コタツ評論

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西友はエライ

2019-08-31 00:12:00 | ノンジャンル
小田急沿線に越してきて、西友のありがたさが身に染みた。西武沿線にばかり住んできたので、スーパーといえば西友に決まっていて、西友の安さに慣れていた。小田急OXや地元の中堅スーパーらしいサンワの肉や魚の値段の高さには目を剥いている。

1パック500円以上、1000円前後なのだ。それもちょびっとで。西友なら、2割は安いか、半値だと思う。あるいは同じ値段なら、0.5~2倍増量だろう。

駅の反対側まで歩けば、イトーヨーカドーはある。西友より10%くらい高いと感じる。ただし、鮮魚の品数が貧弱だ。塩サケやタラコが生鮮売り場で大きな顔をしている有様で、養殖ブリの切り身ばかり、小アジやサバやイワシがわずか、サワラ、銀ダラ、高価でも金目鯛の丸物などはない。これでは乙姫様ももてなしようがない。

ステーキ肉にはアンガス牛が流行しているようだが、西友なら600円台で売っているものが800円以上している気がする。それに値段の上下の幅が西友はもっと細かく広い。さすが、米ウォルマートが西友を提携先に選んだ理由の一つが、「生鮮のデリバリーに定評がある」だっただけのことはある。

駅を降りると、最高立地のエキナカに小田急OXがある。今晩の夕食に、誰が1000円もするまぐろ4切れ、800円もする150gしかないステーキ肉を買うのだ。小アジが1パック300円以上、3パックも買って南蛮漬けにしたら、1000円以上になる。そんな高い小アジの南蛮漬けがあるものか。

もう亡くなったが、公私ともに世話になったMさんは、某生協の顧問的な立場にいたとき、あの堤清二と何回か面談していた。あるとき堤清二は、「君たちはいいなあ、羨ましいですよ」としみじみ云ったという。

部下だった人にその話をしたら、堤清二という人はそういう率直な物言いを絶対にしない人だそうで、とても驚いていた。そして、堤清二はこう続けた。「君たちはお客様と友だちになれる。僕たちには絶対にできないことです」と。

減農薬の農産物を消費者に届けるため、農地の改良から携わり、その間、収穫できない生産者を支援する仕組みづくりの一方、消費者を集めて説明会を兼ねた試食会を展開しているという生協活動を説明した後の感想だったそうだ。Mさんがまだ30代後半、堤清二が西部流通グループを率いていた頃だから、もう30年以上も前の話だが。

その後、西武部流通グループはセゾングループと名前を変え、糸井重里のキャッチコピー「おいしい生活」に代表されるような、渋谷を中心とする文化戦略で名を成していく。同時に、東大の左翼学生運動から実業の世界に転じながら純文学作家でもあった堤清二には、ハイソでリベラルな文化人経営者のイメージが重なっていった。

東大での講義録をまとめた流通企業論『変革の透視図』なども読んだが、たしかに功成り名を遂げた経営者が片手間に書いたビジネス書とは一線を画す、思索的かつ空想的な本だった。

しかし、当時(たぶん今も)、どれほど多角的なグループ経営になろうと、その本体は「スーパー西友」であり、ダイエーの中内功やイトーヨーカドーの伊藤雅俊と、大根一本、豚小間100g、塩サバ一切れを売るのに凌ぎを削っていたのである。「より安く、品質の良いものを」という堤清二のDNAは今も西友に受け継がれているように思える。

たしか、司馬遼太郎が幕末雄藩を語るなかで、関ヶ原以前から続く大名家ばかりが台頭し、徳川幕府になってから出世した大名家は、幕末期には振るわなかったのはなぜかと問うていた。関ヶ原の勲功や恨みなどに事寄せて、「我が藩かくあるべし」「○○武士の名折れ」など、立ち帰っていく「伝統」や「武士道」の有無が幕末諸藩の命運を分けたと語っていた。

世渡り上手で出世して幕閣となった「サラリーマン社長」にはない、「創業社長」や「中興の祖」の理念や信条が、数百年を経た幕末期に猛然と息を吹き返して、藩士たちの行動指針になっていったわけだ。

つまりはそういうことなのだろう。西友がどの大手スーパーより安い、もしくは安くあろうとするのは、堤清二が真面目に流通業を考え、変革しようとしたからなのだ。そのDNAは、「堤清二って、誰それ?」という時代になっても脈々と続いている。

「友だちにはなれない」と断念しながら、「お客様にはできるかぎりのことをしてご満足していただく」という堤清二と同じく、中内功や伊藤雅俊もまた、米ウォールマート以前から、それぞれのEDLP(everyday low price)を追求していた。

「左翼崩れ」から、西武グループの百貨店部門を世襲した小説家兼業経営者といったバイオグラフィから、「転身」あるいは「挫折」といったプロフィールを描きがちだが、百貨店やスーパーマーケットから離陸した近代的な流通産業の「創業社長」の一人として、堤清二の「お客様」「消費者」「生活者」といった、人々への視線と姿勢にブレはなかったように思う。

最近流行の企業言葉でいうと,インテグリティ(integrity)の人だったんだな堤さんは、とか考えつつ、30分も車を走らせて近隣で唯一の町田西友まで買い物にゆくのであった。

インテグリティ(integrity):上位審級がなくとも備えている倫理原則

(敬称略)


本日の拾得物

2019-08-27 22:05:00 | 音楽
ご贔屓のエレーヌ・グリモーですが、<ブログ検索>をかけても1件しか見つかりません。タイトルを別表記にしていないせいです。すみません。Helene Grimaud でYoutube検索すれば、たくさんの動画が上がっています。

I'm 71 and I live alone. How does one prevent oneself from falling hopelessly in love with the luminous and ethereal Ms. Grimaud?

というコメントがありました。”luminous and ethereal”「光明と霊妙(みらい翻訳)」を放たれて71歳の独居老人さえ恋に落ちてしまうほど、すこぶる美しくなおかつ可憐な人ですから、よほど恵まれた人生を歩んできたかと思い木屋の包丁。

wikiを読むと、強迫神経症に苦しみ、校庭の片隅で震えて蹲っていた少女時代、流れてきたピアノの音に救われたという少女漫画みたいなエピソードもあり、いろいろ大変だったようです。

狼の保護活動にも熱心で、狼と親しむために森に別宅があるという、やっぱりアニメの主人公みたいな人です。

Ludwig van Beethoven - Piano Concerto No. 4 in G major, Op. 58 - Helene Grimaud


お次は、おなじみ、「今夜はストレンジャー・イン・パラダイス」で紹介した、ボロディンの歌劇「イゴール公」から「韃靼人の踊り」のたいへん結構なLIVEが上がっていましたので。

BORODIN - Prinz Igor - Vienna 2012/Dudamel


今夜はクラシックでいくつもりでしたが、なんとアデルのすっぴんがビルボードのアーカイブから上がっていました。コナー・マクレガーくらい(UFCファン以外にはわからないでしょうが)、いまとは顔が違って可愛いのにびっくり。

Adele - "Chasing Pavements" LIVE from the ARCHIVE


お懐かしや、「コーヒー・ルンバ」ですね。ピンク・マルティニ系の歌い手のようです。絵もいいですね。

Martin Zarzar - Moliendo Cafe


(止め)

500 miles

2019-08-24 22:29:00 | 音楽
Mさん、フォークソングが嫌いではないのなら、この映画も嫌いではないかもしれません。「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」です。宿なしの売れないフォーク歌手が猫を抱えてうろうろする一週間を描いています。フォークソングといっても、日米ではその成り立ちや思想はずいぶん違いますが、ステージのこちらと向こうのどちらもが貧乏くさいのは共通していますね。ま、向こうはドロップアウト、こちらはただマイナーと貧乏の内実も全然違ったのですが。時代は、ボブ・ディラン直前です。最後の最後に登場します。

500 Miles - Inside Llewyn Davis


キャリー・マリガンの右で歌っている、印象的なハンサムボーイは、後に俳優としてもブレイクしたジャスティン・ティンバーレイクです。

500 miles【訳詞付】- Peter Paul & Mary


おなじみのPPMですが、作詞作曲したヘディ・ウエストの原詩とはずいぶん違います。最近知ったばかりですが、はじめて「500 miles」を聴いた気がするほど、すばらしい歌声とバンジョー(彼女の演奏)です。

500 Miles By Hedy West



ついでに、Hedy West の名人ぶりを。
Little Sadie
https://www.youtube.com/watch?v=rpWUDU_GEL4

ちなみに、1マイルはおよそ1.6kmですから、500マイルなら800km、東京と広島くらい離れた距離です。

(敬称略)

独り蚤とり悟り悟られ

2019-08-23 22:31:00 | ノンジャンル
専用の金クシで毛を漉いて、クシの間に挟まれてくる蚤を、台所用中性洗剤を数滴垂らした洗面器の水に掻き落とすという作業なんだが、かつて蚤のサーカス興行があっただけにけっこう敵も賢いのね。

横腹を漉いていたら、下になった反対側に逃げている。すかさずひっくり返して漉くも、すでに尻尾の根元に逃げている。顎の下にも。耳の裏にも。蚤とりの裏をかいてあちこちに分散して逃げ回る。生き残ろうとする蚤と逃すまいとする蚤とりの知恵比べである。

やがて、ほとんど知性を感じさせる生き物に思えてきて、少し恐ろしくなる。100匹以上の死骸と毛束が沈んで吐いた血でピンク色に染まった洗面器を見下ろして、これは虐殺だなと独りごちる。中性洗剤恐るべし。はじき落された蚤は瞬時に死ぬ。洗剤の裏面の取説を読むと、食器だけでなく、野菜や果物を洗えるという。

ちなみに蚤は大きいのと小さいのがいるのね。親と子どもじゃない。メスとオスである。「蚤の夫婦」というじゃない。昔の人はしげしげと蚤を観察する機会があったんだね。今は猫の蚤とりくらいの知見だろう。

コロコロ喉を鳴らしている猫をのけて、さあ、お次は誰の番かな。そうか、お前か。さあ、お膝へおいで。どれどれ、ここかな、ほら、いたいた、チーチーたくさんとれたね。殺戮の夜は明けない。

Joe Bonamassa - "I'll Play The Blues For You" - Live At The Greek Theatre


(敬称略)

プカプカ

2019-08-22 21:04:00 | 音楽
1970年代に深夜ラジオなどでよく流された歌だ。当時、岡本姓の男はたいてい「コーゾー」と呼ばれた。ちょっと蓮っ葉でぶっきらぼうな女の子は、「アンコ」と綽名されたものだ。

フォーク歌手西岡恭蔵の代表曲だが、この人とはちょっとした因縁がある。20年ほど前になるか、西武池袋線の池袋駅ホームで彼の財布を拾ったのだ。

駅事務所に立ち寄り、「そこで、これ、拾ったから」と名刺一枚置いてすぐに立ち去った。いろいろなカードや領収書などが入っているのだろう、使いこまれて皮革が禿げた大判のチャック式の分厚い茶色の財布だった。

それから1週間くらいたった頃だろうか。覚えのない名前の人からのちょっと厚い封書が届いた。その文面に、カードの再発行や煩瑣な手続きをせずに済んでとても助かった感謝と、大事な公演のスケジュール資料も入っていたと歌手であることが書かれていた。それで、「あの西岡恭蔵か」と思い当たったのだ。

落とし主の感謝の手紙にしては、丁寧であるにしろ便箋2枚を余白なく使うかなり長文なものだった。「暇なんだな」と思った。当時、すでに忘れ去られた過去の人だった。私も名前を知っているだけの人だった。

財布を拾い、お礼の手紙を貰ったのは、1999年、平成11年の春先のことだった。Wikで確認したから間違いないはずだ。その後、数週間たって、彼の名前をラジオのニュースで聴いた。自殺の報だった。

プカプカ/吉川晃司


1970年代、深夜放送のラジオでは原田芳雄が歌う「プカプカ」がリクエストを集めていた。作者・歌手の西岡恭蔵の名前を知らない人が少なくなかったろう。原田芳雄はかっこつけが臭かったが、吉川晃司のかっこよさはスマートだ。

八代亜紀 プカプカ


明るくはっちゃけた「あんこ(あの娘)」もいける。

プカプカ -羊毛とおはな


当時の「あんこ」のイメージはこの感じかな。このボーカルの人も早世したようだ。

私はこの歌に出てくる「あんこ」や「あんこ」と綽名されるような女の子とは縁がなかった。また、関心もない。ただ、隔世の感がするのはタバコの扱いだろう。

(敬称略)