読了。期待を裏切らぬ上質のリーダビリティ。『鴨川ホルモー』『鹿男あをによし』『プリンセス・トヨトミ』に続き、この最新作『偉大なるしゅららぼん』も、傑作といってよいおもしろさ。これは尋常なことではない。
なぜ、万城目学はおもしろいのか。いま考え中。これまで読んだどの小説や作家とも似ていない。共通点が見当たらない。上等な映画を観た後に、ストーリーや画面ではなく、俳優が、その役柄が強く印象に残るように、万城目小説ではその登場人物が際立っている。
といっても、登場人物に共感できる、感情移入する、というのではない。「いるいる」「そうそう」「こんな人知ってる」とは逆に、身近にはとてもいそうもない人物ばかり。
ヘタレの王道・日出涼介はともかく、ナチュラルボーン殿様・日出淡十郎、トール&ハンサムリア充・棗広海、グラマーというよりフィジカル絵画女子・速瀬、白馬に跨るグレート清コングこと・日出清子、いつも城内を忙しげなパタパタ走者・パタ子さん、渡し舟からクルーザーまで運転する源爺。
なかでも秀逸なのは、日出家の次の当主にして、誂えの赤い学生服を着て通学するデブの淡十郎であることは誰でも肯くだろう。かつての岩走城に源爺や料理人など大勢の使用人にかしづかれて暮らす「殿様」として、底知れぬ度量を秘めながら、恋をしたパンダのような愛らしい一面を晒らけ出す。
万城目小説はいつも女優陣が魅力的だ。背高く肩幅広い立派な体格なのに、聴きとり難いほど声が小さく、しかしてきぱきとした物言いで、絵の才能もある速瀬。傲岸不遜にして口調辛辣な日本最強のひきこもり清子。いつも呑気な天然師匠の濤子ことパタ子さん。こんな女性がいたら、どれほど世界が笑顔で満たされるかと、あたかも天女や観音様の眼福に与れるかのようだ。
それにひきかえ、涼介のライバルにして、絵に描いたようなモテ男の棗広海の存在感が薄く、物足りない。終盤にさしかかっても、これといった活躍もなくあきらめかけていると、これが南斗聖拳! 颯爽と白馬の騎士となって琵琶湖を駆け抜け、煙のごとく忽然と姿を消したかに見えて実は、という大逆転には、「しゅららぼん」の謎解きとともに、唸らされた。
もう、残頁が5mmくらい、もうすぐ終わりかなと、「サザエさん症候群」みたいな寂寥感が降りてきてから、急展開するのだ。日出涼介は「しゅららぼん」を野球の投球に擬するが、バッターボックス手前から加速して、グンとホップしてくる感じ。たいていはのけぞって見送りだろう。最後の3行の見事さ。
先日、人がくれた週刊文春(6/23号)をめくっていたら、万城目学の連載小説「とっぴんぱらりの風太郎」の第1回が掲載されていた。初の時代小説のせいか、リーダビリティは前4作に比べ、少しもたつく気がする。しかし、また違った万城目小説を読ませてくれるのかもしれない。そのときは、「同時代に巡り会えた幸福」という最大級の賛辞を捧げたい。
(敬称略)