もとい、日米韓首脳会談、であります。
会談後の記者会見で安倍首相がパククネ大統領に顔を向け、韓国語で「朴大統領ともお目にかかれて、本当にうれしく思います」と話しかけても、正面を向いたまま視線を合わせず、硬い表情を崩しませんでした。下の「
報道に過不足あり」で、韓中の日本に対する「歴史認識」批判はプロパガンダという「ロシアの声」掲載の論説に賛同しましたが、パククネ大統領の沸き立つ感情を抑え込んだような冷厳な顔を視て、あらためてプロパガンダというだけに収まらないものを感じました。
「
東アジア 記憶の戦争」論説でも、
2月末、中国政府は南京で朝鮮人慰安婦が働かされていた場所にメモリアルを設ける予定だ。これは決して人道的な考慮によるものではなく、政治的行動であることを忘れてはならない。
として、主に中国の日本への言動をプロパガンダとして明快に切り捨てていますが、韓国のそれへの言及はわずかしかありません。筆者のアンドレイ・ラニコフ氏も、プロパガンダとだけ整理するには躊躇せざるを得ないほど、韓国の行動には理解しがたいところがあったのでしょう。中国に言及したその前段は、主に韓国を指し示していると思えます。
多くの場合、ナショナリズム感情というのは実際の地政学的利害の前には意味を成さないが、東アジアにおいては一見たんなるシンボリックな行動であっても、現実的に大きな政治的意味をもつことがある。
韓国の「地政学的利害」からいえば、反日は「意味を成さない」が、従軍慰安婦、東海表記、旭日旗批判などの「シンボリックな行動」であっても、国内世論の統合という「現実的に大きな政治的意味」をもつことがある。そう読み換えられます。
うがってみるなら、ロシアにとって対日政策は、その逆だと云いたいのでしょう。エネルギー供給や北方領土及び、シベリアの共同開発など日本との経済協力関係を進めることで、ロシア経済の活性化をはかり、東アジアにおけるロシアの安全保障の基盤をつくり、もって政権基盤をより強固にしたい。それが、ロシアの対日関係における「現実的に大きな政治的意味」であり、つまり未来志向というわけです。
クリミア併合により欧米から経済制裁をつきつけられても平然としていられるほど自給自足体制のロシアに比べれば、韓国ははるかに脆弱な国家体制である上に、北朝鮮という最悪の隣国に接しています。地政学的な利害に関しては、ロシアよりいっそう敏感であることが求められる韓国が、その「親中」はともかく、「反日」から不利益以外の何が得られるのか、理解に苦しむというところでしょう。プロパガンダとは何より、自国の利益、具体的な利益を求めて発動されるものだからです。
政治や経済、文化といった統治の次元では、理解を越えた韓国の激しく執拗な反日の主張を考えるために、もしかすると一つの補助線として有効に思える韓国映画があります。日韓関係に関心がある向きは、ぜひご覧になることをお勧めします。韓国の国民感情を知るのに役立つのではないかと思います。いまならTUTAYAビデオレンタルの準新作コーナーにあるはずです。「
嘆きのピエタ」という映画です。
映画を現実の構図に当て嵌めて観るのは、いうまでもなく邪道ですが、「嘆きのピエタ」の残酷非道な高利貸しを歴史的日本、債務に苦しむ零細工場主を歴史的朝鮮人と見るのは、むしろ日本の観客としては避けがたいのではないかと思います。
考え込んでしまうのは、主人公の若き高利貸しを捨てた母親を名乗って突然現れる中年女は、誰なのかです。うがっていえば、彼女こそ朝鮮人慰安婦なのかもしれません。偽の母親と疑い、犯して白状させようとするところなど、きわめて象徴的に思えます。
陰鬱な表情ながら、ハンサムで背が高く、頭が切れて腕力もある青年高利貸しは、この母によって精神的に追いつめられあがきますが、その贖罪は凄まじくも美しいものになります。走る軽トラックの後に途切れることなく続いていく、影のような線を俯瞰して映画は終わります。
このエンディングに至り、やはり「韓日」の歴史的な構図と「反日」の情念がモチーフとなっていることを確認できる思いがしました。そして、現実の構図に当て嵌めてみて、非現実的な「韓日」の姿を希求されていることを知り、日韓の現実に戻って考え直させられました。真に求められているのは、謝罪や賠償ではないのではないかという気がしました。
「嘆きのピエタ」は第69回ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞しました。記者会見では必ず調子っぱずれのアリランを歌うことで知られる
キム・ギドク監督の2012年作品です。母親役のチョ・ミンスの熱演もさることながら、何より高利貸し役のイ・ジョンジンが鮮烈です。こんな俳優はちょっと見たことがありません。韓国は素晴らしい俳優が途切れないですね。
ちなみに、「ピエタ」とは、もとはイタリア語で「哀れみ」「慈悲」を意味し、磔刑に処せられたイエスの亡骸を聖母マリアが抱く、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの彫刻が有名だそうです。つまり、日本はイエス、聖母マリアは韓国ということになります。仮に、この非現実的な夢想が韓国の国民感情に根ざしているとすると、現実的な構図としては、韓国併合を求めているとなります。いや、仮に、仮にですって。ご批判無用ですよ。
(敬称略)