上がイワシの丸干しと梅干で199円也の「昭和初期弁当」ならば、下がいわば「令和初期弁当」のウインナ弁当200円である。ローソン系店舗で大ヒットしているそうだ。
私が中学生の頃、級友(男子)の弁当の9割は、毎日、魚肉ソーセージ炒めと卵焼きに決まっていた。上記にならえば、「昭和中期弁当」である。
「昭和初期弁当」に比べれば、まがい物とはいえ、肉に卵なのだから、それだけ「豊か」になったわけで、「昭和中流弁当」といえるかもしれない。
もちろん、昭和初期の学生やお父さんの弁当が「貧しい」といえるのはカロリー面のことで、梅干しやタクワン、佃煮が自家製だとすれば、丁寧な暮らしの産物を味わっていたといえるだろう。
私たちの「中流」とはたぶん貧相なものに過ぎなかったのだが、誰もが似たような弁当の中身だったから、とりたてて不満などは抱かなかった。
あれから50余年、ご飯少なめのウインナ弁当200円の実物を見たときは、ちょっとした衝撃だった。今どきの若者や働き手はこんなものを食わねばならないのか。来るところまで来たという思いがした。
コメント欄にもあるように、歌詞をひっくり返したり、ノイジーなバックバンドといい、パンクみたいだ。しかし、まさか、岡林信康再評価なんてことにはならないだろう。私たちは貧相ながらも「中流」の「豊かさ」を感じていたからこそ、「暗い歌」を好んだのかもしれない。現在のような、ほんとうに「暗い時代」に向かっていくときに、岡林信康の歌を聴きたいとは思わないだろう。
(止め)