コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

給料が出たので、買った

2010-03-29 00:04:00 | ノンジャンル

亀戸中央公園の桜

靴を500円で買った。以前は、2~3万円のスコッチグレンを愛用していた。最近は靴など安ければ安いほどよいと思っている。にしても、1000円の50%引きにはいささかたじろいだ。先月まで4990円の値札が付いていたのは知っていたし、踝まである冬物ブーツだから下げたのだろうが、カルカン3個パック268円だから、500円では2パック買えず、LARKのBLACKも2つ買えないのに、2足揃った靴が買える。デフレを実感した。EDLP(Every Day Low Price)のウォルマートの傘下に入って、「KY=価格 安い」の西友はたしかに安い。もっとも、顧客や消費者のためというより、周囲の競合店を潰すために過ぎないだろうが。

電気掃除機を買った。買って1年ほどなのに、ある日、ウンともスンともいわなくなった。買った西友に持参したら、モーターが焼き切れているのではないかという。猫砂と猫のカリカリほかを大量に吸い込み、ときどき凄まじい音で唸っていた。例によって、修理するのと買うのと費用は変わりないとのこと。「ダイソンとか、高級品でなければダメなのでは?」「ブラシが電動で動くタイプがいいのでは?」と尋ねると、酷使するなら、安物を買って1、2年で買い換える方がよい、電動ブラシも、吸い込む空気で回転するエアブラシも、吸引力はほとんど変わらない、絨毯敷きの部屋が多いなら電動ブラシが楽に動くが、畳みやフローリングなら、エアブラシで充分とのこと。ただし、紙パックはメーカー純正品を使った方が壊れず、長持ちするそうだ。なるほど。で、東芝製7800円を買った。シャープ製、お疲れさまでした。

マホちゃんを買った。浅田真央ちゃんや小林麻央ちゃんとは関係ない。450mlコーヒーを入れて持ち歩く携帯魔法瓶象印製のマホちゃんを失くしてしまったので、新しいマホちゃんをダイエーで1280円の10%引きで買った。10年は使っていた凹みと傷が目立つ先代のマホちゃんは、私と雨風を共にした仲。心当たりを2時間も探し歩き、警察署に3度も電話して届け出がないか確認したが、誰かに持ち去られたらしい。朝入れたコーヒーが夕方まで温(ぬる)いほど、二重栓でよく働いてくれたから、唐突な別れは残念でならない。その二重栓もだいぶ緩んでいたようで、「マホちゃん」と呼びかけると、「ブクブク」と小さく答えてくれた亀戸中央公園の昼下がりのベンチを思い浮かべた。新しいマホちゃんは、夕方まで温(あたたか)い。マホちゃん、ごめんね。

ハッスル&フロウ

2010-03-26 22:03:00 | レンタルDVD映画
CATVかスカパーを契約していたら、今月は、「ハッスル&フロウ(hustle & flow)」が必見。



南部の都会メンフィスでヒモ稼業(pimp)のDJay。街角に停めたボロ車で客を待つ。助手席には、痩せっぽちの白人少女ノラ。男一人が乗った車が横に付く。「前は40ドル、後ろなら60ドル」と運転席の男に声をかけるDJay。商談がまとまれば、ノラが乗り移る。前の席と後ろの席では、ノラが使う身体の部位が違う。

DJayは3人の女たちを抱えているが、稼ぎ頭はストリップクラブのダンサーになり自前で商売をはじめ、グラマーとはほど遠いノラは売れ残ることが多く、もう一人は臨月間近で働けない。本業の売春仲介業は低迷している上に、副業のマリファナ密売も支払いが滞り、供給が止められそうになっている。

行き詰まったDJayがふと入手したカシオキーボードから、若い頃に鳴らしたラッパーの夢が甦り、仲間たちと困難を乗り越えラップ歌手としてデビューするまでの物語といえば、アメリカ映画おなじみのサクセスストーリー。だが、ヒモと売春婦の貧しく惨めな日常を丹念に描くばかりで、DJayはなかなかサクセスしないのだ。

音楽業界の大物の感嘆や聴衆の拍手喝采といった派手な「成功」の場面はなく、DJayのラップを認め感動するのは、一緒にデモテープをつくる幼なじみの素人ディレクターやその仲間のミキサー、抱えの2人の売春婦だけ。仲間たちのうなずきや微笑、涙ぐみといった小さな「成功」だけで、終盤まで引っ張られる。

もしかするとDJayはこのまま成功をつかめないのではないか、とDJayといっしょに観客も焦り出すのは、音楽があまり鳴らないからである。DJayと仲間たちは言い合いばかりしている。だが、そのドラマ重視によって、ヒモ稼業から抜け出そうとするDJayに寄り添う仲間たちの説得力が増し、拍手喝采がなくとも気にならなくなる。

そう、この映画には、聴衆が熱狂して拍手喝采する場面が一度もない。主人公の成功の歓喜を観客がともに味わうカタルシスの場面はない。たぶん、ラップという言葉の世界を扱っているからだろう。DJayは、ヒモと娼婦の言葉をそのままラップにする。日々刻々、投げつけ、切り返し、罵る、言葉を詩にしてビートに乗せる。

したがって、言葉がやってくる場所、街を丁寧に描くことになる。訪ねたことはないが、メンフィスという街の猥雑な空気、その色や音や匂いを映そうとしているように思える。たとえば、メンフィスサウンドの大物アイザック・ヘイズの怪異な容貌はその典型だろう。DJayを応援するクラブのオーナー役のジイさんである。

そこから、この映画の主題が浮かび上がってくる。DJayや仲間たちが、真に求めているのは、富や名声ではなく、貧しく惨めな境遇から抜け出すことでもなく、実は自分の人生を見つけたいという希望なのだ。ここではないどこか、ではなく、幾度となく絶望を味わった、自分たちの街、このメンフィスで、俺たちは希望をつかみたい。

空前のCDセールスや満員の聴衆の熱狂といった「成功」をめざしていないことを、メンフィス出身のラップスター・スキニーの裏切りによって、DJayと観客はあらためて思い知ることになる。DJayはデモテープをスキニーに手渡し、プロデビューの道を開いてもらおうとする。そして、敬愛するスキニーは、手酷くDJayを裏切ってみせる。

しかし、スキニーにデモテープを渡したところで、すでにDJayたちは「成功」していたのである。もちろん、スキニーにコネをつけて、音楽業界への橋渡しを期待しているのだが、自信を持ってスキニーに手渡せるデモテープを自分たちはつくることができた、それだけで充分にDJayは満足していたのである。

「俺のディック(DICK)を舐めな」といわれたDJayは爆発する。DJayの怒りは、「成功」の道が閉ざされた失望や傲慢なスキニーへ向けられたというより、自分たちの街の言葉をラップにした、「街の仲間」に裏切られたことから発している。それからエンドマークが出るまでは、つけたりである。映画としては、実はここで完了している。

スキニーは、「夢は誰にでも持てる」とDJayにいった。「夢は誰にでも持てる」が、(夢を実現できる人間は限られている。たとえば俺のように)。そうした含意が込められている。刑務所に収監されたDJayも、ラップをやっているという看守2人に、「夢は誰にでも持てる」という。(夢は分かち合える)という含意を込めて。

DJay=ディジェイ (テレンス・ハワード Terrence Howard)
ノラ  (タリン・マニング Taryn Manning)
シャグ  (タラジ・ヘンソン Taraji P. Henson )
キイ (アンソニー・アンダーソン Anthony Anderson)
スキニー(ラダクリス Ludacris )
アーメル(アイザック・ヘイズ Isaac Hayes)



2005年、映画の中で歌われた「It's Hard Out Here For A Pimp」(ヒモはつらいよ)がアカデミー歌曲賞受賞したときの映像。前口上は、スキニーを演じたルダクリス(Ludacris)、歌っているのは、スリー・6・マフィア、コーラスはやはりシャグ役のタラジ・ヘンソン(Taraji P. Henson)。


わかる人だけわかる

2010-03-25 00:12:00 | ノンジャンル
内緒で録ったテープってのはな、持ってるってことすら、口が裂けてもいわないんだよ。警察から取り調べを受けようと、たとえ裁判になろうとも、けっしていわない。その前提があって、はじめて懐のスイッチを押すんだよ。周囲から、事実関係はどうなんだと責められて、「実は、テー」といいかけたとたん、居合わせた男たちが即座にさえぎって聞かなかった振りを通し、それ以降言いかけた男を避けるようになったのは、当然のことなんだよ。それくらい、卑怯な真似なんだ。テープが公共の利益に関わるとしても、その存在には私利私益が伴うのだから。それを公開するとは、さすが元読売新聞記者。



テープ」という映画は、舞台劇の焼き直しのように、モーテルの一室で3人だけの登場人物が、真実の薄皮を一枚ずつ剥いでいく、息苦しくなる密室劇でした。出演、イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ロバート・ショーン・レナード。


書道教授

2010-03-24 01:22:00 | ノンジャンル
TVばっかり観ておるな。



今夜(23日)は、日本TV系列の生誕100年記念作「松本清張スペシャル書道教授」(午後8・54)。

最後まで観るつもりは毛頭なかったほど、「書道教授」には期待していなかった。はて、清張に「書道教授」なんて作品があったっけと未見の興味と、ジェームス三木脚本にちょっと食指が動いた次第。

存外悪くなかった。いや、かなり上出来の部類ではないか。あの、「安物」の杉本彩に高価な着物を着せてしゃなりしゃなり歩かせてどうにかなるものなら、鳩山内閣だって苦労しないわなあ、と鼻で笑おうとしたら、杉本彩がんばったのである。

大昔なら、若尾文子か、少し前なら、名取裕子あたりがやる役だから、杉本彩では謎めいた着物美人というより、着物ホステスあたりにしかみえないが、それでも最後の方になるとあまり気にならなくなるほど、抑えた表現で好演したからこそ、杉本彩お約束のお色気シーンを入れられなかった。

一生懸命に仕事に取り組む人の姿を見るのは、気持ちがよいものだ。

船越英一郎も、女に好かれるしか取り柄がない、「しょうもない男」にぴたりとはまり、父子ともに同じ役柄というのは、世界の俳優史のなかでも珍しいのではないかと父・英二を思い出す。「2時間ミステリードラマ」の探偵役として名物男になっているらしいが、その定型を続けながら、今回のように、卑小ではあるがどこか憎めない男が、色と欲の瀬戸際に立たされ、無様にあがきながらも自分の中の残り少ない真実をかき集め、何とかしのぎ生き残ろうとする、本当のハードボイルドを演じて欲しいものだ。役所広司や渡辺謙にはいささか飽きた。

そして、荻野目慶子。週刊文春でエッセイ連載を持っているほど知的な女性のはずだが、まあ、とてもそうは見えないけたたましさ。乃公の永遠のアイドル荻野目洋子ちゃんのお姉さんでなければ許さないところだが、だんだん彼女の役作りどおりの、下品で貪欲な悪女だが少し可愛いと思えてきたのは、やはり演技力のたまものなのだろう。深作欣二直伝の阿鼻叫喚演技から脱するのは困難だろうが、健闘を祈りたい。

なんと、お懐かしや野川由美子! もうけっこうなお年のはずだが、お変わりありませんね。よかった、よかった。でも、野川由美子さんが出たとたん、最後のどんでん返しがすぐに予想がついてしまったけれどね。

パラリンピックの選手より、はるかに劣悪なTVドラマの制作現場で、仕事への真摯な姿勢を失わず、苦闘を続けているスタッフや俳優たちに乾杯を捧げ、高給を貪りながら無駄飯を食うばかりか足を引っ張る局の社員や幹部に唾棄を。

(敬称略)



鳩山内閣支持率30%台へ急落

2010-03-23 00:06:00 | ノンジャンル


マスコミ総力を挙げてのネガティブキャンペーンのおかげだな。街頭インタビューに嬉々として、口を尖らせて、「小沢独裁」だの「鳩山優柔不断」だのとコメントするジジババ。TVコメンテーターの口移しにしても愚劣の極み。自分が総理だったらどうするのか、いったい何ができるのか、針の先ほども考えたことがないようだ。鳩山内閣と小沢幹事長は、日本に過ぎたるものかもしれない。

パラリンピックのメダル数では、日本は世界8位だそうだ。パラリンピックのメダル数こそ、先進国の証明である。劣悪な練習競技環境に負けず獲得したのだから、正しくは先進国民の証明というべきか。日本国民もいろいろだが、うろうろしない人は少数のようだ。

今夜(22日)の「ニュースステーション」を観ていたら、アメリカでは不況で食えなくなった若者が軍隊に続々入るおかげで、陸軍史上初めて定員を満たし、応募を断っているほどだという。高校を出たばかりの18歳の少年から、失業した妻子持ちの30代まで、怯えた瞳が痛々しかった。

ジョニー・デップ監督主演に「ブレイブ(The Brave)」 という映画があった。ネイティブ・アメリカン(つまりインディアン)の貧しい若者ラファエル(ジョニー・デップ)が、妻子に金を遺すために、人が殺される場面を実写する「スナッフ・フィルム」へ出演するまでの日常を描いたものだ。「スナッフ・フィルム」をプロデュースする黒幕である、気味悪く太ったマッカーシー(マーロン・ブランド)は、ラファエルの「勇気(ブレイブ」)を声高らかに褒め称える。



訓練される新兵たちの映像を見ながら、貧しさを命で贖おうとするラファエルたちとその親しい家族だと思った。貧しさを命で贖う? 間違いではない。彼らは、貧しさの罪を自らの命をもって償おうとしているのである。

デジタル大辞泉
あがな・う〔あがなふ〕
1 (贖う)罪のつぐないをする。「死をもって罪を―・う」
2 (購う)あるものを代償にして手に入れる。また、買い求める。「大金を投じて古書を―・う」


(敬称略)