『世界はなぜ地獄になるのか』(橘玲 小学館新書)
売れているというので買ってみた。
「Pert1 小山田圭吾炎上事件」
東京五輪開会式の作曲担当だったミュージシャンの小山田圭吾が、過去に雑誌企画「日本いじめ紀行」のなかで、高校時代のイジメ経験を語っており、それが問題とされて東京五輪から降板させられた事件を検証している。
高校時代とはいえ、酷いイジメをしたのを雑誌で自慢げに得々と語っていたと新聞記事で読んだ記憶しかなかったが、詳細を知ってみると、報道による印象とはずいぶん違ってくる。
橘は当事者や関係者に直接に取材することなく(取材拒否されたからだが)、当時の雑誌記事やその企画意図、問題となって取材を受けた編集者の証言など、資料やWeb記事から丹念にたどり考察していく、アームチェア・ディテクティブ・ルポといえる。
読後、小山田圭吾って、ごく普通の高校生だったんだな、と思った。どこにでもいる、私や誰それであってもかまわない、ごくありふれた。考えてみればそれも当然で、そんなにびっくりするほどの高校生がいるはずがない。
もちろん、マスコミはそんなことは書かなかった。東大卒のシンガーソングライターとして話題となった小沢健二とは中学時代から同級で、二入でバンドを組んでから、その先鋭的な音楽センスが注目され、才能あふれる音楽家として東京五輪開会式の作曲を任されるまでに「勝ち組」になった、55歳ミュージシャンのイジメ・スキャンダルとしてフレームアップしようとした。その信じられない裏の素顔とばかりに、不祥事続きの東京五輪にからめて。
すると、あの「オザケン」も55歳かとちょっと驚いたが、小山田も高校時代なら40年近く前のイジメである。それをおよそ30年前の90年代の雑誌で語っている内容が問題となった。旧聞も旧聞なのだが、イジメをした上に、それを懺悔するどころか自慢した、というところが、現在の国民感情を刺激するとマスコミは乗ったのだろう。
橘が整理したところによると、40年前もイジメ自殺は起きていて、ときに「イジメ問題」がクローズアップされたが、30年前の90年代には、加害者を談話インタビューする雑誌企画が成立するほど、メディアにおいてイジメ問題は一般化して、それだけインパクトが逓減していたと読める。
今回のマスコミ報道も、イジメたという悪事を雑誌で自慢げに語っていたという点が強調され、いわば「ポリコレ」事件として浮上したといえる。だが、問題となった雑誌のインタビューの小山田は、けっして自慢話や武勇伝として語ってはいない。かといって、懺悔調では全然ない。
イジメをした同級生について、その原因となった彼の「奇行」に当初はびっくりしたが、やがて、「気になる存在」となり、「ファンになった」と小山田は話している。イジメの内容も報道されたほど悪質なものではなく、実行者ではなく傍観者であったり、もっと幼い頃の見聞だったりしたものを、切り取り繋げて「衝撃的」な記事にしている。ただし、ときに、もっとも悪質とされてもしかたがない、イジメの「発案者」だったことも小山田は認めている。
そこからは、他人や状況に流され、流れていく、とりたててワルでもなければ嘘つきでもない、他方、その罪の意識と後悔は沈殿しているという、ごくありふれた内面が想像できる。と同時に、何が自分をそうさせたかを知ろうとする小山田の探求心もうかがえる。
スキャンダルが発覚した場合、マスコミは実際以上に悪く書くことが多いが、ときに実際以上に良く書く場合がある。橘の論考はもちろんそんな扇動や忖度には距離を置き、といって中間的な微温的な立場にも立たず、小山田の内省を踏まえながら、社会文化のなかで等身大という捉え直しを試みている。
それはマスコミが煽情的に描き出す「ありえない姿」ではなく、国民感情が期待する「ありのままの姿」の予定調和のどちらでもない、いわば「ありふれた姿」に本質というより、実質を見出そうとしている、という風にも思える。
橘と同じ資料を読み込んだはずの新聞雑誌記者のほとんどが、「誤報」に近いステロタイプな叩き方をした。なかには、小沢健二や小山田圭吾は、メディア人種や音楽界のクリエイター周辺から、特権階級的に遇される、いわば「上級国民」だったから、過去のイジメは無視されてきたのだとする記事さえあった。
金や地位だけでなく、才能という「文化資産」を受け継いだ「上級国民」という観点を音楽界に当てはめたのはおもしろい。しかし、当の小山田は言わずに済んだ、自らの高校時代のイジメを率直に告白し、イジメた同級生(障碍者)との対談までさせようとする企画にあえて乗ったのだ(被害者との対談は断られたが)。
イジメた側は忘れてもイジメられた側はずっと忘れることはないとよくいわれるが、イジメから10年以上も経てなお、小山田はイジメた同級生について、どのようなイジメの場面があったのか、よく覚えていて、どうして起きたのかについても考えていた。
反省や後悔、弁明や謝罪という以上に、イジメ当事者であることを引き受け考え続けてきたことが、小山田の発言からうかがえる(イジメ側が何を思い考えていたかを尋ねるのが、この「日本いじめ紀行」の企画意図だからでもあるが)。やはり、小山田もどうしてイジメをしてしまったのか、なぜそれは起きたのか、イジメた同級生と再会することになっても、知りたかったのだろう。
被害者はもちろんだが、加害者もまた、「なぜ起きたのか」を知りたいのだ。
涙ながらに土下座しろ、社会的制裁を受けろ、イジメられた者の苦しみを少しでも味わえ、という「キャンセルカルチャー」の復讐心の解消からほど遠い、この「日本いじめ紀行」の前向きな企画に感心した(小山田を第1回として、その後は誰も引き受けてくれなかったそうだが)。
誤解を畏れずにいえば、障碍者をイジメた小山田とイジメられた同級生について、その後もずっと考え続けてきた10年後の小山田の屈折した「友情」に、私は好印象を持った。そんな「友情」はあり得ない、自己合理化に過ぎないと直ちに切り捨てる「キャンセルカルチャー」に、与することはできないと思った。
「炎上」に見舞われた55歳の小山田は、いったい何を考えているのだろう。イジメた同級生に出した年賀状の返信のハガキを、いまも大事に持っているのではないか。
橘も少し突っ込んでいるが、障碍児や不登校児などを積極的に受け入れてきた、リベラルな校風で知られる和光学園で、そうしたイジメが蔓延していたことも、興味深い。
(止め)