詩は文芸の最高峰であり、詩人は職業ではないことだけでも気高い人達だと思ってきた。茨木のり子はそんな私の憧憬に応えてくれない。
ファンや好きな人には大変申し訳ない。どうか捻くれ者の戯言と聞き流してほしいのだが、正直にいえば相田みつをと変わりないと思う。
説経じみた元気の押し付けと、それを無闇にありがたがる需要のあり方などはよく似ている。
その上、「女性ならではの視点」といった文脈で朝日新聞やNHKでその「凛とした」人物像と共に語られるとき、ほとんどゾッとする。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211228/k10013406381000.html
もちろん、茨木のり子その人に、受容のされ方にまで及ぶ責任はないのだが、よく引用される『わたしが一番きれいだったとき』など、当然のように非戦や反戦と絡められると、素朴にも程があると作品にまでケチを付けたくなる。
むしろ、この秀逸なパロディこそが、軽やかに茨木のり子を再現しているように思うのだ。
DJ薄着 @usgi
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらで
あたらしい人とは会えず
行きたい場所には行けなくて
鼻に綿棒なんかを突っ込まれたりした
(止め)
ファンや好きな人には大変申し訳ない。どうか捻くれ者の戯言と聞き流してほしいのだが、正直にいえば相田みつをと変わりないと思う。
説経じみた元気の押し付けと、それを無闇にありがたがる需要のあり方などはよく似ている。
その上、「女性ならではの視点」といった文脈で朝日新聞やNHKでその「凛とした」人物像と共に語られるとき、ほとんどゾッとする。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211228/k10013406381000.html
もちろん、茨木のり子その人に、受容のされ方にまで及ぶ責任はないのだが、よく引用される『わたしが一番きれいだったとき』など、当然のように非戦や反戦と絡められると、素朴にも程があると作品にまでケチを付けたくなる。
むしろ、この秀逸なパロディこそが、軽やかに茨木のり子を再現しているように思うのだ。
DJ薄着 @usgi
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらで
あたらしい人とは会えず
行きたい場所には行けなくて
鼻に綿棒なんかを突っ込まれたりした
(止め)