コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

ジャッカス・ナンバー2

2007-05-29 00:50:19 | レンタルDVD映画
JACKASS NUMBER2
http://www.jackassmovie.com/">http://www.jackassmovie.com/

最初の注意書きに、「こんなことをやるのはスタントマンかバカだけなので、絶対に真似しないように」とあるようなことばかり、脳天気な男たちがゲラゲラ笑いながら挑戦していく。

たとえば、口に大きな釣り針を刺して、鮫のいる海に飛び込む。追いかけてくるアオザメを偶然だが、脚で蹴ったりして助かる。たとえば、大きなタイヤに入って坂道を転がるレース。たとえば、目隠しして荒れ狂う猛牛の前に立つ。

男ならではのバカ自慢に大笑い。いちばんは、腹にダイナマイトを巻いたキレたアラブ人に扮し、タクシーをつかまえて「空港に行け」というドッキリカメラ。偽アラブ人はもちろん知らないが、付け髭は全員の陰毛を剃って接着剤でつけたもの。いま、DVDレンタルの新作コーナーに並んでいる。
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最近収穫のレンタルDVD映画

2007-05-22 00:28:03 | レンタルDVD映画
ウディ・アレンの『マッチポイント』。スカーレット・ヨハンセンのどこがいいのかいまひとつわからないが、追いつめられていく浮気男はよく描かれている。メキシコ裏世界のボスの誘拐をめぐる、タランティーノ風ドタバタ犯罪映画『カクタス・ジャック』。CGどころか、ラジオ修理工みたいな博士と陰気な女だけしか出てこないSFの『アンドロイド』。いまだにパリコレが世界の中心なんだろうかと首をひねるが、日本の少女マンガを彷彿とさせるヒロインと敵役の『プラダを着た悪魔』。後進国となった東欧に女漁りにやってきた若者が切り刻まれるスプラッタ『ホステル』。同じくロケ費用が安いチェコなど東欧各国で、ウエイズリー・スナイプス主演のアクションムービーが量産されているのは、ハリウッドの侵攻ではなく、現地化ではないかと興味を抱かせる『7セカンズ』『デトネーター』。題名はひどいが、気弱な男の凶悪な犯行にいつか感情移入してしまうベルギー映画『変態男』。


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父親たちの星条旗

2007-05-21 00:06:31 | ノンジャンル
佳作である。情けないことに、このアメリカ視点の「硫黄島映画」には感情が高ぶった。硫黄島で闘ったアメリカの若い兵士たちが、自分の友だちであるかのように感情移入できた。しかるに、『硫黄島からの手紙』の日本軍将兵は、今日のTV画像に見る北朝鮮の軍事パレードの将兵のように、異様で遠い人たちに思えた。北朝鮮は、日本帝国主義の亜流ではないか。いったい俺は何人なのだろう。そして、いったい何人でなければならないのだろう。困った硫黄島2部作であった。

アメリカの対イラク戦争がこの映画の背景とすれば、手榴弾で玉砕自爆する日本兵はイラク反米派に擬せられるが、「アメリカの敵」も彼らの国家や民族を守るために必死に闘っているだけだといいたいのかもしれない。そして、かつては「異様で遠い人間たち」と思えたジャップも、いまではアメリカの同盟国であり友人であると。ならば、硫黄島の日本兵の奮闘や栗林中将の武士道はどうでもいいわけで、かつてブッシュが困難が予想されるイラク統治の見通しを尋ねられて、「アメリカは日本を民主化した経験がある」と胸を張った心底と通じるものだろう。

したがって、この2部作がイラク戦争への反対や厭戦気分を煽る意図があるという評価には頷けない。ただ頷けるのは、アメリカ人にとって、大日本帝国も北朝鮮もイラク反米派も、みな一様なモノクロとして見えているということだ。で、問題は俺にもそのように見えるということだ。そして、日本は違うと思おうとすると、何か後ろめたい気分になることだ。
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硫黄島からの手紙

2007-05-18 21:04:52 | レンタルDVD映画
「ローハイド」であった。ケン・ワタナベは「フェーバーさん」だった。カウボーイ映画であっても、見事に戦争映画ではなかった。おしまい。

予感としては、アメリカ視点の『父親たちの星条旗』のほうがよさそうだ。なぜ、C・イーストウッドがこの『硫黄島からの手紙』はつくりたかったのか、最後までわからなかった。『父親たちの星条旗』を補うためだったのか。未見なのでそれもわからない。

C・イーストウッドはつねに水準以上の映画をつくり、これまで愚作駄作を一本もつくったことがない、と俺は思ってきた。が、今回はどうだろう。脚本も演出も俳優も、もちろんカメラにも別に文句はないが、はじめて凡作をつくってしまったのではないか。二宮和也があまりにアメリカ映画的な類型だった。

先に戦争映画ではなかったと書いたが、これぞ戦争映画だという作品も実は思い出せない。スピルバーグの『プライベートライアン』を観たときも、『コンバット』だと思った。「ローハイド」や「コンバット」と同様な人間模様というより、軍隊の分隊や小隊、あるいは参謀本部でも、同じ人間の組織ということかもしれない。軍隊組織が普遍なのか、それ以上それ以外の組織をまだ人間は持ち得ていないということかもしれない。
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千の風とブラック・ダリアとおっと板金万太郎

2007-05-14 02:13:57 | レンタルDVD映画
「千の風になって」という楽曲にうんざり。変な形の唇の歌手がナルシスティックな歌詞を大げさに歌うだけでも辟易なのに、臨終の枕元や葬式にこの歌を流してほしそうな中高年に受けているのが、何より堪らない。趣味の悪いにもほどがある。そんなに夢見心地になって、もし天国にいけなかったら、どの面下げて地獄を歩くのだろう。あの歌を愛唱するような人は、たぶん、アメリカ小説界の狂犬・ジェームズ・エルロイの本などは読まないだろうな。

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=4925

新作DVDのめぼしいものはほぼ観尽くしたので、三流映画ばかりのアルバトロス映画まで手を伸ばしていたところ、久しぶりに良質な新作が出てきました。ちなみに、アルバトロスの他にニュー・セレクトという会社もあって、やはり低予算の三流映画配給元です。このニュー・セレクトが配給した『チェイン』という自転車に乗った女を自転車で追いかけ回す殺人鬼の映画も観ました。マウンテンバイクとは、ほんとうに山を登ったり、林道を走ったりするものなんだなとわかったが、新味はそれだけ。強い眼を持つ女優はわるくなかったけれど、例によって名作『ヒッチャー』の100本目くらいの焼き直しでした。ただし、冒頭の映画会社名に「おっと板金万太郎」でした。

高校時代のクラスメートに青森市から越してきたやつがいて、彼の町に「板金万太郎」という店があったそうです。みなで先生の悪口を言い合っていたとき、当の先生が後ろに立ったのに彼だけが気づかず、みなが押し黙り彼の独演会になりかけたとき、さすがに雰囲気がおかしいと振り向いた彼が思わず発した言葉が、「おっと板金万太郎」でした。英語なら、「ジーザス」とか「オーマイガッ」、韓国語なら「哀号」、中国語なら「アイヤー」に近い使われかたで、以後私たちクラスの感嘆語として頻繁に用いられました。

映画はなかなか始まりません。予告編が流れた後、ようやく配給元の会社名が出てきます。次ぎに映画会社、そして映画の題名が出て、いわゆるタイトルロールが始まり、俳優名、スタッフ、監督と続きます。「チェイン」では、ニュー・セレクトが配給元で、映画会社名が「アブノーマル ピクチャー」でした。「ダディ、僕、映画会社に就職が決まったんだ」「ほお、パラマウントかMGM? それともソニーエンターテイメントかい?」「いや、もっと小さな会社なんだ」「インデペンデント系ってやつか、それでなんていう会社なんだ」「アブノーマル ピクチャー」「おっと板金万太郎」。こういう風に使います。

そんな映画ばかり数十本観た後の『ブラックダリア』ですから、堪能しました。しかし、エルロイは全部読んだはずなのに、まったく筋が読めなかった自分に呆れ、「おっと板金万太郎」でした。監督はブライアン・デパルマ。有名監督ですが、一流か二流かは見方が分かれています。近作の『ファム・ファタール』は明らかに安物でした。が、俺は嫌いじゃありません。主演女優レベッカ・ローミン=ステイモスのランジェリー姿が抜群だったからです。いまレンタルDVDの新作コーナーに並んでいる『アダム』にも彼女は出演していますが、こちらはまるで魅力なし。ブライアン・デパルマは女優を窃視症的に撮るのが上手い人です。『ブラックダリア』でも、スカーレット・ヨハンソンの着替えをジョシュ・ハーネットに覗かせています。そういう場面を撮るのが上手いというより、好きなのでしょうね。

そんなデパルマですから、傑作『L・Aコンフィデンシャル』と同様な男の熱気と狂気が滴る映画になるはずが、女を舐め回すカメラワークばかりが目立つ映画になってしまいました。が、俺は嫌いじゃありません。『L・Aコンフィデンシャル』を凌ぐ、アメリカ映画界の悪役・敵役・変態役の男優たちがカメオ出演のように、ちらちら主演しているからです。にもかかわらず、女ばかり舐め回す映画と断じてよいのは、富豪役があまりに矮小だからです。昔ならオーソン・ウェルズ、今ならアンソニー・ホプキンスが演るような役なのに、まるで印象に残らない。それより気の触れた富豪夫人に圧倒的な存在感があったのです。デパルマは男には興味ないんですね。

という風にバランスはよくないのですが、つくり手の情熱を感じさせる絵がときどきあります。デパルマは自分が撮る映画が好きなんですね。アルバトロスやニュー・セレクトが配給する映画の多くが三流なのは、短い製作期間しかない低予算の二番煎じ企画だからではなく、好きこそ物の上手なれ、という情熱が感じられないからです。好きとはきれい事で、ようするに執着、病気です。アブノーマルを社名にするセンスからして、もっともアブノーマルから遠いといえます。人の金と労力と時間を、自分の変質のために惜しみなく使う。それくらい自分の変質が好きなんですね。陽のあたる坂道を歩くときの影のようなものとは思っていないのです。
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