コタツ評論

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今夜は青江三奈

2012-11-28 22:36:00 | 音楽
今夜、朧月を仰いでいたら、「あとは、おぼろ~♫」というフレーズがリフレインしたので。

青江三奈 恍惚のブルース


作詞:川内康範
作曲:浜口庫之助

女の命は恋だから
恋におぼれて流されて
死ぬほどたのしい夢をみた
あとはおぼろ あとはおぼろ
ああ 今宵また しのびよる 
恍惚のブルースよ

あなたがこんなにしたわたし
ブルーシルクの雨が降り
こころがしっとり濡れていた
あとはおぼろ あとはおぼろ
ああ 今宵また しのびなく 
恍惚のブルースよ

あなたがこんなにしたわたし
ブルーパールの霧が降り
あたしは貝になっていた
あとはおぼろ あとはおぼろ
ああ 今宵また すすりなく 
恍惚のブルースよ


<しのびよる>は「忍び寄る」のほかに、「忍び夜」がイメージされます。また、「忍び」は「偲び」とも。<あなたがこんなにしたわたし>も、一字違えれば、「あなたがをんなにしたわたし」になります。ダブルミーニングを意識した凝った詞ですが、一点、「あたしは貝になっていた」というのがよくわからない。

ちあき なおみ


田端 義夫
<しのびよる>が2・3番では、「しのびなく」「すすりなく」と変化します。男の能動の視点が入っているのがよくわかる歌い方です。田端義夫は女歌を歌っても男っぽい。


宮 史郎
先頃、亡くなりましたね。


中条きよし


聴きくらべると、青江三奈がまったく違うことがよくわかります。<ブルース>に対応した<ブルーシルク>や<ブルーパール>の燦めく語感が違います。モダンな曲と詞を踏まえて、歌唱は官能的に豪奢です。

(敬称略)

迷い子猫預かってます

2012-11-27 18:35:00 | ネコ


名前は、とりあえず「カクホ」と呼んでいます。近所の廃ビルの地下室に閉じ込められ、鳴いていたところを駅前交番のお巡りさんによって、「確保!」されたからです。3人も来たのに、真っ暗な地下室に飛び込んだのは、いちばん目つきの悪い、無愛想なお巡りさんでした。ニコニコ如才ない、あとの二人は、「猫は苦手で・・・」と尻込み。人は見かけによりません。一昨日の日曜日のことでした。ビルの持ち主とほどなく連絡がつき、鍵を持ってすぐにやってきてくれたので助かりました。

生後3か月くらいか、雄です。体長はしっぽを除いて約20cm。あきらかに野良ではなく飼い猫です。それも猫かわいがりされていた風。あれこれ餌の好き嫌いがあり、「おうちへ帰して」と鳴き通しです(俺は山椒大夫じゃないって!)。たぶん、近所の集合住宅から脱出して迷い歩き、警察の現場検証によると、地下室の明かり取りの網の間から落ちた模様です。触られるのは好きです。女性に警戒感が薄いようなので、飼い主は女性ではないかと思われます。埼玉県T市K町付近でお心当たりのある方は、メールでお問い合わせください。今夜、この写真を使ったポスターを近所に貼って歩き、連絡を待つつもりです。連絡が来るとよいのだが。

日本版ティーパーティを

2012-11-26 23:34:00 | 政治


嘉田新党、生活・みどり・脱原発と連携も 第三極二分化
http://www.asahi.com/politics/update/1126/TKY201211260327.html

滋賀県の嘉田由紀子知事を党首とする「日本未来の党」に、生活(小沢)やみどり(谷岡郁子)、脱原発(河村たかし)らが合流しそうだ。課題はどういう選挙運動が展開できるかだろう。自民党安倍総裁の支持者はネット論壇への投稿やチラシポスティングを手段とした右派「勝手連」を組織しようとしているようだが、日本版ティーパーティはどうだろうか。ネットやご近所でホームパーティを呼びかけ、主婦層を中心に五百円から政治献金を募っていくのだ。初の女性首相誕生をめざし、脱原発を柱に内政の重視を打ち出す。内政と外交、景気対策と緊縮財政、地方と東京、政策の対立を軸とするのではなく、政治の分節化を女性寄りに、ソーサーを傾けるように、流れを溜めてエネルギーにするのだ。おもしろいと思うのだが。

(敬称略)

大根の中華漬け物

2012-11-26 01:55:00 | 食べ物
むかし、俺が青山六本木で鳴らしていた頃(注:1)、六本木交差点近くに、楓林(ふうりん)という中華料理屋がありました。首都高下の六本木通りに面して、俳優座の何軒か隣でした。

明るく広い青山通りにくらべると、首都高速高架下の六本木通りはどこかうす暗く汚れた感じがしたものです(注:2)。当時の六本木交差点の目印は、今はなき誠志堂書店と今もあるアマンドでした(注:3)。飯倉交差点のソ連大使館に突き当たる外苑東通りも、賑やかなのはせいぜいロアビル辺りまで、通行する車は多くとも店舗は閑散としていました。有名なイタリアンレストランのキャンティあたりは寂しげなくらい。

当然、昼食に適した店はそうはありません。俺が愛用していたのは、楓林のランチとアマンドの向かいにあった六本木食堂でした。六本木食堂というのは、そのむかしは外食券食堂だったそうで、焼き魚、煮魚、コロッケなどの皿や、冷や奴や納豆、ほうれん草のおひたしや、惣菜の小鉢をお盆に選び、山盛りのご飯と味噌汁にニンマリする、場所柄としては異色の定食屋でした。

三角巾に白衣姿の健康そうなおばさんから元気な「いらっしゃい!」の声には、労働意欲を励まされるものだが、当時はあまり仕事がなく暇だったから、黙々と箸を運びくわえ楊枝で店を出て行く、タクシーや軽トラックの運転手、工事現場の作業服、営業マンたちの忙し感に、ちょっと入り辛いときもあります。のれん越しに様子をうかがってから、結局は楓林の自動ドアの前に立っていることが多かったものです。それに六本木食堂はけっして安くはなかった(注:4)

楓林はランチタイムでも混んでいることはめったになく、うす暗いけれど広々とした店内を歩き、白いテーブルクロスを敷いた古そうな中国椅子に座ると、ふと昼だか夜だかわからない、無時間のような雰囲気がありました。奥の個室には、楊だか康だかの名前だろう、派手なチェック柄のジャケットを着込んだオ、ーナーらしき中年男が、やはり手持ちぶさたの様子でいました。ようするに、楓林は俺と同じように繁盛していなかった。

ランチメニューには、マーボー豆腐やチンジャオロースーといった定番料理もあるのだが、中華風カレー炒めとか、賄い料理みたいなものを選んでいました。店内の調度は古びれて、絨毯もところどころ擦り切れていました。黒服のウェイターも、ちょっとうらぶれた様子の色黒の中年男が出てくるのだが、ひとり変わった黒服がいました。黒スーツに白ワイシャツ、黒の棒タイを締めて満面の笑みを浮かべて注文を取りに来るのが、ちょっとした楽しみでした。

いや、正直いうと可笑しかった。黒服の一人が、男装したおばさんなのです。おむすび海苔のような髪をのっけて、頬にはうっすら紅を刷いている。小太りの宝塚男役というか、できそこないの京劇風化粧というか。後に漫才の今いくよ・くるよが出てきたとき、思わず膝を打ったものです。あの太った方によく似ていました。はじめてのときは、コップの水を吹いたものです。どうしてあの人はあんな格好をしていたのか、いまでも不思議です。

という話がしたかったのではなくて、この楓林のランチにかならずついていた大根の漬け物が、おかわりを頼みたいほど旨いものでしたと。それがネットにレシピが出ていて、ためしに作ってみたら、なかなかイケたという報告です。この大根の漬け物は、たいていの中華料理屋の定番なのだが、店によって味はかなり違います。いままで食べたなかでは、楓林がいちばん。楓林を百点とすると、自作は六十点くらいですが、山椒の香りはちゃんとするし、箸休めやお茶漬けにはわるくないです。


醤蘿蔔の作り方/レシピ
http://reihow.blog12.fc2.com/blog-entry-289.html

(注:1)
女を啼かせ、男を泣かせたのではなく、腹の虫を鳴かせていた。

(注:2)汚れたは、よごれた、より、けがれた、とルビを振りたい。六本木交差点から外苑東通りを飯倉の交差点まで下るとソ連大使館。飯倉とは反対に乃木坂方向へ向かうと防衛庁。飯倉のソ連大使館前には、右翼の街宣車が押しかけるため、パトカーと機動隊の車が常駐し、いつも10人以上の警察官が立つ異様な雰囲気だった。ソ連大使館近くには、スパイでも出入りしてそうな怪しげなロシア料理屋があり、その裏手には当時としては珍しいSM専用ホテルもあった。飯倉から神谷町に出ると、すぐアメリカ大使館、ホテルオークラ、麻布には韓国大使館。そんな東西冷戦拠点地域の一角が六本木であり、付近の盛り場の代表格は赤坂だった。青山赤坂六本木には、当時も今も「ファッショナブルな街」という印象が私にはない。冷戦時代の汚濁がくすむ、穢れた平和の町という感じだった。

(注:3)アマンドのリング形のシュークリームが六本木名物だった。白い生クリームと黄色いカスタードクリームがダブルクリームで味わえるのは、当時としては珍しかった。赤坂東急ホテル向かいにも、喫茶を併設したアマンドがあったが、ここは外国人売春婦のたまり場だった。

(注:4)煮魚か焼き魚、小鉢をふたつ、ご飯と味噌汁で千円前後、それにコロッケや天ぷらの皿を加えれば、千五百円に近くなる。楓林のランチには、スープとこの大根の漬け物がつき、飲み放題のウーロン茶もあって八百円くらい。ランチタイムは3時まで。どちらがコスパが上か自明。

「むかし」というのは、この頃です。
李博士 ポンチャックディスコ


鳩山と小沢はよく似ている

2012-11-23 00:37:00 | 政治
一昨日、鳩山由紀夫元首相が政界引退を発表した。「不出馬にあたって」を読みながら、鳩山由紀夫と小沢一郎は少しも似ていないようにみえて、じつはよく似ている。そんな感慨に至った。


以前に、小沢一郎をダースベーダーに擬したが、鳩山さんはウルトラマンにも似ている

波瀾万丈の政治人生でしたが、多くの方々に支えられ、ここまでやってきました。政治家としては、やはり幸せな人生だったと思います。

「波瀾万丈」と抑えているが、「毀誉褒貶」とも換言できる。「毀誉褒貶(きよほうへん)」とは、褒められたり、貶されたり、どちらも同じくらいにあった、と振り返るときに使う。だが、「鳩山首相」はそのわずか9か月の在任期間中、ほとんど貶され通しだった。

小沢自由党と合体した民主党が政権を奪取して、最初の首相の座に就くことが決まったとたん、野党時代に書いた、アメリカの「強欲資本主義」を批判した論文が問題にされた。就任後すぐには、地球温暖化の原因となる温室効果ガスを2020年までに25%削減することを目指す、と国連で表明して批判された。

とりわけ非難の的になったのは、沖縄の普天間基地の移転をめぐり、「最低でも県外」と発言したことだ。以降は、ほとんど鳩山叩き一色になった。「尖閣諸島は中国と共同開発」との発言が問題にされ、アセアン+3での「東アジア共同体構想」も批判された。また、実母から政治資金をもらっていた政治資金規正法違反事件もあった。首相を辞任してからも、経済制裁中のイランを訪問し、アフマディネジャド大統領と会談、国際社会と対話の道を呼びかけて、これまた非難された。

振り返れば、「鳩山首相」の主張のほとんどは正論、もしくは論議に値するといえ、時宜を得たものだったことがわかる。にもかかわらず、鳩山バッシングは凄まじかった。「永田町」「霞ヶ関」「経済界」「アメリカ」などの「筋」や「関係者」といった正体不明の「毀貶」を根拠に、連日マスコミは「鳩山首相」の言動を徹底的にコケにした。

なぜ、ウォール街の強欲を批判してはいけないのか、なぜ、温室効果ガスの25%削減を打ち出してはいけないのか、なぜ、沖縄の米軍基地の「県外移転」を求めてはいけないのか、なぜ「尖閣諸島は中国と共同開発」という議論さえ封じられなければならないのか、なぜ、「東アジア共同体構想」に言及してはならないのか。なぜ、実母からの政治資金提供まで罪に問われるのか、なぜ、イランを孤立させず対話の道へ導くことが許されないのか。寡聞にして、これらのなぜに答える、反論らしい反論を見聞したことがない。

「政治とカネ」の問題からもっとも遠く、理念や政策にもっとも近い政治家の一人だったはずなのに、「鳩山首相」を評価する声はほとんど聞こえなかった。つねに、「政局より政策が大切」といっているマスコミは、こぞって鳩山叩きに回った。首相として主張しながら、できなかったという批判ではなく、主張そのものを冷笑的に無視した上で、「政治手腕に乏しい」と非難した。

そして、鳩山とは反対に、「政治とカネ」の問題にもっとも近く、理念や政策にもっとも遠い政治家といわれる小沢一郎も、この間、鳩山由紀夫以上に貶され続けている。両者に多少の違いがあるとすれば、鳩山は「宇宙人」「ルーピー」と嘲笑され、小沢は「金権」「闇」と憎悪されていることか。

いずれにしろ、二人とも、その政策や思想より、終始、その資質が問題とされてきたといえる。少しも似ていないようで、その扱われかたはじつによく似ているわけだ。資質をいえば、この二人には共通する美質がある。他人の悪口をけっして言わないことだ。自らが代表をつとめた党から、次の選挙では公認しないといわれても、鳩山はキレなかった。

鳩山元首相 衆院選に立候補しない意向
NHK 11月20日 20時50分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121120/t10013641751000.html

「永田町」「霞ヶ関」「経済界」「アメリカ」などの「筋」や「関係者」が、鳩山小沢を評価しないなら、二人がよく似ていると彼らは考えているのだろう。彼らの考えは、インサイダーではない私にはよくわからない。しかし、問題と思えるのは、よくわからなくて困惑するのは、国民の多くがそうしたマスコミの論調をそのまま信じたことだ。

たとえば、沖縄の米軍基地の一部に移転の必要があった場合、沖縄県民がこぞって反対しているのだから、基地の増設より「県外移転」は当然検討されるべき選択肢のひとつのはず、グアムなど海外移転ならなおベターといえる。なのに「鳩山首相」が言い出した「県外移転」は、沖縄県民以外からは評価されず、民主党内からでさえ援護されなかった。

たぶん、近い将来、「県外移転」を言い出したことは評価できるが、その手続きや方法論において、あまりにも拙速であったと「毀誉褒貶」のバランスがとられ、「鳩山首相」の再評価という歴史の偽装が行われるだろう。だが、マスコミはいうまでもなく、当時、国民大多数は、「県外移転」に事実上反対したということは、ただしく記憶されねばならない。

今後、どのように歴史が記録しようとも、記憶を改変しないように注意しなければならない。はじめて「県外移転」に言及した首相として、あるいは、「日米同盟を傷つけた」はじめての首相として、そのいずれにしても事実に変わりはない。「友愛」には参ったが、鳩山由紀夫は私たちが長く記憶にとどめておくべき政治家である。

ついでに、小沢が率いる第三極の「国民の生活が第一」が、衆院選を前に、「反原発」「TTP不参加」「消費増税凍結」の旗幟を鮮明にしたことも記憶されるべきだろう。つねに政策ではなく政局にこそ腐心していると悪口を浴び続けてきた小沢が、もっとも第三極の政党らしい異議申し立てを、不支持を恐れぬ公約を掲げたことを。

とここまでヨイショを書いてきたが、鳩山さん、「やっぱり、無所属でも出馬します!」はないだろね。いや、あるかもしれない。鳩山と小沢の似ている点をもうひとつ。どちらもけっしてめげず、前向きなところだからね。

昨日の12時のNHKニュースでは、民主党の前原某が、「円は高く評価され過ぎていたので、現在の円安は基本的に歓迎します」とコメントを出していた。円が低く評価されたのを評価するという変な話に自信たっぷり。資質が問われるべきはこの人じゃないのか。いや、資質を問うこと自体が、やはり間違っているか。

(敬称略)