「どこつかんどんじゃ!ぼけ、土人が」
沖縄県高江の米軍北部訓練場ヘリパッド移設工事に反対抗議する人々に、大阪府警の機動隊員が浴びせた罵声です。
その様子を撮影した芥川賞作家でもある沖縄県民の目取真俊氏が憤るように、明治以来、「土人」は沖縄人やアイヌ人など民族マイノリティに向けられてきた歴史的な差別語です。「シナ人」と発言した別の隊員とともに、大阪府警が「不適切発言」として戒告処分にしたのは当然でしょう。
動画中で反対派住民たちから「ヤクザ!」と罵られているように、岸和田少年愚連隊が描くヤンキーまるだしのこの隊員の言動は、私のような東京からの視線には、ほとんど「大阪土人」に映ります。
「ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。」
問題の隊員たちを「出張ご苦労様」とねぎらい、上司として擁護するかのような松井大阪府知事のコメントがさらに批判を招きました。その釈明記者会見でも、「売り言葉に買い言葉だったんでしょう」と補足したように、「土人」もアホ・ボケ・カスの類いくらいの認識が大阪では一般的なのかもしれません。
東京・中央のマスコミの批判を浴びても、大阪では許容範囲内と考えたからこそ、釈明の場でも松井府知事は謝罪せず、ほとんど開き直れたわけです。PC(ポリティカル・コレクトネス=政治的な公正)を弁えぬ、なんという「未開・野蛮」な大阪標準かと。
「フィリピンはアメリカと長い間同盟を組んできたが得るものはほとんどなかった。お前ら(アメリカ人)は自分の利益のためにフィリピンにいる。友人よ、さよならを言う時が来た」
訪中したフィリピンのドゥテルテ大統領が、またまた「不適切発言」に及びました。まるでアメリカと「決別」するかのような演説の前段では、オバマ米大統領を再び「売春婦の息子」呼ばわりしたそうです。
「森の木陰でドンジャラホイ ♪」
「土人」という言葉を聞いて、すぐにこの童謡を思い出しました。ですが、不思議なことに、「土人さんがそろって踊ってるう ♪」と記憶にはあるのに、この「森の小人」をあらためて聴いてみると、「土人」という言葉/音がひどく聴き取り難いのです。
口を大きく開けた明瞭すぎるほどの発声で歌われるはずの童謡なのに、この佐藤恵子さんという少女歌手は言葉を濁しているとしか思えません。童謡にはあり得ないことです。耳を澄ませてみると、「どじん」ではなく「こじん」という風にも聴こえます。
「こじん」? 「森の小人(もりのこびと)」というタイトルから考えても、「こびと」を「こじん」とはいいません。もしかすると、「もりのこじん」という読み方なのか? それでは不思議を通り越して、奇妙な言葉遣いになってしまいます。
Wikipedea を参照してみると、おおよその背景がわかりました。この歌がもともと戦前の日本の植民地であったパラオを舞台に、日本の兵隊さんの歌としてつくられた戦時童謡であったこと。戦後、歌詞を改変して再発売されようとしたが、GHQが「土人(どじん)は差別表現」と指摘して検閲を通らなかったこと。
私の記憶違いではなかったわけです。戦前から戦後に至っても、歌詞は「土人(どじん)」と書かれ、音としてもそう歌うのが自然だったから、私たち子どもはそう聴き歌ってきたのでしょう。ちなみに、ずっと後に吹き込まれた桑名貞子さん盤では、「こびとさん」と歌っています。IMEやATOKでは「どじん」は「土人」とは変換されませんが、「こびと」も同様です。
“I shall return.”
今年4月、天皇陛下はパラオ・ペリリュー島をはじめて訪問されました。先の大戦で亡くなった人々の慰霊のためですが、ドゥテルテ大統領のフィリピンにも日本は侵攻し、フィリピンは南太平洋における日米の主戦場、激戦地となりました。
「南進」する日本軍の前に、ダグラス・マッカーサーが率いる約10万のアメリカ極東軍は敗走を重ね、ついに首都マニラが陥落してオーストラリアに逃亡するときに、マッカーサーが発した言葉として有名です。
「必ずフィリピンに戻ってくる」という言葉は、「覚えてやがれ!」式の悔しまぎれの捨て台詞ではもちろんありません。戦況を巻き返してフィリピンを「奪還してみせる」という決意表明とも違うはずです。マッカーサーにとって、フィリピンは軍歴上のただの駐屯地ではなかったからです。
スペインの植民地だったフィリピンを戦場にアメリカは米西戦争(1898)を起こしました。その際、フィリピンを「独立させる」と約束して米比連合軍として戦いましたが、スペインに勝利してフィリピンを割譲させた後、今度は独立をめざすフィリピン人と米比戦争(1899~1913)を起こしました。
スペイン軍と戦ったフィリピン人は、裏切ったアメリカ軍とも、その軍用拳銃を大口径のコルト45に変えさせるほど、勇猛果敢に闘いましたが敗北し、100万ものフィリピン人が虐殺され餓死に追いやられました。この指揮をとったのは、マッカーサーの父であるアーサー・マッカーサーjr でした。
ダグラス・マッカーサーにしてみれば、父祖がスペインから勝ち獲り、アメリカの権益を守ってきたフィリピンであり、自身もフィリピン植民地軍の軍事顧問をつとめ、フィリピン総督候補にもなったほどですから、強い執着があったはずです。
3000人余の麻薬犯罪者を超法規的に殺害して、「人権侵害」とアメリカや国際社会から批判されたドゥテルテ大統領が、「人権について語るなら」とマッカーサー父が指揮したアメリカ軍の住民虐殺の写真を持ち出して対抗してみせたのには、こんな背景があったわけです。
ドゥテルテ大統領はまた、「アメリカも超法規的にインディアンを虐殺してきた」と詰(なじ)っていますが、これもアメリカの原罪ともいえる悪逆非道を突いて、批判する資格なしとしたというより、フィリピンの近代史を重ねたとも考えられます。
1880年にすべてのインディアンが居留地に強制移住させられるまで、激しい抵抗を続けたインディアンの各部族を弾圧虐殺してきたのが、米西戦争や米比戦争を戦うために、フィリピンにやってきたアメリカの将兵たちの主要な「軍歴」だったからです。
インディアンを虐殺し、黒人を奴隷にしていたアメリカの将兵たちが、フィリピン人をどのように見て、どう扱ってきたか、想像に難くありません。少なくとも、「森の木陰でドンジャラホイ ♪」と微笑ましく眺めていなかったことはたしかに思えます。
ドゥテルテ大統領の野卑にもみえる風貌にくわえ、習近平国家主席と会談する席でもネクタイを緩め、ガムを噛んでいる「無礼」に驚きました。そこに未開・野蛮な「土人」と呼ばれ、弾圧・虐殺されてきた植民地人の傲慢に姿を借りた自負がうかがえます。
明日25日、ドゥテルテ大統領は訪日の予定です。安倍首相は彼の反米親中に苦々しいかぎりでしょうが、たぶん、天皇陛下は会見をお喜びになられると思います。その際も、ドゥテルテ大統領には、ネクタイを緩め、ガムを噛んでもらいたいものです。
であれば、陛下はもっと相好を崩されると思うのです。「どじん」を検索すると、「土人」は出ませんが、「土神」なる言葉が出てきます。
大阪府警の機動隊員が沖縄県民を「土人」と呼ぶとき、あるいは「シナ人」でも同じですが、それが歴史的な差別語であるという自覚はなく、主観的には罵倒語なのでしょう。だからといって、許されるものではありませんが、それを批判するマスコミをはじめとする東京/中央も、差別語を使ってはならないとするリベラル思想は、「森の小人」を検閲したGHQからはじまったに過ぎないわけです。
アメリカにしてみれば、インディアンもフィリピン人も日本人も、ひとしなみ「土人」だったのでしょう。父祖のフィリピン弾圧を知るマッカーサーは、その反省を踏まえて日本占領に対したわけで、「日本人は12歳の子ども」と言葉を変えたものの、「未開・野蛮」という意味に変わりはありません。
また、「差別語」から「不適切発言」にまで後退させて、PC(ポリティカル・コレクトネス=政治的な公正)を弁えぬ、未開・野蛮な「大阪土人」と嘲笑するマスコミをはじめとする東京/中央視線があるとするなら、なんと欺瞞的でしょう。それは、沖縄の基地問題を、県民への差別を隠蔽することにしか役立ちません。
土人とか言われて怒った方がいいよ。
— 池田清彦 (@IkedaKiyohiko) 2016年10月20日
大阪人の方が土人だろ。
沖縄は独立すべき。
(敬称略)