コタツ評論

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その男友愛につき

2009-05-27 23:25:00 | ノンジャンル
鳩山由起夫民主党代表が、また「友愛」を連発して失笑を買っている。たしか、以前に代表になったときも、「自由・平等・友愛」と連呼して、同様だった記憶がある。鳩山代表には、日本社会には友愛がない、と映っているのだろう。それは理解できる。日本社会に友愛が欠けていてはいけない、と思っているのだろう。それはあまり理解できない。日本社会に友愛を取り戻そうという政治理念なのだろう。それにはほとんど同意できない。

少し前に読んだ、『ホモセクシャルの世界史』によれば、「友愛」とはギリシャ・ローマ以来、ホモセクシャルとは関係の深い情動らしい。「友愛」には、ヨーロッパのホモソーシャルな社会やホモエロティックな文化の伝統が裏づけられている、とすれば、もちろん日本や中国には関係がない。もともと無いものを欠けているという指摘は違うし、取り戻そうと呼びかけられても面食らうばかりだ。

政権交代を狙う野党第一党の党首が、その政治理念の核となる重要な言葉を、聖書の一節から引くようなもので、私だけでなくたいていの日本人の共感を得られないはずなのだ。「友愛」を人類普遍の美質であるかのように唇をとがらす前に、ないけれどそれですんできたという事実に考えを向けるべきだろう。日本人の生活実感や街の教養に疎いという世襲議員の弱点をさらけ出しているのに、周囲が止めないのはどうかと思う。

日本には、特定少数に向けた「友情」という言葉や実質はあるが、不特定多数に呼びかける「友愛」という言葉や実質はない。「友愛」という言葉が使われた例外としては、「東亜友愛事業組合」くらい。この組織は日韓を結んで国境や国籍を越えるという点で、その実際は別にして、字義に適っている。

鳩山代表が使った「友愛」に置き換えられるもっとも適切な言葉は、たぶん「連帯」だろう。非正規雇用が多数を占め、階層間の格差が深まる日本社会には、「連帯」が欠けていて、「連帯」を取り戻さなければならない。組合や左翼を連想して顔をしかめる向きはあろうが、賛同者も確実にいるだろう。全員が首をひねる「友愛」よりずっとマシだろうと思う。

しかし、「友愛」や「連帯」より時宜に適い、もっと日本人の心の琴線に触れる言葉がある。誰かそれを言ってはくれないものか、と誰もが待っている言葉だ。「義理と人情」である。「義理が廃ればこの世は闇」なのだ役人諸君。「情けは人の為ならず」なのだ労働者の皆さん。「義理と人情を秤にかけりゃ~義理が重たい」のだ代議士諸君。「親の血を引く兄弟よりも~固い契りの義兄弟」の「兄弟仁義」なのだ青少年のみんな。女性票目当てには、「渡る世間は鬼ばかり」なのだ奥さん(く、苦しい)。

(敬称略)

100円で買って申し訳ない

2009-05-25 01:03:00 | ブックオフ本

この人の本を読んでいるとき、少し気恥ずしい。何だろう。ちょっとした謎である。

「普通の人」の哲学-鶴見俊輔 態度の思想からの冒険 (上原 隆 毎日新聞社)

私の結論から。
沢木耕太郎や猪瀬直樹より、上原隆のほうが上等。後世に残るだろう。

上原隆という人の本については以前にも書いた

本書は彼のはじめての著作らしい。1990年の刊行である。仲間との同人誌に書いていたのを毎日新聞の編集者が目を付け、同社の<知における冒険>シリーズの一冊として出版された。以下のように、ほかの著者はみな著名な学者や作家ばかり。

① 哲学の冒険 (内山 節)
② 現代思想の冒険 (竹田 青嗣)
③ 冒険としての社会科学(橋爪 大三郎)
④ 実存からの冒険 (西 研)
⑤「普通の人」の哲学 (上原 隆)
⑥ 冒険としての自然科学(池田 清彦)
⑦ ユートピアの冒険 (笠井 潔)


80年代のほぼ10年間を費やしてこの本を書いたという上原隆は、当時、零細PR映画会社のサラリーマン。職業的な物書きではなく、職業的な物書きになりたいとは思っておらず、職業的な物書き以外の方法論をもって、以上の仕事をするという意味で、アマチュアである。

帯や目次をみればわかるように、入門書やレクチャー本ではない。本を読み、覚えがあることや考えたことを書きつける、読書ノートに似ている。「食うための仕事」の合間といえども、10年間におよぶ学習と考え続けた時間が、独自の方法論を見出した。<私>から<読者>へ向かう<報告>を「私ノンフィクション」というらしいが、<私>から<私>へ向かう<報告>が<読者>に開かれている、「私ルポルタージュ」である。鶴見俊輔をどう読んだか、何を学んだか、どう変わったのか、日々の生活にどう活かしたか、という上原隆から上原隆への報告を読者は知る。

帯① 「私もスーパー行ったり、つくったり、洗ったりをずっとやっているし、『--さん』と誰に対しても言ってるし、似た人がいるなあと思っています。とても共感できる。」山田太一(「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」などTVドラマの脚本家・作家)

帯②
ポップな哲学誕生 
 本書は、鶴見俊輔の
全仕事を態度の思想と
してつかんだ見とり図
と、態度の思想を自分
の体験で試してみる
実技からなりたってい
る。
やさしくて、役に立
つ、みんなの哲学デス。

(折り返しは元文のまま)

目次

はじめに 私をつかむために
    (『フラッシュダンス』から『インディ・ジョーンズ』へ)

第一章  鶴見俊輔の思想
一、思想観
二、仕事
   (哲学、コミュニケーション、大衆芸術、自分、政治、伝記、歴史)
三、個人史
   (架空インタビュー)

第二章  私の体験から
一、信念
二、態度
  (吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』を参考に)
三、生活術
  (ルポルタージュ)

おわりに  八〇年代の美意識を持って
  (ボブ・グリーン、村上春樹、ロバート・B・パーカー達の世界)


山田太一が帯でいうところの、「スーパーに買い物に行く、料理を作る、洗濯物を洗う、年下や部下でも、呼び捨てや君呼ばわりはせず、誰にも何々さんと呼びかけること」、それが上原隆の「日々の生活にどう活かしたか」の具体なのである。「なあーんだ」と笑うのは、読んでからにしてほしい。

43字×17行×236頁÷400字=431枚。薄手といえる分量である。鶴見俊輔の文章をはじめ、行間を空けた引用が多いから、実際は400枚を切るかもしれない。わずか126頁の第一章で、鶴見俊輔の膨大な仕事と思想について「見取り図」を描いて整理している。職業的な物書きや熱心なファンくらいでは、こんな思い切ったことはできない。

「十五年戦争」という呼称をはじめたのが鶴見だったように、戦後の大衆芸能やマンガをはじめとする大衆文化の調査・分析など、今日当たり前となっていることの多くに、鶴見が先鞭をつけていることにあらためて驚く。「戦後思想界の巨人」といわれる吉本隆明についてなら、たくさんの研究書が出ているが、戦後思想への影響としては鶴見の方が上ではないか、と思った。

そして、<私>の欲も得もない主題への迫りかたが、第二章から展開する。その極私的な方法論によって、<私>の解体と再生(の途上)が描かれるというのではなく、<私>という方法論そのものが、そこにある。だから、<私>について語りながら、饒舌は感じない。鶴見俊輔を通して私についてあなたに語っている私、という動作である。文章はあくまでも平易だが、この人はこういう書き方しか、しない、できない、という本当の文体がある。

ただし、難はある。たぶん編集者が書いたのだろうが、帯②の折り返しがひどい。「と、」「つ、」と2字目に句読点を打ったり、「る。」で一行使ったり、無神経極まる。「みんなの哲学デス」の「デス」のくだらない自意識。上原隆という大変な新人を発掘した慧眼の編集者のはずなのに、いったいどうしたわけか。
(敬称略)


ウサギちゃん

2009-05-23 22:38:00 | ノンジャンル
「勘弁してくれよ、まったく」
 とウサギちゃんに叱られた。
 電話がかかってきたから、鳥が死んだ報告をしたのだ。怒りがおさまるのを待つようにしばらく黙っていた。
「すぐに役所に相談すべきだった。保護鳥なんだから、巣を探してくれたりするのを知らなかったの?」
「そんな小鳥の餌を撒いたって食うもんか。なぜ、割り箸の先を尖らせて親鳥がするように、喉の奥に餌を突っ込んでやらなかったのかな」
 と矢継ぎ早に、今日の昼に相談したときの回答を過去形で繰り返した。
「仔猫はだいじょうぶかい? 2、3時間ごとにミルクをやらなくちゃならないのに、昼間ほったらかしにしたりして」
 と、これはいささか八つ当たり気味。あんたと逢う用があったからじゃないか。

 買ってきた生き餌の「ミルワーム」は無駄になった。仔猫はもう薄い歯が生えて、離乳食のささみ肉を煮たのに鼻を突っ込んでいる。昨日買ってきたばかりのミルク缶も無駄になりそうだ。

注1 ウサギちゃん:ウサギを2羽飼っている。長い耳が下まで垂れた外来種の大きなウサギだ。ボロボロのトレーナーにコッパン、サンダルで銀座でも渋谷でも出てくる。服を持っていないのではない。ときどきイタリアはローマで仕立てたという高級スーツを着て来る。バブルのときに40万円くらいしたそうだ。100着以上あるという。

お洒落が好きなのではない。バブル期に怪しい仕事で大金を稼ぎ、税務署に目を付けられるので不動産や株は買えず、毎月何百万円も使い切るには、服と食事しか思いつかなかったからだそうだ。往時の稼ぎはないようだが、いまでも逢う人ごとに食事に誘い、一日に7、8食ぐらいになっているらしい。もちろん、太っている。身体には悪いから、医者に薬をもらい、それを服用しながら何回も飯を食っている。

なぜボロボロのトレーナーにサンダルかといえば、ウサギをごまかして家を出るためだという。ウサギは気分屋で遊びが大好き。家にいるときはずっと遊びにつきあわされ、中断して出かけると怒る。帰ってみると、服やカーテンをズタズタに噛み切っていて、2,3日は口を利いてくれないそうだ。ウサギの歯は鋭く、
「噛まれると飛び上がるほど痛いよお」
というわけで、トレーナーは穴だらけ。
「ちょっとタバコを買ってくるからねえ」
と近所に出かける振りをして、やっと出てくるわけだ。

ウサギちゃんは、別居している妻のところに3匹の猫がいるし、鳥も飼ったことがあるらしい。というか、ズボンのポケットにいつも鳥の餌が入った袋を忍ばせていて、鳩やほかの鳥がいると、どこでも餌を撒くのである。渋谷のスクランブル交差点でも、かまわず撒くのだ。

PS:前記の雛はヒヨドリではなく、ムクドリだった。椋鳥という字はいいな。ウサギちゃんの電話ではいわなかった。ウサギちゃんは、しばらく口を利いてくれそうにないので、言わずにすむ。

外に出ると雨は上がっていたが、ぬかるんでいた。駐輪場の仔猫の隣に埋めた。迷惑でなければよいのだが。

(敬称略)

勘弁してくれよ、まったく

2009-05-23 01:48:00 | ノンジャンル


 先夜、駐輪場の隅に仔猫を埋めたばかりというのに、今朝、ヒヨドリの雛が迷いこんできた。

 カラスが巣から雛を奪い、ほかのカラスと取り合いになり、そこへ追ってきたヒヨドリ父母が突進し、四羽の激しい空中戦の結果、我が部屋に続くルーフバルコニーに雛が落ちてしまった。その一瞬を逃さず、我が家のムーチンという雌猫が咥えて持ってきたのである。

 と仔細に眺めていたわけではない。大方は、ガアガアバサバサギエギエーウニャニャ~ンという大騒ぎによって知り、中空にカラスと親ヒヨドリが旋回しているのを見上げて、理解したのである。洗濯物の山に黒い頭を突っ込んで逃げる雛鳥を捉えてみると、怪我はしていないようだった。秋刀魚の口に似てやはり嘴は黄色い。放してみると、跳んで歩くが、飛べはしない。

 困る。狭い3DKに猫が9匹もいるのだから、鳥など飼えやしない。以前に、やはり猫が咥えてきたシジュウカラをしかたなく飼ったことはあるが、ヒヨドリの経験はない。何であれ、これ以上、飼う余裕はないのだ。とりあえず、段ボール箱に入れて、閉め切った部屋のひとつを与えた。猫どもは興奮して走り回っている。眠っていたはずの仔猫二匹も、起き出して鳴きだす。

 もう出かけなければ、すでに遅刻である。
帰ってきたら、可哀相に死んでいた、ということにならないか、怪我はなくとも咬まれたショックで死ぬのは珍しくないのだ、そんなことをなかば願いながら、駅への道を急いだ。

 急いで帰ってきたら、生きていた。
稗と粟の餌をお湯でふかしたのと乾燥したままと二通りを与えた。しばらく経ってから覗いてみたが、食べた形跡はない。やはり、生き餌でないとダメなのか。
 昔、老人が、
「野生の鳥の仔は眼が明いたら、親鳥以外の口からしか餌を食べない。死ぬばかりだ」
 といっていたのを思い出す。
 一週間もしたら、飛べるようになるのではないか、そうしたら林に連れていって放してやろう、やがて、親鳥が見つけてくれて……。そんな風に都合よくはいかないだろうな。

注1 ルーフバルコニー:正確には二階のただの屋根。三階の我が部屋のベランダから脚立を使って下りることができる。猫の運動場兼トイレ場所になっている。

注2 ムーチン:いまは施設などに離散してしまったらしいが、二階に住んでいた貧乏子沢山一家の兄妹たちが、隣の公園に捨てられていたと持ち込んできた仔猫の一匹。眼も開かず皺だらけのときは、パキスタンの前大統領ムシャラフに似ていた。それがムチャラフになり、いまではムーチンという名に落ち着いた。

注3 生き餌:当時、新宿三越のペットショップに、キャビア缶くらいのプラスチックケースにおがくずと一緒にウジ虫に似た生き餌を売っていた。シジュウカラの「ヒーヨ」に、一匹ずつウニウニするのを箸でつまんで与えた。口を菱形に大きく開けて貪り食ったが、ウニくらいで少しでも生きが悪いと、嘴につまんでプイッと遠くに投げ捨てた。太い腹を突きだしたその不快な様子がいかにも傲慢で、南米ドミニカの独裁大統領トルヒーヨから、ヒーヨと呼ばれた。

(敬称略)


「ねえ、君」

2009-05-20 22:34:00 | レンタルDVD映画


チェ 28歳の革命
あの有名な、ベレー帽をかぶり髭を生やしたチェ・ゲバラが、斜め45度を見上げるポスターは1970年代の日本の若者にとって、まずTシャツの絵柄でした。

聖像を意味するイコンとPC用語のアイコンは、同じiconという言葉です。キリスト教の聖者を象ったイコン(聖像)は信仰を身近に引き寄せるものでしょうが、デスクトップ上のアイコンとは、「ここではないどこか」へ跳ぶための記号です。中南米やアメリカの若者の間では、チェ・ゲバラは革命や抵抗のイコンだったのかもしれませんが、日本をはじめ先進諸国の若者たちの間では、Tシャツの上で色抜きされたり、反転されたゲバラの肖像は、革命という冒険に連れていってくれるアイコンだったように思えます。

この映画は、イコンやアイコンになる前、革命を志す28歳の無名の青年としてゲバラを描こうとしています。まだ美術学校学生時代のジョン・レノンが、「世界で一番カッコイイ男」と思ったくらいなのに、どちらかといえば醜男のベニチオ・デル・トロがゲバラ役に起用されたわけです。

1959年のハバナ陥落までの戦場のゲバラと、1964年に国連演説に向かうゲバラの姿を交互に描く構成です。クライマックスは、「祖国か死か」という激しい決意の言葉で締められるゲバラの国連総会における演説です。ただし、議場は空席が目立つ寒々しいものです。肝心のアメリカの国連大使は欠席しています。

キューバのゲバラの場面はカラーですが、このニューヨークのゲバラはモノクロです。一般的に、モノクロは後景に引かせ、カラーは前景に出す仕掛けです。昔のピンク映画が濡れ場になるとカラーになったのと同じです(カラーフィルムが高価だったというコスト削減の意図もありますが)。回想シーンはモノクロ、現実に戻るとカラーなど、時制を見せるときにも使われます。キューバのゲバラより、ニューヨークのゲバラの方が後年ですから、この映画では逆です。国連で演説するまでに歴史的な人物となったゲバラと、伝説に彩られる前の等身大のゲバラを分けて見せるためと、私は思いました。

映画の最後はこんな風に終わります。
陥落したハバナに向かう軍用ジープにゲバラは乗っています。「反政府軍」から「革命軍」になった兵士たちのトラックの列が続きます。見送る沿道のキューバ人たちは歓喜して手を振っています。そこへ真っ赤なアメリカ製のオープンカーがゲバラのジープを追い抜いていきます。座席で歓声を上げているのは、ゲバラの部下たちでした。ゲバラは、オープンカーを止めるように命じます。
歩み寄ったゲバラは尋ねます。
「この車はどうしたんだ?」
「政府軍の兵士の車をぶんどってきたんです」
「すぐに返してこい。そして、お前たちは歩くか、バスを探してハバナにくるんだ」
真っ赤なオープンカーはUターンして戻っていきます。それを見送りながら、ゲバラはつぶやきます。
「まったく、信じられない」

あきらかに、国連演説の「祖国か死か」に対比させる、人間くさいつぶやきです。芥川龍之介がレーニンを謳い上げた言葉をもじれば、「誰よりも革命を願った君は、誰よりも革命を信じなかった君だ」、というわけで、後編の『チェ 38歳の別れ』に続きます。革命後のキューバをに別れを告げ、ボリビアにゲリラとして潜入するのです。

ゲバラは、ローカルでマイナーな革命家でした。革命から50年を経た現在も、キューバは貧しく小さな後進国です。革命戦争に勝利したといっても、ほとんど山賊規模の戦闘に過ぎず、この映画でも戦闘場面は出てきますが、昨日まで農民だった未熟な「反乱軍兵士」を率いて、ジャングルと山岳地帯をうろうろ歩く、司令官ゲバラの淡々とした日常が綴られていきます。

したがって、この映画の公式サイトやほかの紹介サイトのゲバラの形容には、少し驚きました。いわく、「20世紀最大の革命家」「革命のカリスマ的存在」「革命の英雄」など、です。少なくとも70年代の常識では、「20世紀最大の革命家」は、あきらかにロシア革命を指導したレーニンです。「革命のカリスマ的存在」というなら、全世界にマオイストを生んだ毛沢東です。「革命の英雄」も、中南米でのことなら、メキシコ革命のパンチョ・ビラが筆頭です。彼らこそ、間違いなく革命の「イコン(聖像)」だといえるでしょう。

1959年、ゲバラはキューバの経済使節団団長として来日しています。ほとんど報道されませんでした。このとき、ゲバラは、「日本の経済発展はすばらしいが、この国の若者の瞳には希望の輝きがない」と語ったと伝えられています。『ゲバラ日記』はよく読まれましたが、70年代の過激派学生の間では、『都市ゲリラ教程』なんて本が読まれていました。伝説の革命家として有名でしたが、ゲバラはすでに過去の人でした(70年代というのは、多くの著名人が「過去の人」になった転換期でした。いまから思えば)。フォークの岡林信康がキューバ革命支援のために、砂糖キビ刈りのボランティアツアーに参加したことが話題になったりするくらいでした(このイベントが岡林信康を「過去の人」にしたきっかけのひとつでした)。

ではなぜ、いまゲバラなのか。後編の『チェ 38歳の別れ』を観ていないのにいってしまえば、同時代のある人物を私たちが想起するからではないかと思います。裕福な家に生まれた知的なハンサムなのに、病弱な身体で厳しいゲリラ生活に明け暮れ、欧米という「世界」を敵に回して一歩も退かない、人物です(彼が実際にそのような人物であるかと関係なく、そう伝えられ、信じられていることが重要です。ゲバラと同様に)。

映画は、農民への略奪暴行を厳しく禁じる司令官ゲバラを描きます。たとえ志願してきても少年を兵士とすることを拒否するゲバラを描きます。しかし、私たちの世界の現実は、これとはまったく逆です。村を襲い農民を虐殺した上に、子どもを拉致して兵士として殺人を強制するアフリカの「反政府ゲリラ」の存在を知っています。少年兵士に残虐なbeheadingをさせて、ビデオ配信するイスラムの「反米ゲリラ」を知っています。

つまり、この映画におけるゲバラとは、私たちの現実の影なのだと思えます。あるいは、私たちの現実こそがゲバラの影なのだ、と言い換えることもできます。失われた過去と未来に、強い日射しを浴びた人の長く伸びた影です。この映画を観るとき、私たちはチェ・ゲバラとオサマ・ビン・ラディンの影像を見ている、といえば穿ちすぎでしょうか。

(敬称略)