コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

これってさ、どうなのよ

2013-09-30 18:27:00 | ノンジャンル
作家の山崎豊子さんが死去
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130930/t10014913861000.html

山崎さんの作品は西洋譲りの純文学ではなく、日本の歴史を語ってきた伝統芸能の『講談』の流れに属する大衆小説だ。(中略)

『沈まぬ太陽』や『不毛地帯』『大地の子』など、多くの作品が日本人なら知っておかなくてはいけない民族の歴史を明らかにしてきた。

学校で時間を取って教えていない日本人の歴史について、司馬遼太郎が明治までを、五味川純平が昭和の初めを書き、山崎豊子が日中戦争から現代までを描いてきたといえる(映画評論家・佐藤忠男)


そのとおり、五味川純平と山崎豊子は、司馬遼太郎と同じくらい偉い「国民作家」です(山崎豊子は、あまり読んでいないが)。

サラリーマン年収 2年連続減
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130927/k10014866611000.html

今回初めて(!)、雇用形態別の平均年収が発表されました。労働者全体の36.2%を占める非正規労働者の平均年収について、私たちは初めて知るわけです。
-以下は要約-

雇用形態別の正社員の平均年収は男性が521万円、女性が350万円で、全体の平均年収は468万円。非正規雇用の労働者は、男性が226万円、女性が144万円、全体平均では168万円と、正社員に比べて300万円少ない。

このほか業種別では「電気・ガスなど」が718万円で最も高く、次いで「金融・保険」の610万円、「情報通信」が572万円。最も低かったのは非正規労働者の比率が高い「宿泊、飲食サービス」の235万円。


日本でもっとも低賃金労働者は、女性だということです。もちろん、これは額面で手取りはもっと少ないはずです。私たちの妻や娘や母や姉や妹は、最低賃金労働者として扱われているわけです。月給10万円そこそこで、どうやって子どもを育てられるでしょうか? 少子化とは、まず子どもを育てられないということです。

「アエラ」記者 ジャズ喫茶の雑誌 窃盗容疑で書類送検
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130928-00000004-mai-soci

50歳が正社員かフリーかわかりませんが、これってさ、どうなのよ。

「あまちゃん」が終わりました。これからのドラマは、「あまちゃん」後として語られることになるでしょう。主な登場人物一覧です。ハゼ・ヘンドリックスはどこに? 


(敬称略)
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歌は世につれ、世は歌につれ

2013-09-25 11:54:00 | 3・11大震災
子会社へ左遷出向された「半沢直樹」最終回の視聴率は、ドラマ史上歴代2位の42%だったそうな。最終週に入った「あまちゃん」は初回視聴率こそ23%だが、再放送にダイジェスト版、オンデマンド、録画視聴を合わせると驚異的な「国民ドラマ」になるらしい。

「あまちゃん」では、今朝、ようやく鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が「潮騒のメモリー」を歌った。すでに天野春子(小泉今日子)バージョンがヒットしているらしいが、こちらもサウンドトラックとしてリリースしてほしいものだ。

かつて批評的なメタ・アイドルだった小泉今日子を起用することで、視聴者の回顧趣味や裏話嗜好を満たしながらじつは遠ざけ、前代未聞の「アイドル論」ドラマとして、そのユニークな批評性を展開してきた。

一方、真正のアイドルだった薬師丸ひろ子を脇に温存し、クライマックスの北三陸復興イベントにおいて、海底からウニをつかんで急浮上するかのように、「本家アイドル」として鮮やかに再登場させた。

つまり、現在から過去をトレースしてきて、はじめて未来を、「ほんとうの復興」をかいま見せた。仮設舞台の上で、「ほんとうは歌える」鈴鹿ひろみに驚嘆する、舞台袖の「影武者」天野春子という象徴的な場面。

「じぇじぇじぇ!」という驚嘆から、「お構いねぐ」という冷静にキーワードも転じて、「あまちゃん」の「東日本大震災後の後」という同時代批評性が明らかになったわけだ。

「世は歌につれないが、歌は世につれるのである(@竹中労)」という同時代批評への反語を思い出させてくれる、もう一つの重要なドラマはまだ続いている。

残念ながら低視聴率にあえいでいることや、従来の幕末史と明治近代を反転させて「会津史観」を描いたという意味で、「非国民ドラマ」といえる「八重の桜」である。

ここでは、「会津史観」の「反時代性」をよくあらわす文書として、米沢藩士・雲井龍雄の「討薩檄」を引用するに止めたい。

薩賊、多年譎詐万端、上は天幕を暴蔑し、下は列侯を欺罔し、内は百姓の怨嗟を致し、外は万国の笑侮を取る。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。

薩賊の兵、東下以来、過ぐる所の地、侵掠せざることなく、見る所の財、剽竊せることなく、或は人の鶏牛を攘(ぬす)み、或は人の婦女に淫し、発掘殺戮、残酷極まる。其の醜穢、狗鼠も其の余を食わず、猶且つ、靦然として官軍の名号を仮り、太政官の規則と称す。是れ、今上陛下をして桀紂の名を負はしむる也。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。


戊申戦争から150年近くを経てなお、「官軍」に抗した奥羽列藩同盟の地域に原発が集中していること。換言すれば、原発立地に適すほど「不毛の地」であり続けたことの「偶然」を思わずにはいられない。日本の近現代史に、「薩賊」は幾たびも姿形を変えては登場し、今日に至っても「其の罪、何ぞ問はざるを得んや」という「反時代」の嘆きは続いているように思える。

「八重の桜」を悔恨の近代、「半沢直樹」を懺悔の近過去、そして「あまちゃん」の現在に希望を見出そうとするならば、そこで歌われている、「世」につれて「世」につれない「歌」とは何か。

その歌とは、「三途の川のマ~メイド ♪」(日本を取り戻す! @安倍首相)を、「三代前からマ~メイド ♪」と替え歌する薬師丸ひろ子バージョン「潮騒のメモリー」にほかならない。NHKはよCD出せ! ついでに、マメりん(足立梨花)センターのアメ横女学院バージョンの「暦の上ではディッセンバー」も。

薬師丸ひろ子バージョン「潮騒のメモリー」

いずれ消されるだろうが、「同録」した貴重な映像です。つまり、演技の間で、生演奏に生歌が歌われ、「同時録音」している。薬師丸ひろ子ほか数人にしかできないことです。

(敬称略)
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おめでタイ

2013-09-22 10:32:00 | スポーツ
タイがバレー女子アジア選手権で日本を下し優勝
http://thailog.net/2013/09/22/3254/#comments

いつのまにか、タイが強豪になっていた。日本に3-0とは。それにかわいい娘ばかり。日本娘もずいぶん改善されたよなあ。昔は、「まあ、お父さんにそっくりなんだろうなあ」とよその娘ながら胸を痛める例が多かったのだが。
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北京秋天

2013-09-19 14:32:00 | 政治

梅原龍三郎「北京秋天」

9月19日の人民網の記事を読む。日中戦争の危機は遠のいた、そう安堵しました。それほど、対日論調が改善しています。ほとんど一方的な「反日」糾弾記事が多い朝鮮日報とは異なり、これまでも「反日」記事を盛んに掲載しながら、必ず「好日」記事を混じえて秋波を送っていた人民網ですが、以下ではまるで手を振り握手を求めているかのようです。

外交部:「今年は大規模な反日デモが未発生」との質問について
http://j.people.com.cn/94474/8404559.html

ほとんど質問の回答になっていませんが、「中日関係発展を要求」だけが云いたかったのでしょう。

保守の安倍内閣と付き合う 中日は依然協力が摩擦を上回る
http://j.people.com.cn/94474/8404397.html

尖閣問題「棚上げ」合意すらあきらめた画期的な論説です(抜粋)。

中日間の領土問題を短期間で解決することは困難だ。中日は永遠に引っ越すことのできない隣国であり、摩擦を弱める方法を探り、領土論争の存在を前提に政府、経済、文化交流を行う必要がある。

ロシアや韓国との領土紛争の存在は、日本と両国との関係に余り大きな影響を与えていない。中国との関係においてのみ、大幅な後退が生じているのだ。

。「今年中に日中海戦、空戦が起きる」との報道が日本のタブロイド紙や三流週刊誌には溢れている。だがわれわれは、中日間に戦争は起きないと確信している。

中日は共に経済大国であり、戦争という方法で領土問題を解決する可能性はほぼゼロだ。
日本のメディアや財界の力を借りて安倍政権に圧力をかけることは、今日の日本ではすでに通用しなくなっている

いかにして日本メディアの批判にさらされながら、日本国民の理解を得るかは、われわれにとって深く考える必要のある重要な問題だ。

2020年に東京五輪が開催されることから、中日間のスポーツ交流は増えるのみであり、減ることはない。ましてや1964年の五輪のように中国が欠席する事態はあり得ない。

日本が過去40-50年間に構築した国際貿易ネットワークによって、中日が共に力を出す方法で、日本製品と中国製品を国際市場に進出させることも可能だし、大きな余地がある。

 領土紛争が存在するという前提の下で、中日両国の正常な関係を速やかに構築する。これはすでに一刻の猶予もならない。

日本が世界一の対外債権国に 20世紀の輝き取り戻す
http://j.people.com.cn/94476/8403915.html

</span></span></span></span></span>
手放し礼賛のタイトルがすべてを物語っていますが、「英国とフランスはたったの10%だ」という無理矢理(英仏合計で10%ならわかるが)。党の指示で「好日」記事を書かされているのがありありですが、嬉しそうな筆致です。

9月19日の今夜は仲秋の名月が拝めそうです。中国でも<a style="font-weight:bold"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">中秋節</span></span></span></a>で、月餅を食べながら一家団欒を楽しむそうです。中国から伝わった風習ですから、「中国でも」はちょっとおかしいのですが、日本人も中国人も今夜はおなじ月を愛でるわけです。あたりまえのことですが。

<span style="color:blue">月の庭 純名りさ


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埼京線にこの人が乗ってきたら恐い

2013-09-18 02:38:00 | レンタルDVD映画
アジア最高の男優は誰かといえば、香港のジャッキー・チェンをはじめ、台湾、韓国、中国、タイ、インド、イランなど、いろいろな国の個性豊かな男優の名が上がるでしょう。日本なら、ハリウッド映画出演の多さから、渡辺謙、真田広之あたりが代表的な男優ということになるでしょう。

しかし、私見ですが、東アジアはもちろん、アジアのみならず、世界の映画俳優のなかでも、突出した個性派俳優が韓国にいます。最高は論議が分かれるでしょうが、最凶もしくは最恐は彼でしょう。韓国のチェ・ミンシク(崔岷植)です。



はじめて彼を知ったのは、「オールドボーイ」(2003年)」でした。カンヌ映画祭で上映されるや、クエンティン・タランティーノ審査委員長が絶賛し、審査員特別グランプリを受賞しました。

たしかブラッド・ピッドがアメリカでのリメイク権を買い取ったと報じられましたが、その後音沙汰を聞きません。リメイク権を放置するのは賢明なことで、「オールドボーイ」は、チェ・ミンシクの異様な存在感を抜きには成り立たない映画です。

先日、チェ・ミンシクの最近作、「悪魔を見た」(2010年)を観ました。これまでに覚えている限りの男優の顔や名前を思い浮かべては考えた後、チェ・ミンシクを最凶もしくは最恐の項目の筆頭に上げることにしました。この人の恐さに比肩する人はいまのところ思い当たりません。

異様な存在感といえば、「ポンヌフの恋人」(1999) のドニ・ラヴァンや「白昼の通り魔」(1966)の佐藤慶などを思い出します。ただし、ドニ・ラヴァンのパンク顔や矮躯、若き日の佐藤慶の蛇目や冷笑唇といった、容姿のアドバンテージはチェ・ミンシクにはありません。

チェ・ミンシクは上の写真をご覧の通り、小太りでドングリ眼のタヌキ顔という平凡な容姿に過ぎません。


ドニ・ラヴァン


佐藤慶

にもかかわらず、あるいは、だからこそ、唐突に、恣意に、殺人を繰り返すギョンチョルに圧倒されます。卑小な中年男が冷酷な捕食者へ変貌する、その瞬間をほとんど眼光と太い声だけで表現します。異様から異形の眼へ、人間から人間以前の声に、チェ・ミンシクは自在に変わります。

異様な人物像の造形に成功した例としては、最近では「ザ・マスター」のフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)に感心しました。ただし、フレディには難解な精神病理がつきまといますが、ギョンチョルはわずかにも「キチガイ」ではありません。



また、ホアキン・フェニックスの憑依的な熱演だけでなく、やはりメークアップやライティングのおかげで、かなり助けられていると思えます。こんな人間は見たことがないという意味でフレディは神に近く、じつは使徒であるフレディこそが教祖にとって教祖なのではと思わせ、実際に教祖になるのではないかと含意を込めて映画は終わります。

チェ・ミンシクのギョンチョルには、フレディのような存在論的な苦悩はもちろん、一瞬の屈託すらないかのようです。ただただ悪行に駆り立てられています。フレディの悶え苦しむ瞳には自己憐憫の色がさしますが、ギョンチョルの黒い瞳はときおり憂愁を湛えても、そうした自らへ向かう感情はありません。

いやはや、こんな風にああでもないこうでもないと消去法を重ねて、いくらチェ・ミンシクは凄い凄いといっていても、らちがあきません。

チェ・ミンシクの「悪魔を見た」を観る前に、注意点をひとつだけ上げて、もう終わりにしましょう。できれば、この映画を観るのは避けるべきです。チェ・ミンシクという俳優を知ることは危険です。たかが、映画となめてはいけません。恐れるべき映画などありませんが、恐るべき俳優はいるのです。

もしかすると、あなたは韓国や韓国民に対する差別感情を呼び起こされるかもしれません。 多少なりとも韓国や韓国民を嫌悪する感情があると自覚する人は、けっして観るべきではありません。作り物の映画で俳優が仕事で演じているだけなのに、韓国男はこんな風に残虐で悪魔的なのだ、そんな恐怖感を抱く恐れがあります。映画と現実の見境がなくなるのです。

それほどにチェ・ミンシクは凄いのです(やっぱり、凄いに戻ってしまったか)。

「オールドボーイ」の成功以来、チェ・ミンシクには、ハリウッドをはじめ世界の映画界からオファーが殺到したはずです。しかし、渡辺謙や真田広之、浅野忠信のように、彼は国際俳優を目ざしませんでした。三國連太郎がそうしなかったように。

それどころか、チェ・ミンシクは日本の記者の竹島質問に一喝を浴びせたり、「韓流」に加わるのも拒否したようです。その意地と意気やよし!です。私がプロデューサーや監督なら、三拝九拝してもチェ・ミンシクに出演を請うがなあ。

(敬称略)
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