみると、樋口英明裁判長が論理的で明晰な文章の書き手であることがわかります。

というわけで、今回は名文鑑賞のお時間です。平明かつ達意の文章とはこういうものだと中学の教科書に載せたいくらいです。以下は、大飯原発の判決文から。http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c23cee97b8aefb95b510b0505f9c6072

他方、被告(関西電力)は、本件原発の稼動が、電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを、並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことである、と考えている。このコストの問題に関連して、国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって、多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが、国富の喪失であると、当裁判所は考えている。

ただし、高浜原発の再稼働はやがて認められると予測されます。被告の関西電力は、当然、この仮処分に即時抗告という不服申し立てを行うはずで、その際は「左遷」された樋口裁判長に代わり、べつの裁判官が担当するからです。
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あれから4年

2015-03-15 00:11:00 | 3・11大震災
「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11
http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/11/311-for-the-historian_n_6845278.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

西欧インテリのレベルの高さがうかがえるインタビューです。私と私たちがつねに不可分。安倍首相がTV局の番組作りに口先介入して批判されるや、「私の言論の自由」と開き直ったのとは好対照。「私の言論の自由」などというものはない。あるのは、つねに、「私たちの言論の自由」だけだ。
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私たちのセウォル号 フクイチ

2014-05-22 04:56:00 | 3・11大震災
「吉田調書」に激震、が走ってないんだな、これが。

所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割 政府事故調の「吉田調書」入手
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11144817.html?_requesturl=articles%2FDA3S11144817.htmlamp;iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11144817

東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。

修学旅行の高校生乗客を置き去りにして、真っ先に逃げ出したセウォル号沈没の船長・船員たちと同じにみえる。もちろん、同じではない。船長ともいえる吉田昌郎所長やフクシマ50の現場作業員たちは、逃げずに残って懸命に奮闘した。乗客の救助を優先して亡くなったセウォル号の一般乗務員たちと、フクシマ50の作業員は同じかもしれない。

先日、韓国のパク・クネ大統領は、セウォル号の救助失敗を落涙しながら国民に詫び、その責任があると海洋警察の解体を言明した。セウォル号沈没の全容と責任はほぼ明らかになりつつあり、その背景となった、企業の利益偏重、業界の安全軽視、官民の癒着腐敗、官僚・政治家の不作為などについて、厳しい追及がはじまっている。

あえて、わずかとするが、300人余の犠牲者を前にして、韓国は自己否定に等しい総懺悔の渦中にあり、国家改造まで着手しようとしている。そのきっかけのひとつは、沈没必至にもかかわらず乗客に待機するよう船内放送しながら、自らは真っ先に逃げ出した船長と船員たちの姿に衝撃を受けたからだろう。

フクイチでも、当時の枝野官房長官による、「ただちに健康には影響がない」という放送はあったが、所員の9割が逃げ出した事実が発覚することはなかった。セウォル号は人々の眼前で沈没していったが、フクイチでは遠景のTV画像は注視されても、原発の近くにマスコミ記者の姿はなかったからだ。

韓国の船長と日本人の魂
http://takedanet.com/2014/05/post_0ab8.html

福島原発が2011年3月12日に爆発してほどなく、福島県に行っていた大手テレビ、全国紙の新聞の記者は一斉に福島から引き揚げた。

セウォル号沈没とは比べようもない被害をともなうフクイチの危機に際して、報道機関もまた、いち早く事故現場から逃げ出していた。きっかけという事実といっしょに、避難したわけだ。フクイチとセウォル号を事故とすれば、その異同を並べるのは無意味なことだが、事実がどのように扱われたのかについては、じゅうぶんに意味があるはずだ。

セウォル号とフクイチの最大の違いは、フクイチでは、「船員」が逃げ出した事実が3年間も明らかにされず、隠されてきたことだろう。「船員」が逃げ出したことより、その事実が隠されてきたこと、3年間もの長きに渡って、それが可能であったこと。はるかに問題なのは、そのことであり、それ以外にはないと思える。

自らの立場に置き換えてみれば、セウォル号の船員や福島第一原発の所員、あるいはマスコミ記者が逃げ出したことを一概に責める気にはなれない。その場にいれば、私も逃げたいと思っただろうし、逃げたかもしれない。少なくとも、留まって死ぬことが仕事だとは、とうてい思えない。

しかし、個人が保身に走ることと、逃げた事実がなかったことにされるのでは、まったく別な話である。セウォル号と同様に、フクイチからも、所員の9割が現場から逃げ出したという事実をそのとき知っていれば、その後に起きた、あるいは明らかになった、いろいろな事実の見方はずいぶん変わっていただろう。

セウォル号の沈没は「人災」であることは疑いようもなく、未必の故意、不作為による「殺人」まで取りざたされ、責任の所在が洗い出されようとしている。そうした「犯人」「悪人」捜しにとどまらず、政治権力や社会の構造にまで踏み込んだ検証を国民は期待し、パク・クネ政権も本気で取り組もうとしているようだ。しかし、日本ではそうはならなかった。

それは、こう言い換えることもできる。セウォル号の沈没によって、韓国の体制はわずか1か月で大きく揺らぐほど、その脆弱な権力基盤を晒したからだと。一方、セウォル号よりはるかに甚大な被害を出しているフクイチでは、国民の安全に関わる重大な情報を3年間も秘匿できるほど、体制は揺るがず権力基盤は強固に保たれたと。

もちろん、べつな言い換えもできる。日本は韓国に比べて、自浄能力や復原力において、いちじるしく劣っていると。

ドライベント、3号機準備 震災3日後、大量被曝の恐れ
http://www.asahi.com/articles/ASG5N2F8DG5NUEHF003.html

(敬称略)
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今年の箴言

2014-05-16 01:35:00 | 3・11大震災
原発事故が示した問題は、日本人が原発を安全に使えないということではなく、安全を確保できる制度を作れないという点にある。
-フランシス・フクヤマ
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014011900007.html

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