梨園の御曹司が実は酒癖が悪くて六本木で不良に殴られたのは不徳の至すところ事件が終息に向かうかと思えば、命賭けて戦争の悲惨を伝える戦場ジャーナリストが実は有名アラフォー女のヒモだったうらやまけしからん事件が起きて、ニュースショーはこの話題で持ちきり。
http://blog.asaikuniomi.com/?eid=1301280
ジャーナリストとしての資格云々はともかく、女のヒモ云々はとやかくいえるものか。女のヒモで食っている男は昔から珍しくない。自営業には、一時的、永続的に、女房や恋人の金や助けで仕事を得て、会社を回している男は掃いて捨てるほどいる。できるやつは、はじめから親に力や金がない女を女房や恋人にしない。あの田中角栄だって、最初の原資は女房の実家の金だった。できないやつでも、稼ぎのある女をちゃっかり口説くくらいの下心はあるものだ。
エリートサラリーマンや公務員なら、女房を働かせず食わせられるからヒモではない? いやいや、より女房に依存しているという点では、ヒモよりタチが悪い場合が多い。「あたしはあんたの母親じゃない!」という女房怒りのアフガン声は、その証拠。というか、たいていの男はヒモとして育つのがデフォルト・スタンダード。
物心がつけば、おふくろの財布から金をくすねるのが、男の子の最初の金銭経験に決まっている。家には金がないはずなのに、なぜかおふくろの財布には、そこそこの金があるのを知ることが、ヒモのはじまり。また、おふくろは使い減りがしない、ということを知るのも、男にとって最初の女性認識といえよう。
したがって、不幸にして、母親を知らずに育ったか、母親に疎まれて育った男は、ヒモにはならないというかなれない。ならば、こういう男こそ、女房や恋人になった女は後生大事で幸せかといえば、実にそうとは限らない。まず、母親に愛されずに育った男は、どこか心に歪みを残す場合が多くて扱いにくい。
そんなトラウマを抱えていなくとも、優しくロマンチックな言葉をかけてくれたり、ヒモ的な心遣いには欠けるため、心底はそうでなくとも、冷淡非情に見えてしまうことがある。じゅうぶん依存しながら、さらなる好意や支援を引き出そうとする手管は、まずは母親を相手に試され、習熟していくものだからだ。
働かないが優しいヒモ男、働き者で優しいヒモ男、働き者だが冷たい男、働かなくて冷たい男、という4種類で男は構成され、働き者で優しくヒモではない男は、ほとんど例外であり、ちょっと見にはなかなか区別がつきにくい。さらに、たとえば、働き者だが無能、といった有能無能のファクターをこれに加えると、その順列組み合わせだけでも、識別するのはほとんど不可能なことは、誰でも容易にわかるはずだ。
ならば、働き者で優しいヒモ男、あたりで手を打つのが、現実的な選択というものじゃないか、そこのおぜうさん。