コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今宵はタンバリン

2013-03-31 06:02:00 | 音楽
今年の花見はカラオケ持ち込んでこの人を呼ぶべきだったな。



ぼくらの時代は、ミスター・タンバリンといえば、スパイダースの井上順のことでした。ミスター・タンバリンマンという名曲がありましたが、発音はタンブリンですね。次の動画は、犬がいいです。



ノーベル文学賞候補にもなったボブ・ディランの歌詞と訳詞はこちら
http://20th-century.hix05.com/Bob-Dylan/dylan06.tumbourine.html

(敬称略)
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憎まれるホンモノ

2013-03-27 18:13:00 | 詩文
もの書きのプロとアマの差はどこに由来するでしょうか。文筆で金を稼いでいるか、いないか。文章技術が高いか、低いか。指標はいろいろありそうですが、そんなことには関係しないし、興味もない人がほとんどでしょう。

食い扶持や身につけた技術のことにかぎれば、コックや理髪師や看護士といった仕事とたいした違いはなさそうです。多少あるとすれば、ホンモノと驚嘆される唯一無二性についてかもしれません。

もちろん、コックや理髪師や看護士といった職業人のなかにも、数少ないホンモノと呼ばれる人がいます。彼らの仕事が人々の喜びや助けになるとき、人々はそんな賞賛を惜しみません。しかし、もの書きのホンモノには、人々から賞賛や感謝ではなく、ときに悪罵され憎悪を向けられる場合があります。

彼の写真だけは、今なお北京のわが寓居の東の壁に、机に面してかけてある。夜ごと、仕事に倦んで怠けたくなるとき、仰いで灯火の中に、彼の黒い、痩せた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまちまた私は良心を発し、かつ勇気を加えられる。そこでタバコに一本火をつけ、再び正人君子の連中に深く憎まれる文字を書き続けるのである。竹内好訳 魯迅『朝花夕拾』より「藤野先生」

NHKが「沖縄県の尖閣諸島」と表現するのは適正か
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/nhk-7cce.html

松本氏が言及した点に関して言えば、NHKが領土問題に関して、「尖閣諸島や竹島に触れる場合には、『沖縄県の尖閣諸島、島根県の竹島』という形で、日本の領土であることを明確に表現している」ことが実は問題である。放送法の規定を踏まえた、本来のNHKのあり方としては、「政府が日本の領土だとしている尖閣諸島、竹島」と表現するべきである。NHKが「沖縄県の尖閣諸島、島根県の竹島」と表現することは、放送法第四条が規定する、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」「政治的に公平であること」に反している。

上記のうち、「正人君子の連中に深く憎まれる文字」がどれであるか、指さす必要はないでしょう。


この植草一秀さんの文章に舌打ちする人は少なくないはずです

検索してみると、魯迅の「正人君子」については、いろいろな解説がされていますが、解釈はそういろいろというわけでもありません。はなはだしきは、「正人君子(支配階級)」と引用に書きくわえている人もいます。魯迅の文闘を階級闘争にしようというのでしょう。もしそうであるなら、魯迅はたいした作家ではありません。

もちろん、藤野厳九郎と魯迅の師弟愛の一篇という読みが多いわけです。これは教科書に掲載されて「藤野先生」を知ったという人が少なくないから無理もないことでしょう。掲載した教科書出版社や採用した文部省、教育現場の教員たちにとっても、「藤野先生」にある理想的な師弟像を見いだしたのはよくわかります。では最終文をこう書き直してみたらどうでしょうか。

そこでタバコに一本火をつけ、再び文字を書き続けるのである。

再び筆を執るのである、でもいいが、省略した方がずっと余韻は深いと思いませんか。

ただし、魯迅の訃報を聴いた藤野厳九郎先生が、新聞記者のインタビューに応じて、仙台医専時代の魯迅(周樹人)の思い出を語った、次の一文を読むとちょっと印象は違ってくるでしょう。

6.藤野先生「謹んで周樹人様を憶ふ」
http://park12.wakwak.com/~jcfa-miyagi/luxunf/okataru.html

藤野先生はほとんど周樹人を憶えていないようです。したがって、自分がした「親切」についても、日本語がおぼつかない中国人留学生のノートを添削したことくらい、ごく当たり前の指導のひとつとしか思っていないようです。医学生としては、「大して優れた方ではなかつた」中国人留学生だが、医学を修めず帰国することを残念に思い、乞われるままに自分の写真を与えたに過ぎないようです。

それ以上の、周樹人へ、中国人へ、師として、日本人としての思い入れといったものはうかがわれません。いわゆる師弟愛というような、体温が伝わるような情の通いはなかったかのようです。いや、待ってください。だからこそ、藤野厳九郎先生はすばらしいのですが、それを書いていると、「正人君子」に行き着きません。

ともかく、藤野先生の実際の思い出を読んだ後では、魯迅の回想はかなりオーバーに思えます。実際の記憶を脚色したのでしょうか。

少なくとも、こんな風には読むことは間違いとはいえないでしょう。藤野先生は周樹人にとくに師の恩愛を施したつもりはなかったが、周樹人は藤野先生から師の恩愛を受けたと感激した。挫折した医学生・周樹人は、後に高名な作家・魯迅となり、「藤野先生」を書いた。「私が今日あるのも藤野先生のおかげです」と感謝を込めて。

そこでタバコに一本火をつけ、再び文字を書き続けるのである。

と書いて筆を置いたのなら、「藤野先生」はそういう作品でした。魯迅もそう書こうと思っていたか、途中までそう書きすすめていた節があります。魯迅の元原稿では、いったん「吾師藤野(わが師藤野)」と表題が書かれ、消された跡に「藤野先生」となっていたからです。

魯迅博物館を訪ねて
http://www.peoplechina.com.cn/home/second/2012-10/10/content_488564.htm

「からです」は冗談ですが、ご都合主義の思いつきと斥けることもできないでしょう。読み返してみると、やはり、

正人君子の連中に深く憎まれる文字

がなんとも異質だからです。藤野先生を想う過去から、現在へ一足飛びして、「私が今日あるのも藤野先生のおかげです」という感謝で完結することを拒否するかのようです。恩愛と憎悪は結ばず、つながりません。

この異様な一文が挿入されたおかげで、師弟愛の思い出という読解が斥けられています。甘美な思い出として思い出すことさえ避けられている、という気がします。藤野先生が願った医者にならず、文学の道を志しながら、いまでは「正人君子に憎まれる文字」を書きつける自分へ、慚愧の思いや自己憐憫があるのでしょうか。


周樹人は、小柄で顔青白くおとなしい少年だったそうです

日本語はわからず勉強は苦しく、ただ一人の中国人としての留学生活は寂しかったけれど、藤野先生に励まされ幸福だったときもあった仙台時代にくらべて、帰国してからこれまでを、あるいは振り返りたくはなかったのでしょうか。全体を覆う寂しげな哀しげな調子をそう解することもできます。

「正人君子の連中に深く憎まれる文字」を書き続けるとは、つまりは、世間的には正しく、君子とされる人々から、自分の作品が認められず、疎まれているということです。しかし、魯迅はその現実を了承し、さらに憎まれようと決意を新たにしたのが、「正人君子」の一文です。

この唐突にして異様な一文は、もちろん後から挿入されたのではないはずです。もし挿入したのなら、全面改稿したあげくのはずです。それほど、この一文は、読者が抱く予定調和的な感動を裏切るものです。それがただのどんでん返しに止まらないのは、この一文から、また藤野先生に返っていくからです。

「藤野先生」は恩師である藤野厳九郎先生を中国人留学生の周樹人が偲ぶ話です。結末において、周樹人の過去から魯迅の現在に視点が移り、文末で「正人君子」の一文に出くわします。気持ちよく終わるはずが、折り返しに立たされたように、読者は納得できない気になります。

そこで魯迅を周樹人にではなく、藤野先生に重ねてみます。それが折られた紙のまだ開かれていない面であることに気づきます。折り返しを開く手がかりは、藤野先生が周樹人に与えた写真に裏書きされた、「惜別」の文字にあります。

もし、この作品を書きながら、あるいは推敲のために読み直して、魯迅の胸を込み上げるものがあったとしたら、それは藤野先生の「惜別」の無念を思ってのことでしょう。

帰国してからの魯迅は北京大学の講師をはじめ、いくつもの師範学校や大学で講演をしています。文名を高めてからは、文学を志す学生や新進作家とも交わっています。魯迅は藤野先生以上に、多くの学生を指導した先生であり、若者たちの師でありました。

そして、藤野先生とは比べものにならないほど、数多くの学生や若者へ、魯迅は「惜別」の文字を痛烈にその胸に刻まざるを得ませんでした。当時の中国は、現在のシリア以上の弾圧と内戦下にありました。魯迅の居室に出入りし、親しく言葉を交わした学生や若者の多くが「行方不明」になりました。

かつての周樹人と同じく、彼らは中国の人々の悲惨な境遇を現前にして、志した文学や学問の道を捨てても救おうとした結末です。魯迅はその残酷な運命から彼らを救うことはできず、前途有為な若者を扇動したと批判されました。

「藤野先生」で回想されているのは、もちろん藤野先生なのですが、藤野先生は魯迅の投影でもあるのです。回想されている周樹人はすなわち、魯迅の知る多くの学生や若者の姿なのです。以下では、藤野先生と周樹人に寄せて、魯迅の率直な思いが語られています。

なぜか私は、今でもよくかれのことを思い出す。わが師と仰ぐ人のなかで、かれはもっとも私を感激させ、もっとも私を励ましてくれたひとりだ。私はよく考える。かれが私に熱烈な期待をかけ、辛抱づよく教えてくれたこと、それは小さくいえば中国のためである。中国に新しい医学の生れることを期待したのだ。大きくいえば学術のためである。新しい医学が中国に伝わることを期待したのだ。私の眼から見て、また私の心において、かれは偉大な人格である。その姓名を知る人がよし少いにせよ。(藤野先生)

魯迅はついに藤野先生にはなれません。彼のような幸福な教師人生はおくれません。すでに周樹人は非業に倒れたことを知っているからです。それはこれからも続くことを知るからです。その痛切な断念の上に、「藤野先生」は書かれました。紫煙にかすむ周樹人たちの笑顔、その血債を負うかのように、魯迅は文闘を続ける決意を書きつけるのです。

そこでタバコに一本火をつけ、再び正人君子の連中に深く憎まれる文字を書き続けるのである。

「藤野先生」のなかで、「正人君子の連中に深く憎まれる文字」とは、この結文にほかなりません。この一文がなければ、「藤野先生」は心あたたまる教育説話の名作として、「正人君子の連中」からも褒めそやされたことでしょう。ずっと気持ちよく読んできて、最後の最後に、自分たちの悪口を読まされて、「チッ」と舌打ちした唇が見えるようです。

(敬称略)
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脱原発はクビ

2013-03-24 07:37:00 | 3・11大震災


NHKにもこんな人がいたんだな。おそらく来週の週刊誌は、この人の悪口でにぎやかになるだろう。目立ちたがり、人望がなかった、報道のエースとかんちがい、異動に不満があった、じつは派閥争いの余波、などなど。

堀 潤 twitter 
https://twitter.com/8bit_HORIJUN/status/310985898982510592
https://twitter.com/8bit_HORIJUN

震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら「精度の信頼性に欠ける」とした文部科学省の方針に沿って、自らデータを報道することを取りやめた。国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない。

NHK堀アナ退職 原発映画が原因?2013年3月20日
http://www.daily.co.jp/gossip/2013/03/20/0005827916.shtml

容姿がいいし、笑顔がきれいだから、クイズ番組の司会や主婦向けのニュースショーには好適なはずだが、「脱原発イメージがスポンサー筋にはどうか」とスポンサーが何もいわないうちから、民放局内には先回りして「斟酌」する「やり手(ババア?)」がいるので、すぐに起用は難しいかもしれない。

ドキュメンタリー映画もつくったそうだから、ぜひ日本の、セス・マクファーレンになってほしいものだ(セスもアニメクリエーターが本職で、「過激ジョーク」で何度も番組をクビになっているそうだ)。

メタンハイドレードの開発など、福一の事故が起きなかったら、とうてい着手されたとは思えない。脱原発なんて選択肢は浮かび上がるはずはなかった。それは多様なエネルギー政策の模索にとどまらず、わたしたちの未来への考えをある意味で解放し自由なものにした。

この「事件」もそうした変化の表れのひとつに思える。もちろん、尖閣をめぐる日中衝突という安全保障問題をテコに、わたしたちの未来を狭める、憲法改悪をめざした国家主義の立て直し、という反動もいっしょに用意されているのだが。

(敬称略)
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わたしにもし娘や息子がいたなら

2013-03-22 01:35:00 | 政治
わたしにもし娘や息子がいたなら、どこへ連れていくだろうか。娘だったら、いっしょに古い映画を観にいきたい。オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」あたりはどうかな。息子だったら、野球観戦だな。投手なら楽天のマーくん、野手ならソフトバンクの内川を見せたい。

そんなことを考えるのは、きっと楽しいことだろう。でも、わたしなら、日比谷公園へ連れていくかもしれない。公園をひとまわり散歩しながら、できるだけ話を聴こうとするだろう。それから松本楼でカレーを食べさせて、内堀通りを横断して、東京地裁へ入るだろう。

傍聴する裁判は、窃盗か詐欺あたりの刑事がいい。殺人や傷害は刺激が強すぎるし、民事はわかりにくい。何か尋ねられても困る。法廷は途中で出られるから、いくつかハシゴして帰ることにする。帝国ホテルのコーヒーハウスに寄り道してもいい。すこし話がしたいから。

もし娘や息子がいたなら、映画や野球へ連れていきたいけれど、一度くらいは裁判の傍聴につきあわせたい。裁判とはどんなものなのか、見学させておきたい。たぶん、退屈な時間をやりすごすだけだろうが、長い目でみれば無駄な時間にはならないように思うからだ。

以下は、そんな少年少女向けではなく、司法に疑問を感じている大人向けの聞き書きである。長いけれど、無駄な時間を食ってしまったにはならないように思う。

最高裁のウラ金 生田 暉雄 
http://uonome.jp/read/1048

生田暉雄氏のプロフィール

1970年 裁判官任官
1987年 大阪高等裁判所判事
1992年 退官(裁判官歴22年)
同年、弁護士登録(香川県弁護士会所属)
現在…裁判は主権実現の手段であるとの考えのもとに、東京、宇都宮、愛媛の教科書裁判に関与している。また、最高裁の「やらせタウンミーティング」違法訴訟、国民投票法違憲訴訟を提訴すべく、準備中

小見出しの一覧

・3回死にかけたが、死なずに助かった
・かなり異質な経歴で裁判官になった
・裁判官の日常生活
・裁判官の飲み会
・裁判官の市民生活
・裁判の結論よりも処理能力
・給料差別と屈辱感
・任地による差別
・最高裁のウラ金とウラ取引
・公文書公開によるウラ金の暴露
・我々は遅れた社会に住まわされている
・私が裁判官を辞めた理由
・仲間の助けで逮捕されずに済んだ
・様々な経験で見えてきたこと
・3日やったら辞められない!?
・裁判は主権実現の手段
・GHQにうまくだまされた日本人
・公文書開示で日本を変える
・司法の後進性と国力低下



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アカデミー賞受賞式 総集編

2013-03-18 01:05:00 | 政治
先日、NHKBSで総集編が放映されていたアカデミー賞授賞式 を楽しんだ。とりわけ印象に残ったのは、

身長150cm体重40kg以上あるとは思えず、誰に対してもスカイツリーを見上げる角度で、満面の笑顔と輝く瞳を仰向けるレッドカーペット・レポーターの超小柄女性。テンポのよいインタビューと切り返しはじつに見事だった。


左が彼女、その隣はヒュー・ジャックマン

それより感心したのは、スターの誰もが彼女に敬愛のこもったまなざしを送っているところ。<レッドカーペット・レポーター>で検索しても、「中野美奈子」ばかりが出てくるが、海外のメディアを検索したらわかった。ABCの<プレショーホスト>のクリスティン・チェノウェスという人らしい。

驚いたのは、司会のセス・マクファーレンが「あんたのおっぱい見たよ!」とくり返すミュージカル仕立てのショー。有名女優の名前とヌードになった映画名を次々にあげて歌っていく。カメラは客席に下りて、名前を出されたシャーリーズ・セロンやニコール・キッドマン、ヘレン・ハントたちが眉をひそめ、表情をこわばらせ、青ざめている顔を映していく。


下品にして辛辣なセス・マクファーレン

また、「リンカーン」に出演した、有名黒人演技派俳優を指して、「ドン・チードルも解放してもらえばよかったのに」とジョークしたときも、会場は明らかに引いていた。「セクハラ」や「ヘイトスピーチ」批判を怖れない勇敢なジョークに唸った。

最優秀主演女優賞を受けるために、ステージに上がろうとして階段で転んだジェニファー・ローレンス。初々しさを際立たせた白のロングドレスの裾長に足下を見失い、踏み外してのめるように膝をついた。すかさず、近くの席にいたヒュー・ジャックマンが助けに駆けよった。


つんのめったジェニファー・ローレンス

その格好が、小腰をかがめて部長の前をよこぎる課長のようで、ちょんちょんと手包丁までしそうな軽さがあり、ヒュー・ジャックマンの好人物さがよく出た、微笑ましいエピソードになった。なるほど、ジェントルマンには少し滑稽さも必要なのか。


作品賞はベン・アフレック監督主演の「アルゴ」だった

などではなく、もっとも印象深い場面は、『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』で最優秀監督賞をうけたアン・リー監督が、ステージ上から客席の妻に感謝の言葉を捧げたときだった。客席にいる受賞者の家族にスポットライトをあてて、ともに喜びあう姿を見せるお定まりの演出だ。

だが、アン・リー夫人の様子はかなり変わったものだった。注目を浴びた困惑から、照れ笑いと苦笑いのしわを目尻口許に寄せ、カメラと人々の拍手にいたたまれず、なんとか逃れられないかと身をよじらんばかりだった。おかしな表現だが、よい意味で彼女は場違いに見えた。

アン・リー監督の成功支えるクールな妻 ラブコールに「気持ち悪い」http://j.people.com.cn/206603/8168150.html

やっぱりそうだったのかと、この記事を微笑しながら読んだ。アン・リー(李安)監督やリン・フイジア(林恵嘉)夫人については、この取材ではじめて人となりを知ったのだが、「中共に未来はないが、中国にはある」という思いを深くした。

家庭を大切にするけれど、仕事が最優先の夫。家庭が大切というより、家族の支えとなる家庭そのものでありながら、研究者としての仕事に没頭する妻。ともに実直そのもの、ハリウッドの煌びやかさとは無縁な夫婦のようだ。政治や社交の手腕に長けた、押しの強い国際的中国人というイメージも裏切られる。

もちろん、台湾出身でいまは米国籍のアン・リー監督を中国人といえるかどうか。人民網日本語版の以前の記事でも、アン・リー監督のアカデミー受賞を「中国人の栄誉」と紹介しているが、海外同胞の著名人という控えめなあつかいだった。さすがに、「わが国の栄誉」にはできない。

当然、「中国には未来がある」という場合、アン・リー監督の栄光やリン・フイジア夫人の内助を例示するだけでは足りず、ひろがりをもたない。では、「未来」はどこに。アン・リー夫人に取材したこの記事こそ、それを満たしてひろがるものだと思う。

この記事が上出来な上に、静かに誇らしげなのは、平凡だが立派な人生を歩んできた、一人の妻、母、研究者であるリン・フイジアに最上の敬意を表すことで、「中共」の事大主義を完全に捨て去っているからだ。アン・リー家を通して、同時代を生きる同じ中国人という視野の広場を提示しているからだ。


迷惑げにキスを受けるアン・リー夫人 リン・フイジア(林恵嘉)

朝鮮日報と同様に「反日記事」が多い人民網日本語版だが、ときどき敬意がうかがえる「日本記事」を掲載することがあり、「反日記事」のなかにさえ、それを見つけることもある。そこに、国家権力とは一線を画した報道をめざす、報道言論機関の自律の兆しをみる。

丹念に読んでいるわけではないが、残念ながら朝鮮日報にそれをみた覚えはほとんどない。日本の新聞からも、中国(人)や韓国(人)へ敬意を感じる記事を読んだ覚えも、このところないのだが。

「中国に未来はある」と思わせてくれる人民網日本語版の記事だったが、次は、やっぱり「中共には未来はない」と思わせてくれるニュースだ。

中国高官「尖閣に測量隊派遣」 3月下旬に行動起こす可能性 2013/3/14 08:00 http://www.j-cast.com/2013/03/14169501.html?p=all

中国が尖閣に測量隊を派遣上陸させれば、必ず日本と「武力衝突」になる。それはごく「短時間」の「偶発的事件」になるかもしれないが、「戦争状態」に変わりはない。人死にや負傷が出なくても、実質的に国交は途絶え、その政治経済へのダメージは双方にとって計り知れぬ大きなものとなる。そして、いったんはじまった「戦争状態」はエスカレートこそすれ、沈静化させるにはきわめて困難な努力が必要になるだろう。

(敬称略)
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