コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

私もまた卑しい廊下トンビなのだが。

2019-04-11 22:53:00 | 政治
今週のBJ(badjob)です。

日本はもうお終いなんじゃないか。そう思うのは老化のはじまりらしい。

まだ若く才能も業績もある研究者が自死の道を選んでしまった。朝日新聞のおかげで知ったのだが、次のハフィントンポストの記事を含めて、彼女に同情する筆致がやりきれない。

(私でなくてよかった)という声が聴こえそうな、「他人事とは思えない」と憂い顔の他人事の記事にしか読めなかった。

そうひどくはあるまいと思うなら、最後のリンクに跳んでいただきたい。読んでほしくないと半分は思っているので、あえてタイトルなどは省いた。

この筆者には故人を貶めているという自覚はまるでなさそうだが、朝日新聞やハフィントンポストの記事も、この「廊下トンビ」的な記事とほとんど選ぶところのないように私には思える。

落選議員の腰掛けや新聞記者の上がりポストとして、大学教授の椅子は安売りされた一方、量産されたポスドクという「知的ノマド(放浪者)」にとって、常勤研究者になるのは夢のまた夢だ。

「これから研究者をめざす」人だけでなく、「すでに研究者」という人にとっても、「食っていけない」現実をこの痛ましい「事件」は知らせている。

その背景には、この間の、日本の、文科省の高等教育政策がある。政策によって世の中を良くすることはできないが、悪くすることは確実にできる。政治が人を助けることは稀だが、人を潰すことならしょっちゅうだ。

日本の大学はもうお終いですよ。そう吐き捨てるように言う声は、老化には程遠い若手や壮年の研究者からもよく聞く。

「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた
https://www.asahi.com/articles/ASM461C8QM3YULBJ016.html?ref=huffpostjp

文系の博士課程「破滅の道。人材がドブに捨てられる」 ある女性研究者の自死
https://www.huffingtonpost.jp/entry/bunkei-kenkyu_jp_5cad3f34e4b0e833aa32f292

https://yellowpage01.com/?p=800

(止め)

今夜は藤原さくら

2019-04-10 00:29:00 | 音楽
あいかわず、COVERにはまっていて、大橋純子の「シルエットロマンス」(石井竜也)や「たそがれマイラブ」(山口百恵)にニンマリしていたら、こんな人を見つけました。おもしろい声に、歌い方にちょっとしたユーモアがあります。

藤原さくら 登場「500マイル 」


藤原さくら 「卒業写真」


藤原さくら 「真夏の果実」


藤原さくら「歩いて帰ろう」(斉藤和義)


(敬称略)

私たちという後世と

2019-04-05 22:46:00 | 政治
万葉集を出典とする新元号「令和」について、万葉集の研究者から緊急発言が寄せられました。

新元号「令和」の名付け親となった、万葉集の巻五「梅花歌三十二首」の<序>の句とは以下のように詠まれました。

干時初春令月、気淑風和
(折りしも正月の佳月であり、気候も快く風も穏やかだ)


「令月」と「風和」から「令和」です。字面の優美で呑気な印象とはまるで違って、その背景には、この<序>を書いた大伴旅人の長屋王自死への無念と怒りがあるというのです。

品田悦一「緊急寄稿「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」
https://docs.wixstatic.com/ugd/9f1574_d3c9253e473440d29a8cc3b6e3769e52.pdf

王義之にとって私が後世の人であるように、今の私にとっても後世に当たる人がいるだろう。その人々へ訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取ってほしい。長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。

品田悦一教授はまるで大伴旅人が憑依したかのように、その激越な内心を吐露します。そして、以下のような現代の解説に続きます。

安倍総理ら政府関係者は次の3点を認識すべきでしょう。一つは、新元号「令和」が<権力者の横暴を許せない、忘れない>というメッセージを自分たちに突きつけてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキストを選んでしまった自分たちはいとも迂闊であって、人の上に立つ資格などないということです(迂闊が読めないと困るのでルビを振りました)。

解説といいましたが、「この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと」などは、明らかに、万葉の古(いにしえ)の「呪い」ですね。品田教授は大伴旅人を載いて1300年前と現代を往還しているかのようです。この「寄稿」全体に、品田教授と大伴旅人が同時に語っているような倍音感が漂っているのですが、以下は間違いなく品田教授の手厳しい一言です。

もう一点、総理の談話には『万葉集』には、「天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民など幅広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。この見方はなるほど30年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家の間では一人もいません。高校の国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が20数年かかって批判してきたからです。安倍総理ーむしろ側近の人々は『万葉集』を語るにはあまりにも不勉強と思います。

新元号制定に際して、有識者会議が開かれました。見識がある人という意味でしょうが、その有識者会議に提供する新元号候補を選定するのに、複数の学識経験者が集められました。もちろん、品田教授はそのいずれにも入っていないわけですが、自らの学識と見識をこの「寄稿」に賭けたように思えます。

何のために? 

王義之や大伴旅人と同じく、私たちの後世のために、です。

(止め)

PDFなので書き写すのに疲れちゃった。後生大事な俺が後世を語るなんぞ噴飯ものだが、品田先生に煽られてしまった。でも、品田教授は文章いいですねえ。ですますとだであるが混じるところなど、俺もするけど、さすがに多用しない。新元号ー新年号と誤植があるところなど、緊急寄稿らしくてほほえましいですね。品田先生の斎藤茂吉の本、読みたくなった。



今週のBJ

2019-04-03 04:44:00 | ノンジャンル
語呂としては、「りょうわ」だろうと思った。

新元号「令和」 欧米メディアは「日本の右傾化」を懸念
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20190402-00120638/

とくに最後の「個人的には~」からがほとんど読むに堪えない。

「あるいは~」からの文末2行に至っては、新元号へ欧米メディアの批判的なコメントを羅列した構成を無意味にしている。

たぶん、その前の「筆者の元には、あるジャーナリストから~」から、ネットで拾った切り貼りを寄せ集めただけ、筆者自身は何も思わず考えずに書いた「やっつけ仕事」ではないかと疑ってしまう。

そうであってほしいと思う。人間、食うためには多少のことは仕方がない。そうではなく、本当にこんな自問自答をしたなら、この筆者はこれからどんどん杉田水脈さんに近づいていくしかない。

>令を「秩序」、和を「調和」と解釈するなら、秩序も調和も、日本が昔から変わらずに重視し、世界からも評価されてきた日本人が誇るべき価値観だ。

日本で「調和」という言葉が使われはじめたのは、「公害」が問題化してからです。公害を垂れ流す企業活動に規制がはじまり、産業界には「調和ある発展が望まれる」という文脈から、「調和」という言葉が普及したのです。1970年の大阪万博のテーマが、「人類の進歩と調和」となった背景です。

そこには数多の被害者がいて、今でも少なからぬ被害者認定や補償をめぐる裁判が続いています。欠けがえのない生命の危険と限りある国土の環境破壊を防ぐために、行政や企業も真剣に取り組まざるを得ませんでした。

そうした多くの人々の苦難と努力を集約した言葉が「調和」なのです。当時、この言葉を苦々しく噛みしめた人は少なくなかったはずです。典籍も根拠もない、手前勝手に心地よいだけの「日本論」を振り回すために、持ち出されてよい言葉ではありません。

(止め)