コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

ミリオンダラーベイビー

2005-11-17 14:24:43 | ノンジャンル
他愛ないが、泣ける場面。フランキーが新調したガウンをマギーに着せるところ。男が女に何かをプレゼントする。「他の人のものかと思っていた」。好きな男からプレゼントされた女の舞い上がりたいような喜び。その喜びを喜びとするときの男の微笑。覚えのある人は思い出すよ。
まだまだある。「あなたは私を見ていた!」「哀れみをこめてな」「嘘をつかないで!」「・・・」。70歳をとうに過ぎた男でも、こんな風に口説かれたら地獄にだっていきまさあね。
「アイキャント」。フランキーは木偶のように繰り返す。練習でも試合でも、けっして、「アイキャント」とはいわず、他人にもいわせない男が。
「私の名前を呼ぶ観客の声が聞こえなくなるのが怖い」とマギー。多くの元ボクサーに取材したのだろう。どうしてか、前ボクサーとはいわない。ボクサーがたんなる職業ではないからだろう。
「誰でも一度は負ける」。負けたデンジャーの口許に浮かぶ自嘲の笑み。「俺はダメさ」。夢見る瞳が現実の苦さに曇るとき。しかし、デンジャーはジムに戻ってくる。スクラップがはじめてみせる晴れやかな笑顔。
ところで、女性ボクシングの世界タイトルマッチのギャラが100万ドル! 男の日本チャンピオンや東洋太平洋チャンピオンはギャラ100万円ももらっているかしら。

三丁目の夕日

2005-11-09 14:29:00 | ノンジャンル
ネットの知人間にも評判がよろしいですな。よかった、という人に観もしないうちからケチつける気はない。ないが、原作漫画や映画はさておいて、あの時代をいささかでもよかったと回顧することには、やはり何がしか違和感を感じる。

あの頃に書かれた、歌われた歌ではないが、三上寛の「夢は夜ひらく」の一節が脳内にこだまする。

八百屋の隅で泣いていた/子どもを背負った泥棒よ/キャベツひとつ盗むのに涙はいらないぜ/

違和感よりもっと強い苛立ちをプロジェクトバツにもときどき感じた。日本初の高層ビル霞ヶ関ビル建設の巻などに。

三丁目の夕日の頃、早熟であった俺は、駄菓子屋の婆さんにその日読んだ新聞記事を話してやるのを日課にしていた時期があった。いまでも覚えている。北海道や九州の炭坑の落盤事故で毎週のように何十人もの坑夫が死んだ。

また、工事現場で東北からの出稼ぎ農民が何人も死んだ記事も毎週のように載っていた。会社からの見舞金が1人50万円という安さに驚いた覚えがある。いまから思えば、凄まじいインフレの時代だったのに人命だけは安かったのだ。

菓子屋の婆さんは、記事を読んで口を尖らせて怒ったり、悲しんだりする俺を、「よく読めたねえ、賢い子だねえ」とニコニコ褒めてくれたが、俺の方は啓蒙し甲斐のない年寄りだとしばらくして新聞の朗読は止めてしまった。

いまも、手取り12、3万円で東京一人暮らしのケーキ屋の店員はいるし、時給600円で働く掃除のおばさんもいる、田舎に行けば、一家の大黒柱の稼ぎが20万そこそこ。

北海道の酪農農家なら、夫婦2人で朝星夜星仰いで働き年収400百万。父ちゃんは40代にしてすでに腰が曲がっている。三沢基地から飛来する米軍機の演習の轟音で牛の乳の出が止まるのは天災みたいなものか。

東京の住宅地を昼間訪ねてごらん。ジジババしかいないか、まるで空き家。オヤジは会社でサービス残業、子どもは塾、カアチャンは住宅ローンを払うためにパート。人が住まず憩わず、手入れしない家は寂れる。パリ郊外は燃えているそうだ。1週間も続けば暴動ではなく蜂起だな。