たぶん、ブラジルのリオやインドのムンバイより、日本の東京が暑い。だって、ブラジル人やインド人、おまけにタイ人やベトナム人も、「アッチュイデスネエ」と根を上げています。そうそう、涼しい曲を探して今夜もボサノバ特集です。
さて、その日本でいちばん暑いところはどこでしょうか? 埼玉県熊谷市? たしかにいつも最高気温をつけますが、違います。広島県の向島というところです。東京には向島(むこうじま)という下町がありますが、広島県のは「むかいしま」と読みます。地元の人間は、広島弁訛りで「むきゃあしま」と呼びます。
尾道の対岸に位置する瀬戸内海の小島です。しまなみ海道が通じて車でも歩いても渡れますが、いまでも小型の連絡船や渡船が通っています。日立造船をはじめ造船所のドックで成り立つ島で、漁業の他にはミカンと麦とサツマ芋を産します。
この向島の暑さときたら、かつて小津安二郎監督のロケ隊が「東京物語」の撮影で滞在した折り、「二度と来たくない!」と逃げるように帰ったというほどです。
映画のロケ隊というものは、地獄へ行けば脱衣婆を踊らせて酒盛りし、天国へ行けば天使の裾をまくって悲鳴を上げさせるような傍若無人に服を着せて帽子をかぶせたような人々です。暑さ寒さなど、ロケの艱難辛苦のなかでは、前奏曲くらいにしか思っていません。
映画「八甲田山」の雪中遭難シーンではじっさいに遭難しかけたそうですが、寒さはたしかに人命に関わりますが、暑くて死ぬ人間はめったにいないわけです。最近は、熱中症で亡くなる人も少なくありませんが、映画屋の感覚では極寒ならともかく炎暑に根を上げるなど、「バカいってんじゃねえよ」ってなもんです。そのロケ隊が降参したのです。
向島の暑さは、その自然条件によります。まず、島自体が固い岩盤でできていて、これが昼間熱せられるのです。炎暑というなら、向島やそれ以上のところはいくらもあるでしょうが、夕方から夜間にさらに暑くなるのがこの島の特徴なのです。毎日が熱帯夜。それも逃げ場のない暑さ。風が吹かないからです。
瀬戸内海に浮かぶ島ならば、潮風が吹くだろうと思うでしょうが、瀬戸内海は内海なので向島近辺では波風がほとんど立ちません。油面のような海なのです。私たちが知る湖面に近い。波打ち際はちゃぷんと寄せるくらいです。夕方から凪になれば、風はそよとも吹きません。
向島の漁師が房総勝浦へ旅して、旅館に入るなり仲居に尋ねたそうです。「ありゃあ、何の音ですかのう」「はあ、音といいますと?」「ほら、さっきから、ごうごうともの凄い音が・・、聞こえないですかの?」「はあ、何も聞こえませんが、波の音しか」「えっ、あれは波の音ですか、海の」「お客さん、からかっちゃ嫌ですよお」という問答があって、向島夫妻は旅館を出て海岸まで歩いて、東映のマークのように岩に打ち寄せる、波の大きさ高さに腰を抜かさんばかりだったそうです。
向島や尾道の漁師で、朝起きて勝浦のような波をみたら、ただちに漁協に連絡して出漁は取り止め、古老にお伺いを立ててみなで神社にお参りに行くでしょう。千葉の「板子一枚下は地獄」という漁師とは違って、向島あたりの漁師は手こぎ舟で釣り糸を垂らし、ベラやチヌ、オコゼや目の下1寸くらいの鯛を釣り上げ、それを女房が手押し車に入れて売り歩くという零細なもの。「板子一枚下」にはフカがうようよいるくらいで、波風立たない漁師人生があたりまえなのです。
地元の子どもたちの海の遊びといえば、波乗りです。波が立たないのに、波乗りとはこれいかに? 狭い尾道水道をフェリーや小型船舶が通ると波が起きて、海岸で浮いている子どもたちに及びます。「上がった上がった!」「下がったあ」「ほれ、つぎの波が来よるぞ」と喜ぶわけです。向島の子どもたちにとって、波とは船が立てるものだけなのです。
岩盤のせいか島の樹木は松ばかり、樹間をわたる風も吹かず、熱せられた島の岩盤の熱気はどこにも逃げずどよーんとたまったままのサウナ状態。向島人は汗にまみれながら寝ゴザの上を転々惻々して、朝を迎えるのです。昔だって、扇風機くらいはあったはず? 熱風が送られるだけでした。いまはさぞやクーラーの電気代がかさんでいるでしょう。
東京の大学に進学した娘が、「東京の夏も暑いけれど、夜はみんな夏掛けというのをかけて寝るんよ」と両親に手紙を書いて送ったら、向島人は、その話しを聞いて、「ほお、そうかあ、そりゃあ、たまげたのお、さすが東京はええのう」とみな驚き感心したそうです。
もうひとつ、向島では夜に自転車で細い道を走るときは、青大将を踏んでしまうことがよくあるそうです。冷血動物の蛇ですら暑くてたまらず、草むらから這い出て長く伸びているわけです。そこを「紐でも落ちとるんかな」と自転車のタイヤで踏んでしまい、振り返ると紐がのたうち回っているのでびっくり。向島だけの夏の夜の風物詩というわけです。
炎天下に長時間放置した自動車のドアを開け、車内に入ってむわっとする熱気にあわててエンジンキーをまわし、ウインドウを開け放ち、汗を滲ませながらクーラーが効き出すまでの数分間を我慢することがありますね。その熱気よりさらに数倍の暑さが一日中続く、「むきゃあしま」をこの夏は訪ねてみませんか。向島から眺めた金色に染まる瀬戸内の夕景はそれは美しいものです。
さて、その日本でいちばん暑いところはどこでしょうか? 埼玉県熊谷市? たしかにいつも最高気温をつけますが、違います。広島県の向島というところです。東京には向島(むこうじま)という下町がありますが、広島県のは「むかいしま」と読みます。地元の人間は、広島弁訛りで「むきゃあしま」と呼びます。
尾道の対岸に位置する瀬戸内海の小島です。しまなみ海道が通じて車でも歩いても渡れますが、いまでも小型の連絡船や渡船が通っています。日立造船をはじめ造船所のドックで成り立つ島で、漁業の他にはミカンと麦とサツマ芋を産します。
この向島の暑さときたら、かつて小津安二郎監督のロケ隊が「東京物語」の撮影で滞在した折り、「二度と来たくない!」と逃げるように帰ったというほどです。
映画のロケ隊というものは、地獄へ行けば脱衣婆を踊らせて酒盛りし、天国へ行けば天使の裾をまくって悲鳴を上げさせるような傍若無人に服を着せて帽子をかぶせたような人々です。暑さ寒さなど、ロケの艱難辛苦のなかでは、前奏曲くらいにしか思っていません。
映画「八甲田山」の雪中遭難シーンではじっさいに遭難しかけたそうですが、寒さはたしかに人命に関わりますが、暑くて死ぬ人間はめったにいないわけです。最近は、熱中症で亡くなる人も少なくありませんが、映画屋の感覚では極寒ならともかく炎暑に根を上げるなど、「バカいってんじゃねえよ」ってなもんです。そのロケ隊が降参したのです。
向島の暑さは、その自然条件によります。まず、島自体が固い岩盤でできていて、これが昼間熱せられるのです。炎暑というなら、向島やそれ以上のところはいくらもあるでしょうが、夕方から夜間にさらに暑くなるのがこの島の特徴なのです。毎日が熱帯夜。それも逃げ場のない暑さ。風が吹かないからです。
瀬戸内海に浮かぶ島ならば、潮風が吹くだろうと思うでしょうが、瀬戸内海は内海なので向島近辺では波風がほとんど立ちません。油面のような海なのです。私たちが知る湖面に近い。波打ち際はちゃぷんと寄せるくらいです。夕方から凪になれば、風はそよとも吹きません。
向島の漁師が房総勝浦へ旅して、旅館に入るなり仲居に尋ねたそうです。「ありゃあ、何の音ですかのう」「はあ、音といいますと?」「ほら、さっきから、ごうごうともの凄い音が・・、聞こえないですかの?」「はあ、何も聞こえませんが、波の音しか」「えっ、あれは波の音ですか、海の」「お客さん、からかっちゃ嫌ですよお」という問答があって、向島夫妻は旅館を出て海岸まで歩いて、東映のマークのように岩に打ち寄せる、波の大きさ高さに腰を抜かさんばかりだったそうです。
向島や尾道の漁師で、朝起きて勝浦のような波をみたら、ただちに漁協に連絡して出漁は取り止め、古老にお伺いを立ててみなで神社にお参りに行くでしょう。千葉の「板子一枚下は地獄」という漁師とは違って、向島あたりの漁師は手こぎ舟で釣り糸を垂らし、ベラやチヌ、オコゼや目の下1寸くらいの鯛を釣り上げ、それを女房が手押し車に入れて売り歩くという零細なもの。「板子一枚下」にはフカがうようよいるくらいで、波風立たない漁師人生があたりまえなのです。
地元の子どもたちの海の遊びといえば、波乗りです。波が立たないのに、波乗りとはこれいかに? 狭い尾道水道をフェリーや小型船舶が通ると波が起きて、海岸で浮いている子どもたちに及びます。「上がった上がった!」「下がったあ」「ほれ、つぎの波が来よるぞ」と喜ぶわけです。向島の子どもたちにとって、波とは船が立てるものだけなのです。
岩盤のせいか島の樹木は松ばかり、樹間をわたる風も吹かず、熱せられた島の岩盤の熱気はどこにも逃げずどよーんとたまったままのサウナ状態。向島人は汗にまみれながら寝ゴザの上を転々惻々して、朝を迎えるのです。昔だって、扇風機くらいはあったはず? 熱風が送られるだけでした。いまはさぞやクーラーの電気代がかさんでいるでしょう。
東京の大学に進学した娘が、「東京の夏も暑いけれど、夜はみんな夏掛けというのをかけて寝るんよ」と両親に手紙を書いて送ったら、向島人は、その話しを聞いて、「ほお、そうかあ、そりゃあ、たまげたのお、さすが東京はええのう」とみな驚き感心したそうです。
もうひとつ、向島では夜に自転車で細い道を走るときは、青大将を踏んでしまうことがよくあるそうです。冷血動物の蛇ですら暑くてたまらず、草むらから這い出て長く伸びているわけです。そこを「紐でも落ちとるんかな」と自転車のタイヤで踏んでしまい、振り返ると紐がのたうち回っているのでびっくり。向島だけの夏の夜の風物詩というわけです。
炎天下に長時間放置した自動車のドアを開け、車内に入ってむわっとする熱気にあわててエンジンキーをまわし、ウインドウを開け放ち、汗を滲ませながらクーラーが効き出すまでの数分間を我慢することがありますね。その熱気よりさらに数倍の暑さが一日中続く、「むきゃあしま」をこの夏は訪ねてみませんか。向島から眺めた金色に染まる瀬戸内の夕景はそれは美しいものです。