コタツ評論

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オレオレ詐欺にひっかかって自殺

2019-01-28 22:39:00 | 政治
前回は、「辺野古県民投票実施」をめぐる琉球新報のGJ(good job)を紹介したが、最近の朝鮮日報もGJを連発しています。

レーダー照射「事件」から自衛隊哨戒機威嚇飛行「事案」まで、官邸の韓国叩きに追随する日本のメディアを尻目に、韓日に目配りの利いたバランス記事を掲載してきました。

今回、ついに「北朝鮮」の「非核化詐欺」を「合作」とまで批判しています。

【コラム】北朝鮮非核化の正体は韓国国民に対する「韓・朝・米」合作の詐欺
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/01/25/2019012580047.html

選挙に縛られる民主政治より独裁政治のほうが明らかに強いわけです。ただし、独裁政治によっても経済を強くすることはできず、それはプーチン率いるロシア経済の低迷をみればまた明らかといえます。

また、独裁政治が国家そのものを短期間に蝕んでいく最新の事例をフォーリン・アフェアーズが報告しています。反米演説で鳴らしたベネズエラのチャベス大統領とその後継者であるマドゥーロ大統領の独裁政治によって国家が破綻したのです。

ベネズエラの自殺-南米の優等生から破綻国家への道
https://www.foreignaffairsj.co.jp/articles/201812_naim/

北朝鮮非核化をめぐる詐欺「合作」もベネズエラの国家破綻も、いうまでもなく、日本にとって「対岸の火事」ではありません。

朝鮮日報のコラム氏が指摘する「北朝鮮に核のある平和」を日本も甘受するのか、安部独裁政権下に自壊していく統治機構をこのまま座視すればどうなっていくのか、日本の霧は深いといわざるを得ません。

もっとも危惧するのは、もし、戦争という補助線が引かれたとき、重く漂っていた霧の奥から一条の光が射し込んできたきたように思うかもしれないことです。

おまけ 冬の曲
Vivaldi The four seasons - Winter - Julia Fischer


(止め)


天使より洗濯使がほしい冬空

2019-01-27 22:26:00 | 政治
最年少の米下院議員であるアレクサンドリア・オカシオ・コルテスさんのマーチン・ルーサー・キングデー演説です。「ジャステス"Justice" 」が連呼されます。

Watch Alexandria Ocasio Cortez’s Inspiring Women’s March Speech | NowThis


"Justice"の訳語としては、正義・公正・公平が挙げられるが、この動画では「正義」が宛られています。はたして、正義・公正・公平は同義に思えるでしょうか。正義だけが浮いていると感じる人は少なくないはずです。

コルテスさんが繰り返す"Justice" は「公正」を当てたほうがずっとしっくりすると思います。「公が正しくあれ」「公に正しくあれ」と読み換えてみてください。

若い頃、ジョン・ロールズの『正義論』を読んだとき、読む前に期待した理念についての議論ではなく、富の不平等を再分配によって公正にしようという現実論だったのに、落胆しつつ感心したものでした。

以来、「正義」という言葉を見聞するときは(そう多くはないのですが)、「公正」に置き換えて、すっと主張や意味が頭に入ってくるかどうかを判断の基準にしています。

「これが正義だ」といわれれば(そんなことをいう人は滅多にいませんが)、そこで思考停止しそうですが、「それが公正というものですよ」となれば、「うむ、なるほど」「いや、待てよ」と繋げられる気がします。

食事であれ、進路であれ、選択肢が多い方がよいに決まっています。

「正義」はどうも尻の穴が小さい印象がありますよね。あるいは口を肛門のようにすぼめて尖らせているような、子どもっぽさがつきまといます。

でも、我が国では「公正」は「正義」より馴染みがありません。平等に傾いた「公平」がいちばんしっくりくる国柄のように思えます。「まま、ここは公平にチョコは一人一個ずつということで」とか。「正義」や「公正」より、「公平」のほうがずっと口にし易いでしょう。

ただし、我が国のなかでも、沖縄だけは、「公平」を「公正」に近く、すなわち「正義」寄りに認識しているように思える出来事がありました。

県民の熱意が政治を動かした 元山さんのハンストで事態急展開 辺野古県民投票
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-866140.html

沖縄、うるま、宜野湾、宮古島、石垣の5市議会が「辺野古」基地建設の県民投票に不参加を決め、沖縄県民の3割が投票できないことへ異議申し立てをするために、大学院生の元山仁士郎さんがハンストを決行しました。多数の署名を集めた「辺野古」県民投票の会の代表のハンストをきっかけに、結局、県民投票は洩れなく実施されることに決まりました。

行政にとっては、県民投票への不参加という選択肢もあったでしょうが、市民には、「賛成・反対・どちらでもない・棄権」と選択肢は多い方がよいはずです。

海外のメディアでも、「シャイ”shy”」といわれることが多いという、「いかにも日本人」な大坂なおみさんですが、「スーパースター」や「女王」というオーラとはほど遠い地味な選手生活を続けそうです。欧米のメディアやテニスのセレブ達は正直なところ、がっかりしていそうです。

でもですね、観客にとってはもちろん、選手にとっても、スポンサー企業など、業界にとっても、選択肢がひとつ増えたといえるかもしれません。

しかし、私服とメイクはなんとかなりませんかね。たぶん、「自前」なのでしょうが、PRエージェントやファッション業界はやきもきしているでしょう。「ふふふ」という気もしますが。

大坂なおみ「成長の証」全豪オープン制覇で喜び語る(19/01/27)


(敬称略)

all or nothing

2019-01-20 23:38:00 | スポーツ
「勝者には何もやるな」”Winner Take Nothing”, Ernest Miller Hemingway の短編中の有名な一節です。

「他のあらゆる争いや戦いと違って、前提条件となるのは、勝者に何ものをも与えぬこと―その者にくつろぎもよろこびも、また栄光の思いをも与えず、さらに、断然たる勝利を収めた場合も、勝者の内面にいかなる報償をも存在せしめないこと――である。」
(三笠書房刊『ヘミングウェイ全集 -第1巻-』谷口睦男訳)


また、「敗者が全部取る」”Loser takes all”というGraham (Henry) Greene の小説もあります。ヘミングウェイやグレアム・グリーンを読んだはずの梶原一騎は、力石徹に敗れた矢吹ジョーの控室に押しかけた記者たちに対して、丹下段平にこう言わせます。

何だいあんた達は?部屋間違えたんじゃ無いのか?敗者には何もくれてやるな、それがこの世界の掟だ!さあ勝った力石の部屋はあっちだ!

「勝者には何もやるな」
「敗者が全部取る」
「敗者には何もくれてやるな」

それぞれにいろいろな解釈が考えられますが、「敗者には何もくれてやるな」に得心する優れたボクシング記事に出会いました。筆者は森合正範という東京新聞のスポーツ記者でした。

井上尚弥に敗れた男が初めて明かす「モンスターの実像」
怪物に敗れた男たち①

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58544

「井上尚弥はすべてが理想形」敗れた元世界王者が語る怪物の実像
怪物に敗れた男たち②

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59401

おまけ①

グレアム・グリーンさん。たぶん、ヘミングウウェイがかくあれかしと望んだ顔であり、たぶん、丹下段平のモデルだと思う。

おまけ②
冬の歌なので。
広瀬香美 / promise


(敬称略)

モスクワの夜は更けて

2019-01-15 00:16:00 | 音楽
古いロシア民謡をジャズアレンジして、世界的にヒットさせたのはこのイギリスのバンドです。

Kenny Ball and his Jazzmen 1961 Midnight In Moscow


クライバーンはモスクワ公演で弾きました。

Van Cliburn plays the Russian Song "Moscow Nights"


三大テノールながら小柄なカレーラスの美声です。

Jose Carreras - Midnight in Moscow (A la luz de luna azul, with the Vienna Symphony Orchestra)


未知のバンドですが、たぶん道のバンドでしょう。アコーディオンのおじさんがよい顔をしています。

Midnight in Moscow - Ian Cooper Quartet


初代ケニー・ボールジャズメン以来、ディキシージャズバンドが多く演奏していますが、私はこれがいちばんの出来ではないかと思います。

モスクワの夜は更けて フランク永井


12月はなかったことに。

2019-01-01 17:39:00 | ノンジャンル
新年明けましておめでとうございます。
本年が皆様にとってよい年になりますように。


紅白歌合戦では圧巻のパフォーマンスだったそうです。視ていませんが。

椎名林檎と宮本浩次-獣ゆく細道


メイウエザーと那須川天心の「興行」は平成の掉尾を飾るにふさわしいヒドイ「試合」に終わったそうで。やはり、視ていませんが。

じゃ何を視ていたかというと、CATVでアメリカTVドラマ「SUITS/スーツ」に嵌っていました。イギリス王室のヘンリー王子と婚約した可憐なメーガン・マークル嬢がレギュラー出演していました。

TUTAYAのマンガ本レンタルで「」も10巻まで読みました。編集の手をいっさい借りない才能や傑作が出てくるというところに、ネットやSNSの影響を感じました、というか、その逆か。

映画もいくつか観ましたが、「焼肉ドラゴン」に隔世の感を抱きました。いまや多摩ニュータウンで育った人が50代ですから、この程度の「貧乏物語」に感心するのでしょう。

1969年から大阪万博までの猥雑な世相がまるで抜け落ちていて、日々の暮らしのリアルさにも乏しいPC(ポリティカルコレクトネス/政治的公正)臭気に辟易し、いったいどこで感動や勇気を貰えるのかわからず、呆然としたまま観終わった。「三丁目の夕日」にも感じた「解釈」のうっとおしさ。

当時を誤解ではなく、安易に理解してやしないか。たしかに「庶民」は政治から置き去りにされる者たちだが、ニュートラルという頑迷な政治的立場を無前提に肯定してきた結果、今日のようなネット世界が現れているのではないか。

「お涙ちょうだい」とバカにされた三益愛子の「母もの映画」のほうがリアルさはいうまでもなく、「貧乏」への批評性さえはるかに勝っていた。つまり、過去というより、現代への無理解か誤解、あるいは弛緩した視線がこの映画の基点に思えた。

いっそ、平成という時代もなかったことにしたい。私の周辺リサーチによると、たぶん、次の元号は「安倍晋」で決まり。今年は「安倍晋元年」です。安倍晋は昭和というまさしく安普請の継承者であります。今年こそ、北方領土問題や北朝鮮拉致被害者問題の「悲願」に「決着」がつきます。