コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

But I found it

2014-08-27 22:41:00 | 音楽
雨天のせいもありますが、首都圏では肌寒い日が続いています。「熱闘」と称される甲子園の決勝が終わったばかりなのに、すでに秋めいているようで、「厳しい残暑」はどこにいったのでしょう。

NHKの『みんなのうた』では、もっとも有名な「小さい秋」です。1962年10月にボニージャックスが歌って登場しました。作詞はサトウハチロー。 作曲は中田喜直。ほかに「夏の思い出」「雪の降るまちを」「めだかの学校」などの曲をつくっています。

安全地帯や矢野顕子、中谷美紀なども歌っているそうですから、『みんなのうた』で聴き知った世代なのでしょう。

(一)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
   めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に
   かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

(二)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
   お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色
   とかしたミルク わずかなすきから 秋の風
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

(三)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
   昔の昔の 風見の鳥の  ぼやけたとさかに
   はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色
   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

「さあ、みんなはどんな小さな秋を見つけたかな?」「はーい」という教室の声が聞こえるイメージの歌でしたが、呼んでる口笛-もずの声、うつろな目の色-とかしたミルク、ぼやけたとさかに-はぜの葉ひとつ、などの対句には、不安な心象がうかがえます。たしかに、子どもは元気で明るい一方、不安で鬱な表情もみせるものです。ちなみに、私の「小さな秋」は蝉の死骸ですね。

小さい秋


(敬称略)

バイオリンとハモニカ

2014-08-16 22:15:00 | 音楽
お盆休みももうすぐおわり。朝夕の風はすっかり秋めいてきました。最後の日曜日の午後くらい、ゆっくり一人で聴きたい長尺ものです。

Illenyi Katica - Stephane Grappelli emlekkoncert (Thalia Szinhaz, Budapest, 2008-12-05)I


ご贔屓、カティカ・イレイニさんがステファン・グラッペリを偲んで、プタペストのコンサートのようです。年季の入った劇場に、養老院みたいなジジババ客ばかりでいいですね。

TOOTS THIELEMANS IN NEW ORLEANS - 1988


トゥーツ・シールマンスと読みます。デューク・エリントンのように渾名ではなく、出自はベルギーの本物の男爵家だそうです。

(敬称略)

昔は、落ちぶれた外国人娼婦のようだった

2014-08-03 23:34:00 | 一服所
ひさしぶりに出かけた六本木で嬉しい「一服所」をみつけました。六本木の交差点から、ミッドタウン方向へ徒歩7分くらいですか。ミッドタウンのちょうど対面のタバコ店の2階です。国民の喫煙率が20%になったそうで、ますます肩身の狭いスモーカーが、クーラー風に吹かれながら、換気のよい清潔な室内で人目を気にせず、深々とタバコが吸えます。JTのアンテナショップなどではなく、まったくの個人経営だそうで、お店の人に尋ねてみると、今年4月の開店、「喫煙のついでに買っていただければ」と設置したそう。買わずに2階の喫煙所を利用してもちろんかまわない。夜10時まで開けているそうなので、どうせ一服するなら、炎天に晒される街角のスモーキング・スペースより断然お勧めです。

六本木については、以前に当ブログで書いたことがありました。あのどこか昏く閑散とした趣きは失われ、ずいぶん明るく変わりました。2階の喫煙所の窓からミッドタウンに出入りする人々を眺めながら、大学の先輩の「六本木ダニエル氏」のことを思いだしました。ダニエルという渾名が肯ける、イタリアの少年のように小柄ながら、黒目がちの大きな瞳と長い睫毛が印象的な、いわゆる濃い顔立ちで、「六本木のことなら隅から隅まで知り尽くしている」という評判の人でした。とても無口で後輩には声をかけにくい人でしたが、酒を飲んで喋り出すとこれが訥々とした青森弁。それがかえってフランス語のようにも聞こえ、我々後輩は、「きっとすごい遊び人なんだろうな」と尊敬していたものです。

あるとき、意を決して、「六本木のことを教えて下さいよ」と尋ねたら、「へっ?」と丸い目をさらに丸くしました。なんのことはない。先輩たちにからかわれていたのでした。「六本木ダニエル氏」が、「六本木を隅から隅まで知り尽くしている」のは当たり前のことで、2年ほど、アルバイトで六本木界隈の新聞配達をしていたのでした。真相を知ってみると、青森の田舎者のズーズー弁としか思えなくなったのですから、現金なものです。

あれから幾星霜、バブル景気が去り、六本木ヒルズが建ち、ミッドタウンがそびえる六本木には、もう朝夕の新聞の配達を待つような住宅やアパートはなくなったようです。その頃は、六本木交差点の誠志堂書店や喫茶アマンドが待ち合わせの目印でした。アマンドは生とカスタード両方のクリームを一緒に楽しめるドーナツ形のシュークリームが名物でした。ビジネス街としては二流三流の場末でしたが、いまでは再開発されて大規模ビルのランドマークだらけです。「六本木ダニエル氏」も故郷の青森で公務員になり、無事定年を迎えた後は、外郭団体の嘱託職員になっているそうです。

六本木純情派 荻野目洋子 2011


(敬称略)