中村中学ではない、なかむらあたるというシンガーソングライターがいる。
http://www.nakamura-ataru.jp/index.html
「友達の詩」「汚れた下着」といったシングルを発表している。ベタなタイトルである。最初に聴いたとき、中島みゆきの歌世界に似ていると思った。しかし、すぐにまるで違うことがわかった。中島みゆきには振られ歌が多いが、女から男を好きになって振られるわけで、ベタなジェンダー性を歌詞にしながら、中島みゆきが描く女は雄々しく、それがゆえに男女ともに中島みゆきは愛される。中村中では、歌詞やその歌唱はもっと儚く不幸だ。久しぶりに出た不幸の味の歌い手だが、五木寛之あたりが褒めそうなところが困る。五木寛之が褒めるとたいてい潰れる。藤圭子然り、山崎ハコ然り。
「友達くらいがいい~」(友達の詩)が脳内リフレインしている。中島みゆきなら、振られた後(実は振っているのだが)、自嘲的に「友達くらいがいい~」と歌うだろうが、中村中は振られる前に、あきらめてそう歌う。負け犬の歌である。歌は世に連れるという。負けるくらいがいい、という時代なのか。
http://www.nakamura-ataru.jp/index.html
「友達の詩」「汚れた下着」といったシングルを発表している。ベタなタイトルである。最初に聴いたとき、中島みゆきの歌世界に似ていると思った。しかし、すぐにまるで違うことがわかった。中島みゆきには振られ歌が多いが、女から男を好きになって振られるわけで、ベタなジェンダー性を歌詞にしながら、中島みゆきが描く女は雄々しく、それがゆえに男女ともに中島みゆきは愛される。中村中では、歌詞やその歌唱はもっと儚く不幸だ。久しぶりに出た不幸の味の歌い手だが、五木寛之あたりが褒めそうなところが困る。五木寛之が褒めるとたいてい潰れる。藤圭子然り、山崎ハコ然り。
「友達くらいがいい~」(友達の詩)が脳内リフレインしている。中島みゆきなら、振られた後(実は振っているのだが)、自嘲的に「友達くらいがいい~」と歌うだろうが、中村中は振られる前に、あきらめてそう歌う。負け犬の歌である。歌は世に連れるという。負けるくらいがいい、という時代なのか。