コタツ評論

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ラカンを読むジジェクを読むスギちゃんだぜぇ~

2012-04-22 01:49:00 | ジョーク
スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek,1949年3月21日~)

怖い顔だなあ

次にご紹介するのはスラヴォイ・ジジェクが教えてくれた東欧のジョークです。 スラヴォイ・ジジェクとかユルゲン・ハーバーマスとか、かっこうのよい名前ですね。あくまで日本人の私からみてなので、同国人にとってもそうなのかわかりません。でも、吉本隆明だって、よしもとりゅうめいだかららしいので、よしもとたかあきなら平凡で、ありがたみが薄い気がしませんか。

きんたまジョーク①

バーに客が一人座っていてウィスキーを飲んでいる。猿が一匹、カウンターの上を踊りながらやってきて、客のグラスのところで止まると、睾丸をそれで洗い、また踊りながら行ってしまう。ひどく驚いた客はウィスキーを取り替えるよう命じる。猿はまた戻ってきて同じことをする。客は怒り狂ってバーテンに聞く。「あの猿がなんで俺のウィスキーできんたまを洗うのか、おまえ知ってるか」。バーテンは答える。「さあ、わかりませんね。あちらのジプシーに聞いてくださいよ。あいつなら何でも知っていますよ」。客がそのジプシーの方を向いた。ジプシーはバーの中を歩き回り、バイオリンと歌で客をもてなしていた。「なんであの猿が、俺のウィスキーできんたまを洗うのか、おまえ知ってるか」。ジプシーは落ち着き払って答えた。「ええ、知っています」。そしてジプシーは暗い悲しい歌を歌いはじめる。「なんであの猿が俺のウィスキーできんたまを洗うのか、ああなんで・・・」。

きんたまジョーク②

タタール人に占領された中世のロシアでの話である。あるタタール人の騎兵がひとけのない田舎道で若い妻を伴った農夫と行き会った。タタール人戦士はその妻とセックスしたいというだけでなく、暴行に侮蔑を加え、農夫をさらに辱めてやろうと、農夫に自分(タタール人)の睾丸を捧げ持ち、泥だらけの道で妻と交わっている間、睾丸が汚れないようにしろと命じる。タタール人がことを終えて馬に乗って行ってしまうと、農夫はくすくすと笑いはじめる。妻は、私があなたの目の前で犯されたというのに何がそんなにおかしいのかと尋ねると、夫は答える。「わからないのかい。あいつをだましたんだよ。あいつのきんたまなんか持っていなかったんだ。泥だらけになっているよ」

ウィスキーできんたまを洗う猿は、ビートたけしの「コマネチ」のようなかっこうをするのでしょうか。交わっている最中の揺れるきんたまを捧げ持つとは、伏射するような姿勢なのでしょうか。ジジェクによると、この2つのジョークはほとんど同型だそうです。ラカンが「精神分析の倫理」というセミナーで、現代知識人の二つのタイプ、愚者(フール)と無頼(ネイブ)の違いについて指摘したことを、「余すところなく」活写したジョークだといいます。さて、ラカンはこういっています。

「愚者」は無垢で、単純だが、この「愚者」がときに道化の刻印をまとっているという事実のおかげで、その口から発せられる真理は容認されるだけでなく、用いられもする。私の見るところでは、左翼知識人の重みを証明するのは、同様の幸福な影、同様の根本的な「愚かな言動」である。(中略)
無頼はその姿勢に含意される一種のヒロイズムのある皮肉屋ではない。正確にいうと、スタンダールが「純然たる悪党」と呼んだものである。つまり、おなじみの凡人に他ならず、ただ個性が少々強くなった凡人である。
誰もが知っているように、無頼の自分の見せ方は右翼知識人のイデオロギーの一部をなしていて、それはまさに私は「無頼」ですよという役を演じるというものである。言い換えれば、彼はリアリズムと呼ばれるものの帰結から退却せず、必要なら自分を悪党だと認めるということである。(中略はコタツの仕業)


ジャック=マリー=エミール・ラカン
(Jacques-Marie-Émile Lacan、1901年4月13日~1981年9月9日)

難解で有名ですが温顔ですね

ジジェクによるラカンの解説はこうです。

ようするに、右翼知識人は無頼であり、所与の秩序の根拠として、ただそれがそこに存在するということだけを言う体制派、左翼の「ユートピア的」計画を必ず破滅するとバカにする。対して左翼知識人は愚者であり、現在の秩序にある嘘を公然と見せる道化である。その見せ方がその言葉のパフォーマンスとに実効性をなくするようなものである。現在、無頼は新保守主義的に自由市場を唱導し、あらゆる形の社会的連帯は生産性に反する感傷だと言って冷酷に否定する人々のことであり、愚者は脱構築派の社会批評家で、彼らは既存の秩序を「ひっくりかえす」べき滑稽な手順によって、実は既存の秩序の補助をしているのである。

胸のすくジジェクの切れ味。「あらゆる形の社会的連帯は生産性に反する感傷だと冷酷に否定する人々」こそ、東北大震災復興のきわめて感傷的なスローガンになった「絆」の唱導者であること。その一方で、脱原発派が、「既存の秩序を<ひっくりかえすべき>滑稽な手順によって、実は既存の秩序の補助をしている」こと。つまり、原発再稼働に際し、100%の安全性を担保する完璧な手続きを、福島原発事故の責任者たちに求めていることなど、すぐに日本の状況に適用できます。

では、ジョーク①②の中で、愚者と無頼は誰でしょう。誰でも、猿とタタール人をまず除外するでしょう。客と農夫が残ります。どちらが愚者でどちらが無頼でしょうか。猿に怒る客が愚者、タタール人にしてやったり顔の農夫が無頼、前者が左翼知識人、後者が右翼知識人と当てはめるのが妥当でしょう。ただのジョークならここまで、ふふふと笑っておしまいです。

もちろん、これで終わりではありません。客と農夫、愚者と無頼、左翼知識人と右翼知識人、そうした対比は入口に過ぎないというのです。混浴のように、入口は男女別々だが、風呂場の中ではいっしょ。ジジェクは、「愚者=無頼の悪循環を断つためには、精神分析が役立つ」といいます。「愚者=無頼」という二つの立場は、ともにリピドー」にとっての利益である「享楽」(ジュイサンス=jouissance:仏、enjoyment:英)によって支えられている。その「享楽」をあからさまにするのが、精神分析の役割だそうです。

そういうわけで、保守派の痴者も、具体的な不満(「どうして我々にとってひどい状況なのか・・・/ゲイ、黒人、女性」)に答えるときには、やはり永遠の運命についての悲しい歌を歌う(どうして我々人民にとって、こんなにひどいことになっているのか、ああ、どうして・・・)このジプシーと似ていなくはない-つまり、彼は疑問の調子を、具体的な不満から<宿命>の謎という抽象的な受け入れに変えているのである。進歩的な愚者、「社会批評家」の満足は、ロシアの農民の満足と同様である。<主人>(マスター)から「享楽」(jouissance)のかけらを奪い取るという典型的にヒステリー的な満足である。第一のジョークの客が愚者であれば、猿にもう一度ウィスキーできんたまを洗わせるが、今度は泥やねばねばしたものをグラスに入れておくだろう。そして猿が行ってしまってから、勝ち誇って言うのだ。「ざまあみろ、あいつのきんたまは、前より汚くなったぞ」。

愚者と無頼の見分けがつきません。どちらも角度を変えて見たひとつの顔のようです。それでも愚者に比べると無頼はかっこうよい感じがします。それでか、ジジェクは、ここからいきなり「無頼」を「保守の痴者」と言い換えます。なるほど、愚者と痴者だと、言葉上では、ほとんど見分けがつきません。しかし、愚者と痴者が得る「享楽」は、やはり違います。「享楽」の表れ方が違うということのようです。

二つの立場、つまり愚者と痴者の立場は、それぞれ独自の「享楽」(ジュイサンス)を維持している。主人がこちらから盗んでいったジュイサンスの一部を奪い返す享楽(愚者の場合)と、主体の苦痛と直結する享楽(無頼の場合)である。イデオロギー批判に役立つために、精神分析にできることは、まさにこの、搾取される側、奴隷が、主人に仕えることに対して受け取る報酬としてのジュイサンスの地位を明瞭にすることにある。この「享楽」はもちろん、つねに、ある幻想の内部に生じる。だから隷従の鎖が切れるかどうかを左右する前提条件は、我々が主人に縛りつけられるように-我々に支配という社会内部の枠組みを受け入れさせるように-我々のジュイサンスを構造化している「幻想を横断する」ことである。

主人や隷従という言葉から、日本では容易にアメリカの属国という状況が浮かび上がってきます。日米機軸を言うのは、はたして愚者か痴者か。日本の自立を言うのは、愚者か痴者か。それ以前に、日本はアメリカの属国である、というときに私たちが得ている「享楽」とは何で、どのようなものか。さらにその前に、私たちの「猿」や「タタール人」とは何で、どのようなものか。そんな堂々巡りをしていると、スギちゃん」の「ワイルドだろぉ~」という自虐的な属国スタイルが脳裏に浮かんで消えなくなった。「スギちゃん」が受けるというのも、ひとつの「享楽」(ジュイサンス)なのだろうか。いや、誰でもすぐに真似できるからだな。

『幻想の感染』(スラヴォイ・ジジェク 松浦俊輔訳 青土社, 1999年)より、「2.汝の隣人を愛せ 大きなお世話だ」(74頁~)から。

(敬称略)

スギちゃん

おまけだぜぇ~
Count Basie & His Orchestra - (The) Fool on the hill
http://www.youtube.com/watch?v=18fgLKM0I7g&feature=player_embedded


ざぶとん一枚くらいのカステラ贈りてえ

2012-01-23 02:49:00 | ジョーク
32 :名無しさん@涙目です。(東京都):2011/05/31(火) 23:05:28.52 ID:zqnnkGDu0
現代で最高の刀を作ろうと思ったら
なんて鉱物使う?

344 :名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/05/31(火) 23:44:14.14 ID:OtFawco10 >32
ウランとかプルトニウムとか
近付くだけで死ぬ妖刀

352 :名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/05/31(火) 23:46:13.65 ID:G8h7tN1E0
>>344

誰が持つんだ?

675 :名無しさん@涙目です。(徳島県):2011/06/01(水) 01:40:25.85 ID:CKeet34T0
>>352

下請け

有名だからご存じの方も多いだろうが、やはりたいしたものである。投稿の日付に注目してほしい。3.11からまだ3か月足らずなのだ。



屋根の上の猫

2010-10-30 22:39:00 | ジョーク



出張で家を離れている夫に妻が電話をして、飼っていた猫が死んでしまったと言った。すると夫は怒って言った。

「なんの前置きもなしに、よくそういうことがいきなり言えるね。そういうことをしてたら、きみは誰かを心臓麻痺で殺しかねないぞ。こういう話は相手に優しく伝えるものだ。電話していきなり、猫が屋根に登って落ちて死んだなんてまくしたてるんじゃない。まず最初の電話では、猫が屋根に登ったことだけを伝える。次の電話では、みんなで猫を降ろそうとしたんだけど、消防署の人にも釆てもらったんだけど、うまくいかなかったことだけを伝える。そうしておけば、三度目の電話のときには、ぼくのほうも心の準備ができてるから、そこできみはおもむろに、猫は死んだと言えばいいのさ」

 夫の出張先にまた妻から電話がかかってきた。夫は、簡単な挨拶を交わしたあと、何か変わったことはないかどうか尋ねた。すると妻はこう言った、
「お義母さんが屋根に登って……」


セックス統計学

2010-10-12 23:27:00 | ジョーク

ある男が飛行機に乗ると隣にすごい美人が座っていた。
その女性は「セックス統計学」という本を熱心に読んでいた。
気になった男が本について尋ねると、その美人は言った。
「これ、本当に面白い本なんですよ。この本によると、
 世界で一番大きいペニスを持っているのはフランス人。
 そして一番硬いペニスを持っているのは日本人なんですって...」

言葉を止めた美人はひとりで喋りすぎたことを恥じるような顔になり、
改めて言った。
「あ。ごめんなさい、名前も言わずに・・・・。
 私はソフィー・ブラウン。あなたは?」

すると男は誇らしげに名乗った。


「ピエール・ヤマモトです」