http://sankei.jp.msn.com/science/news/120228/scn12022800160000-n1.htm
事故調の結論を一言でいえば、「泥縄」に尽きるだろう。「マイクロマネジメント」とは、「泥縄」の結果であって、けっしてその原因ではないはずだ。では、「泥縄」は何の結果なのか、そこを考え続けるしかないと思う。「泥鰌」の原因であることはさておき。
正直いって、恥ずかしながら、民主党の政権交代には期待してきた。ただ自民党政治に飽き飽きしていただけで、民主党支持にたいした理由はなかったのではないかという疑いはある。もうひとつ、正直にいえば、いくらか、もしかするとかなり、身びいきがあったような気もする。
菅直人をはじめとする民主党の首脳陣の多くは、私の先輩世代か、同世代が多い。どこかで袖すり会った気がする人々に、親近感を覚えたのは事実だ。だからこそ、ざっと事故調報告の概要を知ってみると、まるでそこで狼狽し、激昂し、右往左往する民主党の面々の一人に、たやすく自分の姿を重ねられて、とても他人事には思えない。
もし、私が同じ立場にいたら、たぶん彼らと同様、あるいはそれ以上に、狼狽し、激昂し、右往左往したに過ぎないだろう。私が身近に知る先輩や同輩たちを思い浮かべても、そう変わりない気がする。気がするとか、そう思うとか、根拠に乏しく論理的ではないが、そう認めざるを得ない、これもひとつの事実だ。結局、俺たちには一国を経営する力や覚悟がなかったのかと苦く思う。
事故調の結論の不備を一言でいえば、東電が聴取に応じていないに尽きる。そして、泥鰌が縄をなう「結果」の連鎖が続いていく。原因はどこにもなく、誰も知らない。ただ、結果だけが現前する。
(敬称略)