ロバート・デニーロ監督作品。フランシス・フォード・コッポラ製作総指揮。マット・デイモン主演。アンジェリ-ナ・ジョリー共演。
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/18509/
「グッド・シェパード(良い猟犬という意味か?)」たるCIA(アメリカ中央情報局)の創設に関わり、CIA最大の失敗といわれているキューバ侵攻作戦の指揮を執り、やはりCIAの大スキャンダルとなった偽KGB大佐の亡命事件など、1940~60年代に海外諜報に暗躍したCIAエリートの苦悩の半生を描いた映画だ。
臆断すると、テーマはコッポラが持ち込み、キャスティングと演出はデニーロという分担ではなかったか。イラク戦争でさらに評判を落としたCIAをいまさら取り上げる狙いは、「反民主党的」なCIA擁護でなければ、スパイ業界に舞台を移して「ゴッドファーザー」の夢よもう一度なのか。
監督デニーロに馳せ参じた俳優陣の顔ぶれが凄い。ジョン・タートゥーロ、ウィリアム・ハート、ティモシー・ハットン、おなじみジョー・ペシ、アレック・ボールドウィン、マイケル・ガンボン、ケア・デュリアなどが、添え役、端役で出演している。
クリントン元大統領やブッシュ大統領も会員だったという「スカル&ボーン」(骸骨と骨?)という実在のエリート大学生のクラブが、アメリカの体制側の象徴として登場する。主人公のエドワード(マット・デイモン)もその一員であり、そこでクラブOBを介してCIAの前身であるOSSからスカウトを受け、第2次大戦後の米ソスパイ戦の司令塔になっていく。
スカウトに赴いてきたロバート・デニーロ扮する「将軍」は、スカウトの条件を、「黒人やユダヤ人ではなく、カソリック以外の然るべき家柄の者に限る。ただし、わしは例外だ」という。将軍はカソリックらしい。つまり、CIAはWASPのアメリカ合衆国の「良き猟犬」として創られたわけだが、後にJFKというアメリカ大頭領史上初のカソリックの大統領に仕えることになる。
「仕事に生きる男」の骨太な映画なのだが、秘密だらけの仕事は勲章や賞賛とは無縁の上、その職業人生はアメリカとCIAの失敗に重なり合い、冷酷な汚れ仕事に身を浸すうちに、家庭生活は遠ざかり、妻には去られ、息子には結局憎まれ、唯一愛した女性も組織を守るために捨て、エドワードは空虚な人生を歩むことになる。
エドワード(マット・デイモン)は、カストロ首相暗殺の協力を得るために、サム・ジアンカーナに擬したイタリア系マフィアのパルミ(ジョー・ペシ)のフロリダの自宅を訪ねる。パルミは室内には通さず、テラスにエドワードらを座らせ、海岸に遊びに出かける孫たちを見やりながら、こういう。
「我々イタリア人には家族がある。ユダヤ人には伝統がある。黒人には音楽がある。あんたたちにはいったい何があるね?」
CIAのNO2であり、「グッド・シェパード」であるエドワードは、苦渋に満ちた声で、「アメリカ合衆国がある」とつぶやく。
この映画の政治性と非政治性をよく表した場面だと思う。CIAを擁護する反動的映画だという批判は当たらないだろう。たとえ、「グッド・シェパード」として守ろうとするのが、イタリア人やユダヤ人や黒人以外のWASPの「アメリカ合衆国」だとしても、それはアメリカのひとつの現実であり、コッポラとデニーロはその現実にしか生き得ないCIAマンを通して、祖国へ悲恋する男のメロドラマを描きたかっただけなのだから。
もし、この映画にいささかなりとユニークでリアルな点があるとすれば、エドワードをはじめとするCIAマンたちの自己規定が公務員であることだろう。「我々はしょせん役人なのだ」という認識だ。奇しくも、オバマとヒラリーの民主党大統領候補選が激しく戦われている。ブッシュ大統領の側近や政権幹部が、石油企業や軍需産業、金融機関の元重役たちで占められているのはよく知られている。
アメリカは「スカル&ボーン」のOBである政治家や企業家によって動かされているかのようだが、実はそのスタッフとなって働く、公務員や役人こそが「アメリカ合衆国」であり、そうあるべきだといっているようにも思える。強大な権力と莫大な富を手中にしたアメリカの政治家や企業家なら、マフィアのボス・パルミの「あんたたちにはいったい何があるね?」という問いに、「そりゃ世界さ(爆)」あるいは「そりゃ戦争さ(爆)」と応じるかもしれない。
この愚かで強欲で無慈悲な「アメリカ合衆国」を誰も背負わない。その苦渋の認識こそが、この映画を「ゴッドファーザー」の二番煎じを免れさせている。その功績が、コッポラとデニーロのいずれにあるかはわからないが、3時間と長尺を飽きさせず保たせたのは、俳優たちの力であり、彼らを集めたデニーロの功績とはいえるだろう。ただ、型にはまった演技合戦の感もある。俳優たちが、余白と糊代を認める自由な演技を見せてくれると、もっと楽しめたように思える。
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/18509/
「グッド・シェパード(良い猟犬という意味か?)」たるCIA(アメリカ中央情報局)の創設に関わり、CIA最大の失敗といわれているキューバ侵攻作戦の指揮を執り、やはりCIAの大スキャンダルとなった偽KGB大佐の亡命事件など、1940~60年代に海外諜報に暗躍したCIAエリートの苦悩の半生を描いた映画だ。
臆断すると、テーマはコッポラが持ち込み、キャスティングと演出はデニーロという分担ではなかったか。イラク戦争でさらに評判を落としたCIAをいまさら取り上げる狙いは、「反民主党的」なCIA擁護でなければ、スパイ業界に舞台を移して「ゴッドファーザー」の夢よもう一度なのか。
監督デニーロに馳せ参じた俳優陣の顔ぶれが凄い。ジョン・タートゥーロ、ウィリアム・ハート、ティモシー・ハットン、おなじみジョー・ペシ、アレック・ボールドウィン、マイケル・ガンボン、ケア・デュリアなどが、添え役、端役で出演している。
クリントン元大統領やブッシュ大統領も会員だったという「スカル&ボーン」(骸骨と骨?)という実在のエリート大学生のクラブが、アメリカの体制側の象徴として登場する。主人公のエドワード(マット・デイモン)もその一員であり、そこでクラブOBを介してCIAの前身であるOSSからスカウトを受け、第2次大戦後の米ソスパイ戦の司令塔になっていく。
スカウトに赴いてきたロバート・デニーロ扮する「将軍」は、スカウトの条件を、「黒人やユダヤ人ではなく、カソリック以外の然るべき家柄の者に限る。ただし、わしは例外だ」という。将軍はカソリックらしい。つまり、CIAはWASPのアメリカ合衆国の「良き猟犬」として創られたわけだが、後にJFKというアメリカ大頭領史上初のカソリックの大統領に仕えることになる。
「仕事に生きる男」の骨太な映画なのだが、秘密だらけの仕事は勲章や賞賛とは無縁の上、その職業人生はアメリカとCIAの失敗に重なり合い、冷酷な汚れ仕事に身を浸すうちに、家庭生活は遠ざかり、妻には去られ、息子には結局憎まれ、唯一愛した女性も組織を守るために捨て、エドワードは空虚な人生を歩むことになる。
エドワード(マット・デイモン)は、カストロ首相暗殺の協力を得るために、サム・ジアンカーナに擬したイタリア系マフィアのパルミ(ジョー・ペシ)のフロリダの自宅を訪ねる。パルミは室内には通さず、テラスにエドワードらを座らせ、海岸に遊びに出かける孫たちを見やりながら、こういう。
「我々イタリア人には家族がある。ユダヤ人には伝統がある。黒人には音楽がある。あんたたちにはいったい何があるね?」
CIAのNO2であり、「グッド・シェパード」であるエドワードは、苦渋に満ちた声で、「アメリカ合衆国がある」とつぶやく。
この映画の政治性と非政治性をよく表した場面だと思う。CIAを擁護する反動的映画だという批判は当たらないだろう。たとえ、「グッド・シェパード」として守ろうとするのが、イタリア人やユダヤ人や黒人以外のWASPの「アメリカ合衆国」だとしても、それはアメリカのひとつの現実であり、コッポラとデニーロはその現実にしか生き得ないCIAマンを通して、祖国へ悲恋する男のメロドラマを描きたかっただけなのだから。
もし、この映画にいささかなりとユニークでリアルな点があるとすれば、エドワードをはじめとするCIAマンたちの自己規定が公務員であることだろう。「我々はしょせん役人なのだ」という認識だ。奇しくも、オバマとヒラリーの民主党大統領候補選が激しく戦われている。ブッシュ大統領の側近や政権幹部が、石油企業や軍需産業、金融機関の元重役たちで占められているのはよく知られている。
アメリカは「スカル&ボーン」のOBである政治家や企業家によって動かされているかのようだが、実はそのスタッフとなって働く、公務員や役人こそが「アメリカ合衆国」であり、そうあるべきだといっているようにも思える。強大な権力と莫大な富を手中にしたアメリカの政治家や企業家なら、マフィアのボス・パルミの「あんたたちにはいったい何があるね?」という問いに、「そりゃ世界さ(爆)」あるいは「そりゃ戦争さ(爆)」と応じるかもしれない。
この愚かで強欲で無慈悲な「アメリカ合衆国」を誰も背負わない。その苦渋の認識こそが、この映画を「ゴッドファーザー」の二番煎じを免れさせている。その功績が、コッポラとデニーロのいずれにあるかはわからないが、3時間と長尺を飽きさせず保たせたのは、俳優たちの力であり、彼らを集めたデニーロの功績とはいえるだろう。ただ、型にはまった演技合戦の感もある。俳優たちが、余白と糊代を認める自由な演技を見せてくれると、もっと楽しめたように思える。