ウディ・アレン監督・脚本の「ミッドナイト・イン・パリ」は、1920年代の絢爛たるパリを舞台に、ヘミングウェイやフィッツジェラルド、ピカソ、ダリ、コール・ポーターなどが登場して、ウディ・アレン監督作品としては珍しくヒットしたそうだ。アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞だけでなく、美術賞にもノミネートされたのは、当時のパリの街角やカフェ、ホテルの部屋、パーティの模様を豪華に再現したからだろう。たしかに、「ミッドナイト・イン・パリ」の美術はすごかった。
ひきかえ現代物の邦画を観ていていつもがっかりするのは、美術や衣装がなきに等しい場合が少なくないことだ。いったん室内にキャメラが入ると、アダルトビデオもTVドラマも映画作品も、ほとんど区別できない殺伐な空間を見せられる。フィルムに固着する価値のない、島忠ホームズやIDC大塚の売り場で見るような安物のソファやダイニングセットやリトグラフが映される。美意識や伏線はもちろん、そこには何らの主張や訴求もない。
日本のインテリアの貧しさの反映といえばそれまでだが、スクリーンから人物以外のモノや道具が語りかけてくることはほとんどないわけだ。かと思えば、やたらけばけばしく飾られたパンクでロックでキッチュな若者の原色の部屋とか、あるいは笠智衆や乙羽信子でも顔を出しそうな縁側に籐椅子に茶の間といった昭和レトロの部屋など、ありえない饒舌さだったりする。
その点、「あまちゃん」に登場する、1980年代にアイドルに憧れた春子(小泉今日子)の部屋はじつにリアルに作られていて感心した。この「鍵泥棒のメソッド」も、売れない俳優の桜井武史(堺雅人)のボロアパートの乱雑な部屋が重要な場面となるだけに、よく作り込まれていた。日本アカデミー賞の脚本賞を受賞したほど上出来なコメディとして認められているが、ここでは美術を賞賛したい。
売れない俳優の桜井武史の部屋
くわしくはこちらのサイトへ。やっぱり、この映画の美術は話題になっていたんだな。
スーパーのレジ係の井上綾子(森口瑤子)が中学生の息子と住む、所狭しと逸品が置かれた団地の部屋も、とても効果的に見せていた。一瞬、パンするだけだが、パウル・クレーの絵が架かっていた。最後のクレジットの協力協賛に、日本パウル・クレー協会とあったから、たぶん本物だろう。さすがにジミー・ヘンドリックスのギターはレプリカだろうが。美術監督は金勝浩一という人だ。
衣装も優れていた。またしても「あまちゃん」で恐縮だが、吉田副駅長を演じている荒川良々のヤクザの親分工藤純一が、コートからネクタイまで渋いグレーで統一した凝ったなりをしていた。それまで黒のスーツでキメていた「殺し屋」のコンドウ(香川照之)が売れない役者の桜井武史と入れ替わり、間抜けなダンガリーシャツにジーパンで、とぼとぼボロアパートに歩くところも可笑しい。
そして、白眉は黒いハイヒールである。終わり近くの場面で、堅物編集長の水嶋香苗(広末涼子)が車を降りるとき。一瞬、形よく伸びた膝下から細い足首と黒のピンヒールが登場する。かなり高価な品ではないかと思える素敵なハイヒールだった。広末涼子が美しい細い脚を持っていることにはじめて気がついた。
正直いって、堺雅人や広末涼子や森口瑤子を、一度もよい俳優だと思ったことはなかった。ひいきの香川照之にしても、市川中車を継いでから、ひいきを降りていた。梨園の、名門の、という旧弊と袂を分かち、「スーパー歌舞伎」を独創して「歌舞伎界の反逆児」といわれた猿之助の耄碌を晒しているとしか思えないからだ。
しかし、この映画の彼らは、とてもよかった。ウディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」より、ずっと上出来で洒落た作品に出演できた幸福な俳優たちといえるだろう。おまけの、猫飼いのメンヘラ女の胸キュンに笑った後、しかしどちらのカップルも、うまくいきそうでいかなそうなと気づかされて、工藤純一(荒川良々)のようにニヤリとしてしまった。大人の映画である。
(敬称略)