コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

アメリカの高橋竹山

2010-10-31 23:12:00 | 音楽
ベースという楽器を発明した人は、まさかこんな風に弾かれるとは思わなかったであろう。

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Alex Blake with Randy Weston


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屋根の上の猫

2010-10-30 22:39:00 | ジョーク



出張で家を離れている夫に妻が電話をして、飼っていた猫が死んでしまったと言った。すると夫は怒って言った。

「なんの前置きもなしに、よくそういうことがいきなり言えるね。そういうことをしてたら、きみは誰かを心臓麻痺で殺しかねないぞ。こういう話は相手に優しく伝えるものだ。電話していきなり、猫が屋根に登って落ちて死んだなんてまくしたてるんじゃない。まず最初の電話では、猫が屋根に登ったことだけを伝える。次の電話では、みんなで猫を降ろそうとしたんだけど、消防署の人にも釆てもらったんだけど、うまくいかなかったことだけを伝える。そうしておけば、三度目の電話のときには、ぼくのほうも心の準備ができてるから、そこできみはおもむろに、猫は死んだと言えばいいのさ」

 夫の出張先にまた妻から電話がかかってきた。夫は、簡単な挨拶を交わしたあと、何か変わったことはないかどうか尋ねた。すると妻はこう言った、
「お義母さんが屋根に登って……」

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玉石混淆

2010-10-27 08:16:00 | ノンジャンル
10・24「検察・検審を糾弾するデモ」が日比谷公園まで行われたようです。自民党出身の保守政治家の「政治とカネ」の問題で、小規模(500人?)ながら、反検察デモが組織されるなど、前代未聞のことでしょう。もちろん、中国の「反日デモ」が「反政府」を内包しているように、このデモは、「脱属国」を背景としていることは自明です。先日の「反中国デモ」がまったく報道されなかったのと同様に、この「検察・検審を糾弾するデモ」もメディアから黙殺されました。いまどき、新聞やTV、週月刊誌の記事をニュースと思っている人がどれだけいるのでしょうか? その一方で、インターネットのガセ情報が口コミでマスコミに拡がっているのが以下。

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そして以下は、インターネットがジャーナリズムに代わって報道している例です。

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いま日本でもっとも

2010-10-27 02:07:00 | 新刊本


容赦のない文章を書く人は誰かといえば、そりゃ、小谷野敦です。本名かどうかは知らないが、こやの あつし ではなく、こやの とん と読ませるところからして、ただ者ではない
(小谷野敦なら、本名ならどうするんだと突っ込むだろうが)。恋愛至上(市場)主義を批判した『もてない男』など、この人以外に書けそうもない名著である。つまり、他者にはもちろん、自分にも容赦ない人が、脳天気な「日本人論」を許容するわけがなかったという本が、『日本文化論のインチキ』(幻冬舎新書)。裏表紙の紹介文は以下です。

「日本語は曖昧で非論理的」「日本人は無宗教」「罪ではなく恥の文化」……わが民族の独自性を説いたいわゆる日本文化論本は、何年かに一度「名著」が出現し、時としてベストセラーとなる。著者はある時、それらの学問的にデタラメな構造を発見した。
 要は①比較対象が西洋だけ、②対象となる日本人は常にエリート、③歴史的変遷を一切無視している、のだ---。国内外の日本論に通じる著者が『武士道』に始まる一〇〇冊余を一挙紹介、かつ真偽を一刀両断。有名なウソの言説のネタ本はこれだ!


表紙カバーの紹介文は、担当編集者が書くのが通例だが、もしかすると、小谷野自身が書いているのかもしれない。小谷野本を読みはじめると、誰でもすぐに、「自意識過剰」という言葉を思い浮かべるはずだが、やがて、その自意識はかなりふてぶてしいことに気づくことになる。帯には、名著の誉れ高い「日本人論」の「ウソの言説」を並べている。

*「甘え」という語は西洋語にはないから日本人特有の感情だ。『「甘え」の構造』土居健郎
*日本人は裸体を気にしない『逝きし世の面影』渡辺京二
*日本は処女の純潔を重んじない『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス
*日本の文藝に描かれた恋は、藝者相手迷いのようなものしかない『東の国から』ラフカディオ・ハーン
*日本人の祖先は宝貝を求めて南方から移住してきた『海上の道』柳田國男
*黒船に無理矢理開国させられた日本人は以後トラウマを引きずり、米国に愛憎入り交じった感情を抱くようになった『ものぐさ精神分析』岸田秀
*ユダヤーキリスト教文化は父性的、日本は母性的。『母性社会日本の病理』河井隼雄


このほかにも、李御寧の『「縮み」志向の日本人』やヘーゲルの「歴史哲学」、フロイトやラカン、司馬遼太郎などなど、洋の東西古今を問わず、学問と誤解されているが非学問的なエッセイや世間話に過ぎないと言い放ち、たとえ学問的ではあっても今日では一顧だにされない旧説と切り捨てる、その太刀さばきが痛快この上ない。政治と教育と映画と日本人論は、誰でも何か書けるものだが、小谷野のような人に典拠を示せといわれれば、裸足で逃げ出す他はない。小谷野敦、最強じゃないか。こちらが最弱なのかもしれないが。

(敬称略)



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異形の日本人

2010-10-26 20:56:00 | 新刊本


岩波新書から出すには、アカデミックなアプローチに欠け、朝日新書から出すには、ジャーナリスティックな煽情性に足りず、文春新書から出すには、被差別部落出身ライターにしては暴露性に物足りず、ちくま新書から出すには、気楽なサブカルには及ばず、光文社新書や幻冬舎新書は売れないだろうと踏み、たまたま、新潮新書の編集者に物好きな知り合いがいた。かどうかはわからないが、上原善広の新潮新書2冊目。

『異形の日本人』(上原 善広 新潮新書)

当ブログでは、2008/11/13に、『被差別の食卓』(上原 善広 新潮新書)を紹介している。


表紙カバーの紹介文は以下。

虐げられても、貧しくとも、偏見に屈せず、たくましく生きた人たちがいた。哀しい宿命のターザン姉妹、解放同盟に徹底的に糾弾された漫画家、パチプロで生活しながら唯我独尊を貫く元日本代表アスリート、難病を患いながらもワイセツ裁判を戦った女性、媚態と過激な技で勝負する孤独なストリッパー……。社会はなぜ彼らを排除したがるのか? マスメディアが伝えようとしない日本人の生涯を、大宅賞作家が鮮烈に描く。

新潮新書の物好き編集者は、あまり文章が上手くないし、文章を書くのが好きではないようだ。「虐げられても、貧しくとも、偏見に屈せず、たくましく生きた人たちがいた」とは、そのとおりなのだが、そのとおり過ぎるだろう。また、困ったことに要約が、少しあるいはかなり内容とずれている。「社会はなぜ彼らを排除したがるのか?」というが、社会の側の視点には、ほとんど触れられていない。当事者に取材したルポだからあたりまえなのだが、「社会人」の贖罪意識を刺激しようという惹句はいただけない。たぶん、『被差別の食卓』は売れなかっただろうから、大宅ノンフィクション賞受賞後第一作で売りたかった気持ちはわかるのだが。

目次

はじめに
各分野におけるマイノリティ、「異端」とされてきた人たちを取り上げてきた。そうした人々の物語や、一種タブーとされてきた出来事の中にこそ、日本人の本質的な何かが隠されているのではないかと思ったからだ。
 彼らの本当の声が、テレビなどの大手メディアで報道されることは決してない。(帯に抜粋された文)


37歳(1973年生まれ)と若いわりには、1970年代に若いライターが書いたように生硬。「隠された本質的な何か」「彼らの本当の声」など、「本質」や「本当」が直感的に認識できるかのような純朴さも似かよっている。

「テレビなどの大手メディアで報道されることは決してない」という、いまさらなマスコミ批判も、かつてなら、大手メディアに登壇したいという上昇指向か、その補完物に過ぎないのではという苦さを隠したものであったがために、少なくとも書き手のリアリティには裏づけられていた。

ところが、この著者が採用するのは、「彼らの本当の声に隠された本質的な何か」を問うなかで、「忘れられた日本人」のよすがを辿る、民俗学的なフィールドワークらしい。路地(被差別部落)をテーマに大宅ノンフィクション賞を受賞したが、もう少し広い野原(フィールド)に出るために、これまでの主題と方法論を突破したいと悩んでいるらしい。

本書の登場人物たちを「忘れられた日本人」にまとめるには、かなり無理がある。それぞれの雑誌に寄稿した文章を集めただけなのに、なんとか作家性を貫いたように見せたい苦しまぎれとしか読めない。この著者のルポには、時代錯誤な味わいがあるのに、編集者が沢木耕太郎のように売り出したいという時代錯誤を犯しては、贔屓の引き倒しになるだろう。

「はじめに」はなくてよかった。それぞれのルポは、じゅうぶんに読みがいのあるものばかりだったので、惜しい気がする。

第一章 異形の系譜-禁忌のターザン姉妹 
    半裸の姉妹 鹿児島の村 東大の研究と皇室
    生家を見に行く 侏儒どんと姉妹の墓 姉妹との邂逅


昭和27年の新聞記事に発見した、ほとんど言葉を解さず、野生の猿のように生きた「障碍者」姉妹を追ったルポ。「人権に配慮して」、中途で取材を止めたことに疑問は残るが、取材に振り回されない姿勢には、好感が持てた。

第二章 封印された漫画-平田弘史『血だるま剣法』事件
    封印された漫画 被差別を描く 解放同盟の糾弾と改作
    休筆の果てに 差別は悪くない


平田弘史ファンなら知る有名な事件だが、平田弘史の苦悩がかいま見え、解放同盟側をここまで書いたのははじめてだろうと、新鮮に読めた。もっと、その後の「自主規制」や「自粛」につながる差別的な「言論弾圧」構造に迫ってほしかった。

第三章 溝口のやり-最後の無頼派アスリート  
    アジア記録をもつ男 奇抜な思考と奇異な投擲術 
    精神と肉体 原動力は悔しさ アスリートの過去 
    溝口伝説 決定的な敗北 再び世界へ 世界新記録
    壊れた肩 パチプロへの転身 室伏広治への指南 
    アスリート無頼 燃えつきた男


「やりの溝口」はまったく知らなかった。優に一冊にできる素材だ。パチプロへの転落ではなく、転身というのが凄い。豪放かつ繊細な溝口に魅了され、ハードボイルドの日本語訳は、無頼であるべきだなと思った。

第四章 クリオネの記-筋萎縮症女性の性とわいせつ裁判  
    脊髄性進行性筋萎縮症 淡い恋 癒し系の障害者 
    恋愛から求婚へ 医師の淫行 自殺未遂とわいせつ行為 
    わいせつ裁判の行方 判決への道のり 流氷の天使


これもまったく知らない事件だった。読み進むうちに、『AV女優』(永沢 光雄 文春文庫)という優れたインタビュー集を思い起こさせた。インタビューは上手下手ではなく、結局人格なのだろう。

第五章 「花電車は走る」-ストリッパー・ヨーコの半生  
    花電車への喝采 八つの出し物 お股からの炎
    波潤の半生 ストリップデビュー 病床の父との再会 
    年の瀬のファイヤー


花電車を稼業とする中年ストリッパーを、言葉の正しい意味で、キャリアウーマンとしてとらえ、「キャリア(職歴)」を問うなかで、彼女の仕事への真摯な姿勢を浮かび上がらせている。男出入りには眼を向けない、そんなプライバシーはどうだっていい、という著者の潔い視線が好ましい。

第六章 皮田藤吉伝-初代桂春團治  
    落語との出会い 「王将」阪田三吉と春團治 
    人間の業の肯定 春團治の落語 噺の特徴 
    皮田家に生まれて 修行時代 後家殺し 
    人気者になれ 皮田姓から岩井姓へ 火宅の人
    漫才の台頭 晩年 春團治の下げ


桂春團治も名前は知っていたが、ほとんど知らなかったことを知ることになった。これも一冊にできる内容だ。その場合、被差別と春團治の芸や個性との距離の置きかたは、それこそもっと遠く迂回しなければならないだろう。被差別もまた、「伝統」であるようだから。

あとがき

興味深い登場人物たちとの交流や後日談。「はじめに」の気負いがとれている。列車を見送った帰り道、見送った人について、ちょっと語り合うような、和やかだけど少し寂しい気分になる。売れないだろうが、よい本でした。なぜか、新大手町ビル1Fの小さな書店で買い求めました。

(敬称略) 
      
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