コタツ評論

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逆立ち日本論

2007-08-22 23:58:47 | 新刊本
養老 孟司 内田 樹 新潮選書

バランスがよくない本である。対談集なのに、養老30:内田70くらいの発言の割合である。養老30のうち、10くらいは内田への質問だから、ほとんど内田の独演会を呈している。なぜそうなったかはわからない。

養老孟司は『バカの壁』という大ベストセラーをものしてから、出す本すべて版を重ねる売れっ子ライターであり、フリーになる以前は東大医学部の解剖学の教授であった。内田よりはるかに年長であり、研究分野は違えど学者としても大先輩に当たり、フリーライターとしての知名度も、養老の方が圧倒的に上である。何より版元の新潮社にとって、大儲けさせてくれた養老は内田よりはるかに大事にしなければならない「先生」のはずである。

にもかかわらず、養老孟司の名を冠して、内田本をつくってしまった。「業界の常識」では、およそ考えられないことである。この逆のことは、「業界の常識」としてまま起こり得る。売れっ子ライターや人気作家が、高級趣味をひけらかすような我が儘企画を版元の編集者に押しつける例は、ある。あるいは、編集者が点数を稼ごうと、「先生」のただの駄言を金言にしてしまうようなヨイショ本をつくってしまうことも、ある。

しかし、もしかすると、これは養老孟司の「逆立ち」した我が儘本なのかもしれない。

「僕が内田さんに話を聞きたかったのだから、これでいいよ」「いや、そうおっしゃられても、この本を買う読者の多くは養老ファンでありまして、出版元としても、看板と中身が違っては困るわけでして」「僕の本を読んでくれる人なら、内田さんの話にも興味を持ってくれるはずだよ。だって、僕が面白く読んだんだから」「ですが、こういってはなんですが、これでは先生が従ということになってしまうわけで、売り上げにも響いてくるわけで」「僕は年金もあるし、昆虫採集くらいしか道楽はないから、これ以上稼ぐ必要はないんだが」「困りましたなあ」「いや、僕はちっとも困らないのですが」

というやりとりがあったかどうかは知らないが、そんな風に考えてみると、養老孟司のあの温顔から邪気のない意地悪さが伺えて微苦笑を誘われる。

しかし、話題があちこちに飛んで過不足の印象は拭えず、バランスはやはりよくない。元東大全共闘議長の山本義隆が書いた『磁力と重力の発見』について、ちょっと異様な書評を書いた養老の全共闘への思いを内田は流すべきではなかったし、養老は頭脳集団としてのユダヤ人について、持論の脳化社会論から語ってほしかった。

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熱い夏い熱

2007-08-18 00:44:48 | ノンジャンル
TVのニュース番組で、数年前から来日アルゼンチンアリが、土着の日本アリを駆逐しそうな勢いで繁殖しているという特集をやっていた。もともと日本アリより身体能力が高いのに、アルゼンチン生まれだけに暑ければ暑いほど速く走るそうだ。アスファルトが熱くてむやみに駆けているのではなく、ここ連日の猛暑が彼らには心地よいらしい。番組では、日本アリの巣近くに砂糖を置く実験していた。当然、日本アリは砂糖に群がり、そこにアルゼンチンアリがやってくる。日本アリはアルゼンチンアリを取り囲んで撃退するが、するとアルゼンチンアリは日本アリの巣を急襲。帰る巣を失ってうろうろする日本アリをアルゼンチンアリが殲滅していく。なんか3,4人がかりでディフエンスして攻めを殺いでいたのに、いきなり振り切られて中央突破でゴールを決められ、動揺してマンツーマン・ディフエンスに分断されたあげく、各個撃破されてゴール前に群がられてしまうアルゼンチン対日本のサッカー試合を観せられたようで、よけいにゲンナリした。


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BOBBY

2007-08-14 23:29:20 | レンタルDVD映画
http://www.bobby-movie.net/

やはり、気に入らない。いい気なもんだと。
ロバート・ケネディが世界の王子だったかのような映画は。



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水木さん

2007-08-14 03:18:01 | ノンジャンル
先日、水木しげるの自伝的戦争体験をNHKがTVドラマ化していた。水木しげるは、僕はとか私は、というべきところをすべて、「水木さんは」と他者のようにいう。矢沢永吉の「YAZAWAは」という発語が同時代の若者に向けた自己顕示欲の表れなのに対して、つまり、我々が「レノンが」とか「クラプトンはさ」というのと同じ呼びかたをは自らに当てはめているのだが、「水木さん」の場合は著名なペンネームに対する距離感を表明しているように思える。

その距離のこっちが矢沢であり、あっちが世間とYAZAWAであるのに対して、「水木さん」の場合は、あっちが戦争と戦友(生き残った自分も、そのなかの一人である)という異同があるようだ。水木さんにとっては、いまも戦友たちは生きていて、ということは水木さんは半分死んでおり、だから半死半生者を呼ぶような「水木さん」なのかもしれない。「戦後10年くらいは人に同情することはなかった。死んだ兵隊がいちばんかわいそうだ」と水木さんは語る。不本意に生き残った者には、他者とは周囲や世間の人々ではなく死者なのだ。

水木しげるマンガの原作に忠実なTV化と思えるが、戦場の苛烈悲惨だけを描くのではなく、たとえば空腹のさなかに、実ったバナナを偶然に見つけて大喜びする場面など、人間の喜怒哀楽を率直に描いたいくつかの場面は素晴らしかった。どんなときにも、どんな場所でも、人間は人間の営みを止めない。それは人間は人間であることを止めないということだ。

もうひとつ、水木しげるは別の戦争マンガのなかで、「朝鮮ピー屋」についても描いている。それは従軍慰安婦の「性奴隷」派も「娼婦派」も黙らせる描きかただった。このTVドラマでも、玉砕を強いられる水木しげる一等兵たちは、最後に従軍慰安婦の歌を歌う。不確かな記憶だが、「嫌なお客を嫌いもせず、辛い努めも国のため」という文句だった。込み上げた。TV屋もバカにしたもんじゃない。
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更新が遅れている

2007-08-14 02:32:45 | ノンジャンル
1週間に一度は、と思い決めているのだが、お盆休みの「節句働き」でままならぬ。

いずれは書きたいなという物件。

『幸福のちから』(DVDレンタル映画)。

レーガノミクスの光と影の間で悪戦苦闘するウイル・スミス。光側は、俗物の白人エスタブリッシュメントというのではなく、影側も心優しい貧乏人というわけでもなく、従来のハリウッド映画文法とは微妙に違う。

『グレート・ギャッツビー』(村上春樹新訳)。

影はけっして光には入れず、光が影に落ちることもない残酷な世界。後者の方がより残酷だろう。ギャッツビーが主役たる栄光は、伴奏者ニックによって担保されている。無惨な結末ではなくハッピイエンドと読むべきだろう。読了して、デイジーの背信とつまらなさに愕然とするから。ギャッツビーが登場する場面と退場した後の静寂が美しいから。

R・レッドフォードがギャッツビーに扮した映画は残念ながら未見だが、さすがに映画ではデイジーをこれほどひどく扱ってはいないだろう。小説では、デージーをわずか一行でトムと同類と片づけている。しかし、だからこそ、ギャッツビーが追い求めた幻影の悲しさが浮かび上がる。通俗小説に徹しながら高貴な魂を描ききった。恥ずかしながら、初読。


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