スティーブン・キングの文章読本『書くことについて』について書こうと思っていたのですが、相変わらずかんじんの本が家庭内行方不明のまま。しかたなく、日英語を比較する記事をネット検索していたら、「心壁論」を説くとても興味深いブログに行き当たりました。
「心壁論」と、論理構造の解明・組合せ論的整理術を「心の基軸」 とすることの本質的重要性 (21)
https://plaza.rakuten.co.jp/shinichi0329/diary/201711210000/
「心壁論」とは(しんぺきろん)ではなく、(こころ(ある)かべろん)」と読むそうです。冒頭に結論(自らの主張)を簡潔に書いています。
・異質な者同士の間に「壁」を設定することは重要ですが、一方で、その「壁」を通り抜ける力のある「心」も重要です。
以下、記述のほとんどは、結論の前段の「壁」について、その解説と有用性に費やされています。
十分に異質な者同士の間に適切な「壁」を設定しないと、当事者の手に負えない複雑度の爆発が発生し、当事者同士の間の認識解像度が著しく低下することによって通常の人間らしい社会が破綻してしまうような状況に追い込まれてしまいます。
「十分に異質な者同士」とは、筆者がアメリカで育ち、学んできた体験から、日本語と英語、一神教と多神教の異質性を通して語られます。
さて、異質な者たちが「当事者」として席を同じくしたとき、複雑度が増すのはわかるのですが、認識解像度が低下するというのはどういうことなんでしょう。検索してみたら、わかりやすい解説がありました。https://note.com/y_uemizu/n/nf78b8e892581
異質なうえに、洞察力を欠片も発揮できない人間同士なら、そりゃ収拾がつかなくなります。だから、「壁」が必要だというのです。しかし、「壁」とはもちろん、見えるものを見えなくする遮蔽物であり、ほとんど「障壁」と置換できそうなほど、負のイメージをまとっています。
たとえば、かつて東西ドイツを分断した「ベルリンの壁」があり、最近ではトランプ大統領がメキシコを経て移民流入を阻止するため、「国境の壁」を建設しようとしています。村上春樹に「壁と卵」スピーチもありました。「壁(権力や権威)にぶつかって潰れる卵(人間)の側に立ちたい」と訴えるものでした。
物理的な建築物ではない心理の「壁」も、たいていは否定的に扱われます。たとえば、「心に壁をつくるな」「自分の壁を破れ!」など、「壁」はないほうがよくて、あるとすれば、壊したり乗り越えたりすべきもののようです。そういえば、「バカの壁」というベストセラーもありました。
余談ですが、同質性が高いといわれている日本社会においても、「当事者同士の間の認識解像度が著しく低下することによって」、「人間らしい社会が破綻してしまうような状況」が確実に広がっている気がします。
23日にSNSの中傷を苦にして自殺したとみられる女子プロレスラーの木村花さんなど、この「当事者同士の間の認識解像度が著しく低下」した結果のように思われます。中傷を書き込み、または「いいね!」と賛同した「当事者」たちは、公表されて厳しく罰せられて然るべきですが、この「心壁論」を読むと、「壁」を認めない、「壁」のない人たちに思えてきます。
筆者は、適切な「壁」の設定は重要だとした上で、「壁」をなくしたときに起きる混乱と破綻の例として「バベルの塔」に遡り、専門分野である難解な現代数学理論を解説しつつ、パソコンのC・Dのドライブ区分のような「壁」を具体例として示し、水村美苗とカズオ・イシグロという二人のバイリンガルを「言語の壁」からとらえ直し、英語の定冠詞・不定冠詞とSVO:SOV型語順などのいわゆる「英語の壁」の無意味性を指摘し、不適切に設定された日本人の「心の基軸」たる「日米機軸」という高く厚い「壁」を批判し、北朝鮮の核戦略がもっとも「認識解像度」が高いと評価しています。
自らの体験と知見を軸にして、多様なトピックを縦横無尽に考察したとても優れたコラムの一篇です。
ちなみに筆者の望月新一氏はこんな人です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9816433d3f22c7f87a8fa0aeeba0d09438d33b8c
(続く)
「心壁論」と、論理構造の解明・組合せ論的整理術を「心の基軸」 とすることの本質的重要性 (21)
https://plaza.rakuten.co.jp/shinichi0329/diary/201711210000/
「心壁論」とは(しんぺきろん)ではなく、(こころ(ある)かべろん)」と読むそうです。冒頭に結論(自らの主張)を簡潔に書いています。
・異質な者同士の間に「壁」を設定することは重要ですが、一方で、その「壁」を通り抜ける力のある「心」も重要です。
以下、記述のほとんどは、結論の前段の「壁」について、その解説と有用性に費やされています。
十分に異質な者同士の間に適切な「壁」を設定しないと、当事者の手に負えない複雑度の爆発が発生し、当事者同士の間の認識解像度が著しく低下することによって通常の人間らしい社会が破綻してしまうような状況に追い込まれてしまいます。
「十分に異質な者同士」とは、筆者がアメリカで育ち、学んできた体験から、日本語と英語、一神教と多神教の異質性を通して語られます。
さて、異質な者たちが「当事者」として席を同じくしたとき、複雑度が増すのはわかるのですが、認識解像度が低下するというのはどういうことなんでしょう。検索してみたら、わかりやすい解説がありました。https://note.com/y_uemizu/n/nf78b8e892581
異質なうえに、洞察力を欠片も発揮できない人間同士なら、そりゃ収拾がつかなくなります。だから、「壁」が必要だというのです。しかし、「壁」とはもちろん、見えるものを見えなくする遮蔽物であり、ほとんど「障壁」と置換できそうなほど、負のイメージをまとっています。
たとえば、かつて東西ドイツを分断した「ベルリンの壁」があり、最近ではトランプ大統領がメキシコを経て移民流入を阻止するため、「国境の壁」を建設しようとしています。村上春樹に「壁と卵」スピーチもありました。「壁(権力や権威)にぶつかって潰れる卵(人間)の側に立ちたい」と訴えるものでした。
物理的な建築物ではない心理の「壁」も、たいていは否定的に扱われます。たとえば、「心に壁をつくるな」「自分の壁を破れ!」など、「壁」はないほうがよくて、あるとすれば、壊したり乗り越えたりすべきもののようです。そういえば、「バカの壁」というベストセラーもありました。
余談ですが、同質性が高いといわれている日本社会においても、「当事者同士の間の認識解像度が著しく低下することによって」、「人間らしい社会が破綻してしまうような状況」が確実に広がっている気がします。
23日にSNSの中傷を苦にして自殺したとみられる女子プロレスラーの木村花さんなど、この「当事者同士の間の認識解像度が著しく低下」した結果のように思われます。中傷を書き込み、または「いいね!」と賛同した「当事者」たちは、公表されて厳しく罰せられて然るべきですが、この「心壁論」を読むと、「壁」を認めない、「壁」のない人たちに思えてきます。
筆者は、適切な「壁」の設定は重要だとした上で、「壁」をなくしたときに起きる混乱と破綻の例として「バベルの塔」に遡り、専門分野である難解な現代数学理論を解説しつつ、パソコンのC・Dのドライブ区分のような「壁」を具体例として示し、水村美苗とカズオ・イシグロという二人のバイリンガルを「言語の壁」からとらえ直し、英語の定冠詞・不定冠詞とSVO:SOV型語順などのいわゆる「英語の壁」の無意味性を指摘し、不適切に設定された日本人の「心の基軸」たる「日米機軸」という高く厚い「壁」を批判し、北朝鮮の核戦略がもっとも「認識解像度」が高いと評価しています。
自らの体験と知見を軸にして、多様なトピックを縦横無尽に考察したとても優れたコラムの一篇です。
ちなみに筆者の望月新一氏はこんな人です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9816433d3f22c7f87a8fa0aeeba0d09438d33b8c
(続く)