コタツ評論

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山中さん、見本を示して下さい

2014-04-30 03:04:00 | ノンジャンル
STAP細胞をめぐる小保方論文問題を調査している石井俊輔理研調査委員長が、自身の論文の画像の切り貼りを指摘されて、辞任を表明しました。

小保方氏との違い強調…調査委員長辞任の石井氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140426-00050034-yom-sci

理研調査委員長が辞任 STAP対応に影響も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140426-00000013-asahik-soci

ノーベル賞受賞者でもある京都大学のiPS細胞研究所の山中伸弥教授も、14年前に発表した論文の画像について切り貼りではないかと指摘されて、謝罪会見を開きました。

京大 山中教授が自身の論文巡り会見
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140428/k10014091181000.html

山中教授一問一答 「見本となる立場、おわび」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140429-00000086-san-soci

石井調査委員長は、「説明しやすくするために、画像の切り貼りをした」ことを認め、研究不正かどうか、理研では別の調査委員会がつくられて調査中とのことです。

山中教授の場合は、「共同研究者が画像を保管していた」ので、画像の切り貼りは「確認」できなかったが、自身の実験ノートなどで、研究不正ではないと「確認」されたとのことでした。

繰り返しますが、石井委員長も山中教授も、実験結果の画像の切り貼りが疑われ、石井委員長は切り貼りを認め、山中教授は未確認ということです。

山中教授が36歳のときに発表した問題のES細胞論文の元画像は、山中教授の手元にはなく、共同研究者だった中国人学生が保管していた。その学生とは連絡がつかないから、論文に掲載された画像と照合できず、切り貼りされたものかどうかは確認できないわけです。

にもかかわらず、山中教授が所属する京都大学のiPS細胞研究所は、山中教授から提出された、当時の実験ノートなどから、研究不正はなかったと「確認」したそうです。

画像の切り貼りを指摘されて、元画像と論文画像を照合して検証できないまま、研究不正はないと判断したのは理屈に合いません。京都大学が調査委員会をつくって、その共同研究者だった中国人学生を探し出し、元画像を入手する手間をかけないのはどうしてなのか、はなはだ疑問です。

切り貼りとは、IT時代になって生まれた言葉ではありません。障子の破れた部分に、○や□や桜の形に切り抜いた紙を張りふさいだことをいい、昔からあった言葉です。それが文章作成の作業にも当てはめられ、以前は、新聞や雑誌の記事、自分が書いた文章をハサミで切り抜き、台紙に貼りつけて文章構成を考え、整える「書く技術」のひとつになりました。

同じ作業がITとPCの発達によって、膨大な文献資料から探すことができるようになり、その切り貼り、コピー&ペースト(複写と貼り付け)も誰でも手軽にできるようになりました。画像の場合も、複数の写真を組み合わせるコラージュといわれる表現技術は以前からありましたが、グラフィックソフトの発達によって画像の加工処理技術も一般化しました。

ただし、同じ切り貼りとはいえ、文章と画像では大きく異なるところがあります。まず、文章にはオリジナルはありません。誰かが、その人だけが発明した言葉や文章は、デタラメ以外にはあり得ません。デタラメでは、他の人は理解できないので、言葉や文章とはなりません。

しかし、画像はオリジナル以外にはあり得ないとすらいえます。その瞬間のその事物を写した画像は、その1枚しかないからです。0.1秒ごとに連写された写真は、ほとんど同じに見えて見分けがつかないかもしれませんが、微細にはまったく違うはずです。

また、文章の切り貼りは、その巧拙を別にすれば、小学生ですら簡単にでき、少し頭のよい中学生なら、ネット上のいろいろな文献をコピペしてそれなりの意見を発表することができます。学位論文を書くような大学生や企画書などを書き慣れたビジネスマンなら、ほとんど苦もなく短時間でできるだけでなく、切り貼りとわからぬよう痕跡を消すこともそう難しくはありません。

一方、画像の切り貼りはそう簡単な作業ではありません。グラフィックソフトが発達した最近でさえ、誰でもができるわけではなく、機材とソフト、それなりの作業時間とスキルが求められます。14年前に、画像を切り貼りするには、さらに長時間の作業と高いスキルが必要だったでしょう。

山中教授も、14年前の自分には、「画像をコピーする技術はなかった」と述べています。画像を複写して切り抜き貼り付けして、その上、一見しただけではわからぬよう痕跡を消す。そんな複雑な作業をした場合、「うっかりミス」や「未熟だった」という理由は、あり得ないと断じてよいでしょう。

つまり、小保方 Nature 論文の調査報告の記者会見で知った、「悪意ない間違い」の「悪意」を「故意」とするなら、画像の切り貼りという加工処理は、「故意」以外には成り立たないことになります。

ところが、山中記者会見を報じた記事を一読して首を捻るのは、「故意」から眼をそらすかのように、実験結果や論文が正しかったことを強調してる点です。画像の切り貼りがあったとすれば、それが研究不正かどうかと、論文の正否は区別して扱われるべきことでしょう。結果オーライのはずがありません。

繰り返しますが、論文掲載の画像が、実験結果を正しく反映し、論文が正しいと証明されたなら、たとえその画像が切り貼りされていたとしてもかまわない、許されるというならば、石井委員長は辞任することもなく、山中教授は謝罪会見を開く必要もなかったのです。

次のツィッターは、厳しい小保方批難を続けている東大教授の発言です。


「世界基準は、悪意の有無と関係なく、捏造・改ざん・剽窃は研究不正です」と書いています。スポーツのドーピングを例に引いて、やはり、「悪意」とは「故意」と認定しているようです。

ドーピングの場合は、実行者がたとえ選手ではなく、コーチや医師など誰であれ、たとえば選手を騙して摂取させた場合でも、尿検査によって違法薬物が検出されれば、それで有罪になります。同様に、データの捏造・改ざんという行為それ自体が、ただちに研究不正になるということです。

行為だけを問題にするならば、石井委員長が認めた画像の切り貼りは、改ざんという研究不正であり、山中教授の論文の画像も、元画像を確認しない限りは、捏造・改ざんの疑いは残るわけです。

山中教授の実験ノートから、適正な元画像があることが客観的に裏づけられたとしても、論文掲載された画像に何らかの手が加えられていた場合は、ただちに研究不正だからです。

ロバート・ゲラーさんがいう世界基準に照らせば、次の山中発言はとても意味深に受け取れます。

「自分の論文に疑問を持たれるのは、死ねと言われるのに近い痛みを伴う」

(了)

今夜は、エッタ・ジェイムズ

2014-04-27 02:02:00 | 音楽
オバマ大統領が安倍首相と寿司を食べて帰りました。5年前に来日したときは、鳩山首相とパンケーキを食べたそうです。「オバマ大統領が好きだというパンケーキを出して『食べろ』と言ったら、おなかいっぱいだと食べてくれなかった。そのときトラスト・ミーといった」と鳩山首相は明らかにしました。「とにかく食べてみろって、美味いことは私が保証するから」という「トラスト・ミー」ですね。

ところが、普天間基地の移設先を辺野古にすると確約した「トラスト・ミー」と報じられて、賛成反対の両方から無責任な発言と批判され、「ルーピー鳩山」に続く迷走がはじまったわけです。たしかに、「トラスト・ミー」はそれほど重大で深刻な表現のようです。だからこそ、パンケーキを勧めるときに使えば、くだけた冗談になるのでしょうが。

翌年、トヨタがアメリカで大量リコール問題を起こしたとき、記者会見をした豊田章男社長が「ビリーブ・ミー( Believe me. Toyota's car is safety )」と言って、今度は稚拙な表現だと批判されました。ビリーブ・ミー」とは、たとえば、悪戯した子どもが、「嘘じゃないよ、僕を信じて!」と言うときなどの常套句だそうです。

豊田社長は、鳩山首相が「トラスト・ミー」で批判されたのが念頭にあって、「ビリーブ・ミー」と言ったのかもしれません。そういえば昔、Don't trust over thirty という言葉がありました。

そんなお堅い言葉「トラスト」ですが、エッタ・ジェイムスが歌う、「トラスト・イン・ミー( Trust in me )」では、「イン」が入るだけでずっと深い人間性に発する言葉になるようです。くだけた言い回しながら、切ない感情を乗せて、Trust in me in all you do と歌い出して、Why don't you, you trust me? と受けています。ちなみに、Cling to me は、「私にしがみつく」、the faith は、信仰という意味です。

Trust In Me


Trust in me in all you do
Have the faith I have in you
Love will see us through, if only you trust in me
Why don't you, you trust me?
Come to me when things go wrong
Cling to me daddy, woh yeah and I'll be strong
We can get along, we can get along ,oh if only you trust in me
While there's a moon, a moon up high
While there are birds, birds to fly
While there is you,a you and I, I can be sure that I love you...oh...
Stand beside me, stand beside me all the while
Come on daddy face the future, why don't you smile?
Trust in me, and I'll be worthy of you ...oh yeah, yeah
Why don't you trust in me in all you do?
Have the faith that I... I have in you
Oh And love will see us through, if only you trust in me Yeah...Yeah Yeah
Why don't you come to me, when things go wrong, cling to me and woh,
And I'll be strong
We can get along, we can get along oh, if only you trust in me...

エッタ・ジェイムズをモデルにした映画『キャデラック・レコード』は話題になりませんでしたが、エッタ役をビヨンセが演じたのには驚きました。宮路オサムの伝記映画に、福山雅治が主演するようなものです。

それくらいエッタ・ジェイムズは不細工ですが、すばらしい声美人です。残念ながら、若いときの伸びと張りのある歌声を聴かせてくれるLIVE動画は、次の曲しか見つかりませんでした。よくみると、なかなか可愛い表情も見せています。

I'd Rather Be Blind (Live at Montreux 1975)


Something told me it was over
When I saw you and her talkin’
Something deep down in my soul said, ‘Cry, girl’
When I saw you and that girl walkin’ around

Whoo, I would rather, I would rather go blind, boy
Then to see you walk away from me, child, no

Whoo, so you see, I love you so much
That I don’t wanna watch you leave me, baby
Most of all, I just don’t, I just don’t wanna be free, no

Whoo, whoo, I was just, I was just, I was just
Sittin here thinkin’, of your kiss and your warm embrace, yeah
When the reflection in the glass that I held to my lips now, baby
Revealed the tears that was on my face, yeah

Whoo and baby, baby, I’d rather, I’d rather be blind, boy
Then to see you walk away, see you walk away from me, yeah
Whoo, baby, baby, baby, I’d rather be blind…


ある日、女は、嬉しそうに別の女と町を歩いている彼氏を見かけるんですね。身体を寄せ合って親しげに話している二人を見たんですね。そして女は、ありありと想像するんですね。やがて、自分を捨ててその女の元へ行くだろう、彼氏の後ろ姿を。「そんなことなら、私はむしろ盲目になりたい!( I would rather be blind )」という悲痛な歌ですね。「私はちっとも自由になんかなりたくないのよ!( I just don’t wanna be free, no )という一節もありますから、浮気癖なのに、女を拘束したがる嫉妬深い彼氏なんでしょうね。

At Last


中学で習いましたね、At last ついに。ついに、私にも愛がキターッという歌です。四つ葉のクローバーに包まれて青空を見上げるような気分、あなたの笑顔を見るたびに胸がドッキドキのスリル満点、ラブソングみたいな毎日なの、とのろけています。アメリカでは結婚式でよく歌われる、チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」のような歌になっているようです。

(敬称略)

今夜は、あなたしか見えない

2014-04-22 23:27:00 | ノンジャンル
韓国フェリーの沈没事故がなぜ大惨事となったか

珍島沖で沈没したセウォル号の海難事故で、乗客を置き去りにしたまま、いちはやく逃げ出した船長や船員が激しい非難を浴びています。「殺人罪にも等しい」とパククネ大統領は罵りましたが、その幇助にも等しい劣悪な海運業界の実態が明らかになりつつあります。

6586総トン、乗客476人(定員804人)の大型旅客船の船長はじめ船員の過半数が1年契約の契約社員で、船長の月給はわずか26万円という劣悪な雇用環境(韓国でも船長の月給50万円超が通常)。船主の清海鎮海運は、年間広告費に2200万円を費やしながら、船員の研修費には5万円しか使っていなかった利益優先。その一方、清海鎮海運の会長一家の個人資産が240億円という金満ぶり。

セウォル号が1994年建造から20年を経た日本の中古船だったように、海運会社団体からの要請に応じて、船齢制限を20年から30年に延長した政府の規制緩和。その結果、旅客船舶の24%が船齢20年以上の中古船が占めるのに、各種適性検査を海運会社団体が行うお手盛り検査体制。

乗客の生命を置き去りにして逃げ、救助された船長は「一乗客」と身分を偽り、操舵を握っていた三等航海士は救助者名簿に偽名を書きました(以上、朝鮮日報より)。そんな船長や船員が、なぜ生まれたのか。産業優先(安全軽視)の規制緩和や企業の利益偏重、非正規雇用の拡大などでは、むしろ日本は韓国を追いかけています。

どうして韓国はそうなったか、という疑問と、日本は大丈夫なのか、という懸念に答える声です。ごくまれな機会ですが、やむにやまれぬ現場の発言が読めるのは、ネットの大きなアドバンテージです。

【論説】とある海技士から見た韓国海事
http://now2chblog.blog55.fc2.com/blog-entry-13506.html

小保方擁護いいかげん派の旗揚げ

まじめな科学者の間では、小保方批難派が結束して、STAP細胞捏造と厳しい論難が続いています。一般国民間では、小保方擁護のかわいそう派が過半を占めているようです。マスコミは、笹井会見以降、小保方バッシングからやや戻して、うやむや派に脚を移している印象です。

先に紹介した武田邦彦とこの芦田宏直、大槻義彦らは、いわば、小保方擁護いいかげん派とでもいえるでしょうか。小保方批難派からは呆れられているのか、満足な批判すら出ていませんが、「人文系の学者はいちばんの参照文献はけっしてあきらかにしない」(芦田)、「教え子のミスは先生がかばうもの」(大槻)など、科学的ではなくとも、人情の機微には触れるところがあります。

疑惑を広げ深めようと、ほとんど小保方魔女か愚物扱いでユーモアを欠く、小保方批難まじめ派の科学主義の息苦しさに比べると、小保方擁護いいかげん派の人間主義的な語り口に好い加減を覚えてしまうのは無理からぬところです。

芦田宏直氏「人文系はコピペ当たり前、引用なんてしない」新報道2001
https://www.youtube.com/watch?v=lat49RJaq4M

教師は教え子を守るのが当然、小保方さんもその一
http://29982998.blog.fc2.com/blog-entry-533.html

人々から遠く離れて-その手の孤独の人

この手のニュースに接するたびに、この手の人がいることを知るとき、ある感銘をおぼえるのは私だけでしょうか。金も地位も名誉も家庭も友人も失って悔いのない自由な魂というものを信じたくなります。人間は捨てたものではない。人生は生きるに値する。そういうふだんは1ミリも考えたことのない考えが呼び起こされやしないでしょうか(しない?)。

もちろん、違法であり容認できないのは云々、以下30行(中略)。

獄窓の数十年を耐えた革命家や、貧苦のなかに傑作をものした芸術家や、百年の和平を切り開いた政治家は、人を粛然とさせ、督励しますが、笑いとは無縁です。彼らが笑われることはけっしてありません。一方、彼らは心底からの笑いを生じさせてくれます。この手のニュースを見聞するとき、思わず唇に笑みを浮かべないとは信じられない私は、変態擁護派です。

法務省内女子トイレで盗撮 幹部書類送検へ
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20140421-00000018-nnn-soci

さて、隠れた名曲です。なかにし礼作詞としては、「知りたくないの」と並ぶ傑作では。

伊東ゆかり あなたしか見えない


元歌はリタ・クーリッジの'Don't Cry Out Loud'です。サーカスに連れてきた赤ちゃんに、「そんなに泣かないで」と諭すママの歌です。メリッサ・マンチェスターでもヒットしましたが、今夜はイギリスのエルキー・ブルックスで。

Elkie Brooks: 'Don't Cry Out Loud', Top of the Pops 1978

(敬称略)

ケビン・コスナーではなく笹井が来たけれど

2014-04-20 17:14:00 | ノンジャンル
科学メディアは知らないが、一般メディアで笹井記者会見への批判や反論を見かけない。「小保方会見は科学的ではなかった」という声が大学教授や科学ジャーナリストから批判が多かったはずだが、笹井会見はその小保方会見を科学研究的に裏づけ、データも少なからず理研に保管しているとした。当然、先の大学教授や科学ジャーナリストなど批判者たちから、何か再反論があるものと待っているのに、いまだ出てこない。

STAP細胞そのものを偽科学とするか、STAP細胞の捏造を前提とするほかない有力な反証仮説を期待しているのだが、はたして出るのだろうか。出なければ、実証的ではないという意味で、「科学的ではない」のは、はたしてどちらなのかと問いたくなる。

それとも、この人たちの「科学的」とは、「オレ的こだわりでいえば」とか、そこらのラーメン屋の蘊蓄と変わらないものなのか。

小保方さんは、写真データの「切り貼り」や「流用」の事実関係については争わず認め、その評価について、「取り違い」などと異議を申し立てている。それに対して、「実証的ではない」という批判ならともかく、「科学的ではない」とした。いわば、「科学」の名において彼らは小保方さんを断罪したに等しい。

それとも、この人たちの「科学的」とは、「オレ的こだわりでいえば」とか、そこらのラーメン屋の蘊蓄と変わらないものなのか。

論文の不備不正それ自体が重大な問題というなら、まず理研のコンプライアンスに属する問題になるはずで、批判されるべきは理研である。また、小保方側から、故意による捏造ではなく過失という反論があったのだから、少なくとも現段階では「捏造」が確定したわけではない。少なくとも、「科学の世界では、それを捏造という」では、小保方弁護団には通じないだろう。

それとも、この人たちの「科学的」とは、「オレ的こだわりでいえば」とか、そこらのラーメン屋の蘊蓄と変わらないものなのか。

その一方、野依理研理事長は、「彼女は未熟だった。教育をやり直さなければ」と表明しており、山中伸弥氏も、「最近の若い人は、実験は上手だが研究者として未熟な人が多い」と講演している。今回のNature論文問題を小保方さんの研究者としてディシプリンの不足に帰着させているわけだ。ならば、一般的にいって、未熟それ自体は不正とはされず、ましてや罪悪などではない。未熟によって不正をしでかしたのなら、周囲は寛容であるべきだろう。

もちろん、未熟だろうが何だろうが、その不正が違法だったり、何らかの被害をもたらしていた場合は、罪科を問われ補償を免れないのは当然のことだ。では、今回のNature論文問題の場合、どのような補償すべき被害が引き起こされたのか、いまのところ不明である。丹羽も若山も笹井も、「お手伝い」しただけだというから、Nature論文に文責が不在だったことだけは確定しているが。

いったい、「科学」の名において批判されるべきは、理研ではないのか。小保方さんが未熟ゆえに非難されるなら、野依、丹羽、若山、笹井はどうなのか。当然、彼らもまた「未熟」であり、「科学的でない」というのが、論理的な帰結だろう。

それとも、この人たちの「科学的」とは、「オレ的こだわりでいえば」とか、そこらのラーメン屋の蘊蓄と変わらないものなのか。

(ラーメン屋さん、ダシにしてすまん)

Bessie Griffin - Sometimes I Feel Like A Motherless Child


Sometimes I feel like a motherless child
Sometimes I feel like a motherless child
Sometimes I feel like a motherless child
Sometimes I feel like a motherless child
A long way from home
A long way from my home

Sometimes I feel like I'm almost gone
Sometimes I feel like I'm almost gone
Sometimes I feel like I'm almost gone

Way up in de heab’nly land
Way up in de heab’nly land
True believer
Way up in de heab’nly land
Way up in de heab’nly land


ときどき私は母親のない子のような気がする
ふるさとを遠く離れて

ときどき私はこの世を去ってしまったように思うことがある
はるか天国の高みへと

心から神を信じる者よ
ときどき私は母親のない子のような気がする
ふるさとを遠く離れて

-小川洋司訳


(敬称略)





CEOと社長は違う人

2014-04-17 15:17:00 | 経済


怖ろしさに身の毛がよだち、グロテスクさに吐き気を催し、人によっては気分が悪くなる恐れがありますので、ここから先はR18の閲覧注意です。

日産自動車の命運 その1・その2
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1091.html
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-1092.html

恐かったですねえ。でも、闇株新聞なんて、名前からしていかがわしそうな、という人向けに同様なのを。

ゴーン退任こそ日産飛躍のベストシナリオ
大前研一の日本のカラクリ
http://president.jp/articles/-/11546

血だらけで泣いていましたね。痛そうでしたね、可哀想でしたね。次は、きっとゴーンさんも高く評価するはずのおぞましい「成果主義」について。

STAP細胞会見のリアクションからわかる日本で成果主義がフツーにならない理由
http://wirelesswire.jp/london_wave/201404140650.html?utm_content=buffer6e738&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

では、口直しに、ゴーンつながりで、お勧め映画を。

ゴーン・ベイビー・ゴーン
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id329920/

監督はベン・アフレック。アカデミー賞を受けた「アルゴ」よりずっといいです。主演は、弟のケイシー・アフレック。兄に負けず劣らぬ好俳優です。

(敬称略)